第30話 隠れ里

 暗い部屋から屋外へ出た瞬間のような感覚差に、しばし目が馴染まない。蓮実は何度か瞬いてから、扉の向こうへと進み出た。


 ひとつの町が現れた。


 天井と呼ぶには遥か高い、数十メートル上の所に、青空の映像が映し出されている。もちろん、それが本物の空でないことくらいわかる。その擬似天蓋の下に、直線的な道路が伸びており、住宅や店舗が配置されている。電気自動車が時々目の前を走り抜け、何人か散歩している人達も見かける。


「おばさん、これ――」

「現代の隠れ里。近現代になって住みかを失った一族を、俊雄さんがまとめあげたの」


 蓮実は溜め息をつく。目の前の光景は、自分の想像を軽く超えていた。


 この空間は、どれほどの面積を有しているのか。


 ざっと見渡したところ、地上にあるビルのフロア面積よりも広く感じられる。蓮実が立っている場所から正面を見つめても、左右を向いても、壁が見えない。あるいは壁が見えにくいように仕掛けが施されているのか。なんであれ、おばの言った「隠れ里」という呼び方には一切の誇張がない。


 そもそも山手線沿線の主要駅近く、一企業のビルの地下に、夜刀神一族が住んでいるということ自体、信じがたい。国の協力がなければ不可能な話だ。


「私と俊雄さんは、時間をかけて政府との信頼関係を築き上げていった。その結果が、この場所。もともと都市開発の要地として確保されていた地下空間だったのだけど、一定期間借りながら、モデルケースとしての私達がレポートを提出するという約束で、なんとか利用の許可をもらうことが出来たの」

「都市開発の要地? モデルケース?」

「地下シェルターよ」


 正面の道から、こちらへ向かって走ってきた電気自動車が、目の前に横付けして停まった。運転席からパーマの男が降りてきて、おばに頭を下げると、助手席と後部座席のドアを開けた。


 おばは軽く礼をし、後部座席に入る。続いて、御笠が助手席に座った。蓮実はおばの後に続いて後部座席に入る。パーマの男は無言で前後のドアを閉め、また運転席に戻ると、車を発進させた。電気自動車だからエンジン音はせず、やたら静かだ。


 窓の外を家並みの風景が流れていく。商店のようなものも見える。ふと、ここが地下ではなく、地上のごく平凡な田舎町であるかのような錯覚に陥る。擬似天蓋のせいで、屋外にいるように思えてしまう。


 車は道の途中で停まった。五階建ての大きな建物の前だ。基本的にほとんどの建物は二階建てだから、このビルはひと際高く見える。


「ここは勉強施設。学校のようなものと思ってくれていいわ。夜刀神の一族には戸籍がないから、地上の学校には就学できないので、ここで教えてあげているの」


 説明しながら、おばはドアを開けて外に出る。蓮実も続いて車を降りた。


「また、一般社会に溶け込んで、自分が夜刀神であると知らずに生きてきたのが、何かの弾みで住んでいる場所を追われる。そういった人達に、私達の歴史を教えてあげる場所でもあるの」

「ちょうど、私みたいに……?」

「そうよ、蓮実ちゃん。まずは、あなたにこれまでの歴史について学んでもらわないといけない」


 おばに案内され、ビルの中に入っていく。後ろから御笠がついてきた。下駄箱に靴をしまい、スリッパに履き替えて、廊下を進んでいく。一番奥の教室に入り、おばは教壇の上に立つと、並んでいる机の一番前の真ん中の席を、指で示した。


「そこに座りなさい。さっそく授業を始めてあげる」


 だが蓮実は座らなかった。


「おばさん」


 睨みつけながら、両拳を強く握る。


 こんなことをしている気持ちの余裕はない。


「わかるわ、蓮実ちゃん。まだ、桐江君を助けたいんでしょう? でもここまで逃げてきたらもう無理よ。諦めなさい」

「だったら、せめて、休ませて」

「時間がないの」


 おばは冷淡に言い放つ。


「あなたがひと眠りしている間に、状況は変化するかもしれない。今後、何かを学ぶ機会はないかもしれない。このタイミングだからこそ、私はあなたに夜刀神の歴史について話しておきたいの。わかってくれる?」


 最後の言葉は、問いかけというよりも、「わかれ」という命令に等しい言い方だった。蓮実はなおも食い下がろうとしたが、それこそ時間の無駄だと思い、渋々椅子に座った。


「ありがとう」


 おばは礼を言い、黒板に顔を向けた。


 が、すぐに振り返った。


「それと、大事なことを先に言っておくわ」

「え?」

「これからは、『おばさん』って呼ぶのはやめて。ここでは『巴さん』で通ってるんだから。高校生の女の子なんて、『トモちゃん』って呼んでるくらいなのよ。だから、蓮実ちゃんも私のことは、『巴さん』って呼んでちょうだい」


 妙なことにこだわるものだ、と蓮実は苦笑しながら頷いた。


「よし」


 おば――巴は、黒板に向き直り、チョークを叩きつけるようにして、三文字の言葉を書いていく。


 「ナーガ」。


 聞き覚えのある単語だった。夜刀神について調べる時に、世界中の蛇神伝説を集めた、その内のひとつにあった。たしか――。


「インドの蛇神だよ」


 いつの間にか蓮実の斜め後ろの席に座っていた御笠が、教えてくれた。相手のほうへ振り向くと、蓮実のことを見つめたまま、御笠はフッと微笑んだ。


「そして、夜刀神の先祖でもある」

「先祖……?」

「うん。もともとインドにはナーガ族という民族がいて――」

「ちょっと、御笠君。人の生徒を取らないで」


 巴にたしなめられ、御笠は肩をすくめると、口を閉じた。

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