第23話 アマツイクサ副隊長麻多智刀子

 廊下の最奥にある非常階段から、夕華が現れた。手にはサブマシンガンを持っている。


「涼夜君、ありがとう。面倒かけちゃったね。あとは私が連れてくから、蓮実を渡して」

「ごめん。それ無理」

「は? 何言ってるの?」


 安全装置を外し、夕華はサブマシンガンの銃口をこちらに向けた。顔からは一切の表情が消えているが、こめかみがピクピクと動いている。


「まさか女王の意志に逆らう気? 許されると思ってるの? それとも、何? あのぬるい穏健派の連中に仲間入りしようってわけ?」

「人を殺すのは趣味じゃない。ましてや、テロ活動なんてごめんだ」

「要は、蓮実のことが大好きなんでしょ」

「それこそ何言ってるんだ」

「いいじゃん、認めれば。私と別れたのだって、人生観の違いがどうのこうの言ってたけど、昔から大好きだった蓮実のことが忘れられなかっただけでしょ。そいつのことが好きで好きで仕方なかったんでしょ。私、全部知ってるんだから」


 堰を切ったように怨念の言葉をぶつけてくる夕華に、蓮実はさすがに戸惑わずにはいられなかった。いくら疑惑が多いとはいっても、それでも友人と思っていることには変わりない。


「違う。僕は君のそういうところが、本当に――」

「はいはいはいはい、そーでしょうね! 私なんてビッチで、蓮実みたいに頭が良くて清楚でしっかり自分を持っているような強い子が好みなんでしょうね! だから、私なんてやることやったらさっさと捨てたんでしょ!」


 夕華は激昂し、引き金を引こうとした。涼夜は腰を落とし、いつでも駆け出せるように身構える。蓮実は涼夜の後ろに隠れた。


 その時、夕華はギョッとした顔になり、目を見開いた。


「涼夜君、後ろ!」


 警告を受けた涼夜は、素早く振り返ると、蓮実の体を引き崩しつつ、自身も倒れ込んだ。


 その上を、刃が、走った。


 あと一瞬遅ければ、胴から一刀両断にされていた。


 涼夜は床を蹴り、蓮実を抱えながら、背後からの奇襲者との間合を取った。


「まさか、もう、あんたまで最前線に来てるなんてね……!」

「部下だけでは荷が重いわ」


 奇襲者は、先ほどの男達と同様、特殊部隊風の防護スーツに身を包んでいる。違うのは、均整の取れたプロポーションが強調されるほどに体にフィットした黒いレザースーツで、防御性には欠けているが、身動きは取れやすそうなこと。日本刀を持っていること。そして、ヘルメットをかぶらず、その秀麗な容姿をためらいもせず晒していることだ。


「あっ」


 蓮実は相手に見覚えがあった。


 数日前、夕華が失踪した時、警察を名乗ってやって来た二人組のうち一人。


 夕華が声を張り上げた。


「涼夜君、気を付けて! そいつは――」

「知ってるよ。会うのは初めてだけど、日本刀を武器にする女は一人しかいない」


 涼夜は、蓮実が持っていた拳銃を受け取り、すかさず狙いをつけて相手を牽制する。


「アマツイクサ副隊長、麻多智またち刀子とうこ……!」


 刀子はフッと笑みを浮かべ、日本刀を正眼の位置に構えた。


「麻多智⁉」


 聞き覚えがあるどころではない。ここ数日、蓮実は何度もその名を耳にしている。ただし、現代に生きる者ではなく、遥か昔の人物として、実在したかどうかも定かではなく。


「桐江君、麻多智って、あの――」

「よそ見したらダメだ!」


 横を向いて話しかけた蓮実の頭を、涼夜は片手で掴んで、引き寄せた。一瞬遅れて、元々頭があった位置を、横薙ぎに刃が走った。


 狙いを外された刀子の刀は、外廊下の落下防止壁を切り裂いた。硬い材質のはずの壁面に深い切り傷が走る。蓮実は戦慄した。こんな刀で斬られたら、人間なんかひとたまりもない。


「させない!」


 夕華が後ろから飛び出して、ジャンプキックを放つ。


 刀子は横に体をさばくと、攻撃を外されて着地し、隙だらけの夕華目掛けて、大上段から唐竹割に刀を振り下ろした。


 金属音が響く。


 すでに攻撃を読んでいたのか。夕華は脚を高々と揚げ、刀子の刃を足裏で受け止めていた。刀子は口の端を歪めた。


「面白い素材のブーツね」

「これで蹴れば岩だって砕ける。その身で試してみる?」

「遠慮するわ。テロリストに殺されるくらいなら、馬に蹴られて死ぬほうがマシ」


 刀子は距離を離し、一度体勢を整えると、再び刀を振って攻撃してきた。が、今度は単撃ではない。上下左右から縦横無尽に繰り出される怒涛の如き連撃だ。


「な――めるなぁ!」


 ほんの少しだけ気後れした様子だった夕華は、大声で自らを奮い立たせ、相手の攻撃に合わせて脚を振る。しかし、普通に立っている状態では追いつかない。ついに逆立ちし、ブラジルの武術カポエイラの如く、両腕でバランスを取ったまま全身を横回転し、脚だけで敵の全ての攻撃を弾いていく。爆ぜ、軋み、磨り、交差し、また爆ぜる。並の人間の目には追えないスピードで繰り広げられる攻防戦は、多種多様な金属音のおかげで、辛うじて戦況が読める。


「く、う!」


 攻撃を防げるのは脚に装着した特殊なブーツだけ。それだけの手段しか持たない夕華が、当然、刀子の目にも止まらぬ連撃を防げるはずもない。


「いつまでその大道芸を続けるつもり?」


 刀子は突然刀での攻撃を中断し、一歩踏み込むと、逆立ちしている夕華の腹に、足刀を叩き込んだ。


「ぐっ!」


 腰を折り曲げて吹き飛ばされる夕華。外廊下を転がっていく。


 間に守る者がいなくなり、再び刀子の脅威に、蓮実と涼夜はさらされた。


「まいったな」


 すっかり恐慌を来たしている蓮実の体を抱きかかえて、涼夜は立ち上がった。目は、マンションの下の道路へと向けられている。


「こんな逃げ方はしたくなかったんだけど」


 とぼやくと同時に、落下防止の壁を跳び越え、空中へと身を躍らせた。刀子は怒鳴ったが、もう遅い。


 浮遊感、のち落下。


 蓮実は悲鳴を上げる。涼夜の体にしがみつくも、落ちていく恐怖からは逃れられない。死の影が脳裏を横切り、泣き叫んだ。


 二階まで落ちてきて、あわや道路に二人とも叩きつけられるか、という瞬間。


 涼夜はマンションの外壁を蹴った。


 二人の体は落下の軌道を変えられて、若干落ちながらも、地面とは水平方向へと弾き飛ばされた。


 涼夜は空中で少しだけでもと体勢を変えた。直後、隣のビルの壁に激突した。が、涼夜が背中側からぶつかってくれたおかげで、蓮実は全くの無傷だった。


「あいててて……いくら体が丈夫でも、二度とこんな無茶はできないな……」


 顔をしかめて背中をさする涼夜。その顔を心配そうに蓮実は見つめたが、特に致命的なダメージは負っていないようだった。


 問題は蓮実自身だ。足が竦んで動けない。


「き、桐江君。ごめん、私――」

「腰が抜けちゃった? ごめんね、怖い思いさせて」


 そう優しく言ってから、涼夜は蓮実の前に回り、「よいしょ」と動けない彼女の体を背負ってやった。意外と広くてたくましい涼夜の背中に男を感じ、蓮実はなんだか恥ずかしくなり、顔を背けた。


「ひとまず、駅まで逃げよう」


 と言って、蓮実を背負ったまま、涼夜は走り始めた。

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