第29話 穏健派の住みかへ

 ワゴンは新宿を出てから山手通りに入り、南下している。


 蓮実は虚ろな目を窓の外へ向けたまま、ひと言も口を利かない。そんな彼女の様子をバックミラーで見て、おばは溜め息をついた。


「悪かったと思うわ。でも私の気持ちも考えて」


 何を言われようと、答えを返すものか、と蓮実は堅く口を閉ざしている。涼夜はおばに見殺しにされた。それも、言うなれば、とばっちりだ。おばが、夫を殺したのは夕華であるということを知っていた理由はよくわからなかったが、情報の経路などいくらでも考えられる。同じ夜刀神の一族なのだろうから。とにかく、涼夜が夫の仇でないことは知っていたはずだ。それなのに、一蓮托生で敵とみなした。


 きっと涼夜はあそこで処刑される。もう二度と会うことはない。そう思うと、目に涙が滲んできた。


「夜刀神は分裂している」


 蓮実の態度に構わず、おばは運転しながら話を続ける。


「もともと関東は私たちの国だった。だから奪還すべし、とする主戦派。それに対し、いまの日本と折り合いをつけながら生きていこうとする穏健派。この二つは直接ぶつかり合うことはなかったけれど、緊張した状態が続いていた。そこへ、あの夕華の暴走があった」


 時おり、おばは車の周囲へと目を走らせる。常に警戒を怠っていない。


「もちろん私情もあるわ。だけど、私達穏健派は日本政府と闘うつもりはない。これまでずっと、標的にされずに来ていた。もしここで桐江君を助けたりすればどうなると思う? 主戦派に手を貸したとして、私達まで狙われるようになる」


 そんな大人の事情知らない、と蓮実は頭の中で文句を言う。


 信号が赤になり、車はストップする。そのタイミングを利用して、おばは後部座席へと手を伸ばして、新聞を取った。


「これを見て」


 窓の外を向いていた蓮実は、顔を戻して、自分の膝の上に放り投げられた新聞へと視線を落とした。


 一面に踊っている大きな見出しに、目が釘付けになる。


《新幹線爆発。死傷者四十名超》


 内容を読んでみる。


 東海道新幹線ひかり505号新大阪行きが、名古屋駅に到着した直後、10号車のグリーン車両が爆発。連休の中日であることと、グリーン車であることから乗客は少なく、また駅構内に入ってスピードが落ちていたこともあり他の車両の被害は軽微なものだったが、それでもグリーン車内の乗客は全員死亡、近くのホームにいた利用客も巻き添えを喰らい、急停車による負傷者等、死傷者数は少なく見積もっても四十名を超えるとのことだ。


「おばさん、これ……」


 絶対に話をしないと心に決めていた蓮実だったが、さすがに口を開かずにはいられなかった。


「ネットではもう犠牲者の名前が挙がってるわ。その中に、相馬隆介という男の名前があった」

「その人、誰?」

「アマツイクサの第一分隊隊長」

「えっ」


 蓮実はおばの顔を見る。事の重大さ、そして、叔父の言っていた「戦争が始まった」という言葉の意味を、ようやく理解した。


 信号が青になり、車は発進した。おばは前を向いたまま話を続ける。


「関東地方には全部で十個の分隊があり、彼、相馬隆介はその中でも東京二十三区方面を担当している人だった。特に重要な地域を任されているだけあって、戦闘力、知識はもちろんのこと、我々夜刀神一族に対する接し方も柔軟だった。時には、主戦派にまで、理解を示すくらいに」

「そんな重要な人が、殺された……」

「これはまだ宣戦布告程度の話。政府でもアマツイクサの存在を知っている人は少ないし、国を挙げての反撃が始まるのは多少の時間がかかると思う。でも、彼一人を殺すのに無関係の人達まで巻き添えになった。そして今回の新宿駅での騒動。いつまでも平気でいられるわけがない。私達、穏健派も」


 空は晴れ渡っている。こんな清々しい天気の下で血生臭い闘いが起こっているなんて、信じられない。さらに、ほんの五、六時間前はこんな事態になるとは夢にも思わず、新宿から玉造町へ向かっていたのだと思い出し、蓮実はぞくりと体を震わせた。僅かな時間の間に、全てが急激に変化してしまった。


 おばは黙っている。その間に、頭の中を整理する。


 かつてこの日本にいた民族、夜刀神の一族。それが二つに分裂して、主戦派と呼ばれる者達は、現代において失地回復のため闘っている。それが涼夜や夕華が属している一団。一方で、その活動を良しとしないのが、おばが属している穏健派。


 アマツイクサという闇の部隊は、主戦派と交戦状態に入っている。彼らの目的は日本に仇なす勢力を排除すること。穏健派は彼らとは事を構えたくないと思っている。


 電車で襲ってきたヤンという男は? 涼夜は「南京の亡霊」と呼んでいた。夜刀神に協力しているが、夜刀神ではないとも言っていた。夜刀神とも、アマツイクサとも違う、第三勢力だというのだろうか。


 とにかく現況はわかった。しかし問題は、現代と過去を繋ぐ時間軸に何が起きていたのか、だ。なぜ今さら、夜刀神は国に対して反旗を翻したのか。千数百年も経った現代日本において、そのような活動をすることに、何の意味が?


 ワゴンはそのうち山手線と並行して走り始め、真新しい高層ビルが立ち並ぶ区画へと進入した。普段はあまり来ない方面だが、蓮実は、この辺りが大崎の辺りであるとわかった。


 ここには、叔父の経営する建設会社がある。


「ヤツガミ建設なの、向かっている場所は」


 おばの声に落ち着きの色が表れた。それは、予断かもしれないが、自分たちが窮地を脱したということの証のように、蓮実には感じられた。


「俊雄さんは、一族のためにと思い、業界でも大手に入る会社を建てた。そのためにどれだけの犠牲を払ったかわからない。私とあの人の間に子供がいないことからも、なんとなくわかるでしょ。あの人は常に、夜刀神が安定した生活を送れるように――」

「一族のためって、どういうこと?」


 蓮実はおばの話を遮り、質問を挟む。


 おばはただ微笑みを返した。


「実際に見れば、わかるわ」


 線路を越えて、大崎駅のすぐ目の前にある四十階建て高層ビルの下へと、ワゴンは滑り込む。地下駐車場へ入り、月極契約のスペースへ車を停めてから、おばはエンジンを切った。


「到着」


 おばは、見るからに安心しきった表情を浮かべている。だが、蓮実は気が気でなかった。何も特別なことをするわけでもなく、車は普通にビルの中へと入っていった。敵に監視されていたら、こちらの居場所がわかってしまうのではないだろうか。


 しかしおばは平然としている。かといって油断している様子でもない。自分たちが襲われないという確信があっての態度のように、蓮実には感じられた。ならば信じるしかない。


 車を出て、地下駐車場の中を歩いていく。コンクリートの床を踏む、コツコツという音が、実際以上に反響して聞こえる。その音の想定外の大きさに、蓮実の心臓は激しく脈打つ。今なら、横から驚かされたら、ショックで死ねそうだ。恐ろしい出来事の連続で、すっかり神経がすり減っている。


 「関係者以外立ち入り禁止」の札が掲げられている、扉の前に着いた。


 おばはIDカードをズボンのポケットから取り出し、カードリーダーに読み込ませた。さらに四桁の暗証番号を入力する。ロックの外れる音がした。


 扉を開くと、廊下。だが、すぐ曲がり角になっている。中に入って進み、角で曲がると、目の前に一基のエレベーターが現れた。同時に、背後で扉の自動ロックのかかる音が聞こえた。


「一応、非常用のエレベーターね。一応」


 思わせぶりに言って、おばはエレベーターのボタンを押す。行き先は上だ。


 すぐにエレベーターの扉は開いた。入ると、中の操作盤には地下1階から上の階へのボタンしかない。


「ここからさらに下へ行くの。見てて」


 おばは特定の順番で、各階のボタンを押していく。十回目のボタンを押した時、階数ボタンの点灯は全てリセットされ、扉が閉まった。直後、エレベーターが下降し始める感覚が伝わってきた。


 十秒ほどでエレベーターは止まった。扉が開くと、そこはまた廊下だった。


 一人の男が待っていた。その顔を見て、蓮実は小さく声を上げた。


「御笠先生……⁉」


 いつも自分のカウンセリングをしている先生が、なぜここにいるのか。その答えは、自ずとわかった。彼のクリニックを紹介してくれたのは叔父だ。当時は夜刀神一族のことなど知る由もないが、今なら、全てが理解出来る。


 玉造町へ行く時、御笠は蓮実のことを心配していた。行くべきではないかもしれないとした上で、最終的にOKしてくれた。それらはカウンセラーとしての配慮だと思っていたが、違ったのだ。


 御笠は腰を深く曲げて礼をする。


「巴さん、よくご無事で」

「あなたの余計な助言のせいで俊雄さんは死んだけれどね」


 おばは冷たい言葉をぶつけ、頭を下げ続けている御笠を無視して、その横を通り抜ける。


「私はただ、蓮実さんの意思を尊重したまでです」


 頭を上げた御笠は、おばの後を追いかける。自分の意思を尊重した、という割りには、自分に対してひと言も言ってこない。同じ夜刀神一族である以上、事情は知っていたはずだ。だったらどんな手を使っても止めてくれるべきだったのではないだろうか。そのことについて謝罪があって然るべきなのに、御笠は何も言ってこない。挨拶すらない。


 廊下を進んだ先に、また扉がある。おばがカードリーダーにIDカードを通すと、ロックが外れた。


「ようこそ、私達の家へ」


 おばは振り返って蓮実に微笑みかけると、扉を開いた。

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