第24話 南京の亡霊

 新大久保の駅前は、三連休の二日目ということもあり、観光に来た人々で賑わっている。みな、韓流関係のショップが目当てで来ているのだろう。


「お、おろして。もういいから」


 さすがに涼夜に背負われている蓮実の姿は目立っていた。涼夜がまた韓流スター並みの甘いマスクをしていることもあり、多くの女性が何事かと好奇の目で見ている。


「わかった。歩ける?」

「大丈夫、大丈夫だから」


 ドラマのワンシーンのようなやり取りに、誰かがひそひそと楽しげに感想を言い合っているのが聞こえる。蓮実は赤面して、急いで改札の中に入った。


 ちょうど来ていた内回りの山手線に飛び乗る。


 まだ日の高い内だからか、車内はそれほど混んでいない。空席がいくつかあったので、蓮実と涼夜は並んで座った。


 ドアが閉まり、電車が動き出す。高速で流れてゆく車窓の風景を見ていると、正体不明の敵達からも猛スピードで逃げられているような気がして、やっと蓮実は安堵の溜め息をついた。


「僕は信用していいよ」


 開口一番、涼夜は言った。顔は優しく微笑んでいる。


「僕は事情があって東京を抜け出せなかった。君の家に潜入して、捜索と、工作をするよう、指示が出されていたから。でも、タイミングを見て、君の味方に着くつもりだった。これは本当の話」

「味方、ってどういうこと? じゃあ、夕華は敵っていうわけ? 部屋を出た時に襲ってきた日本刀の女は何者なの?」

「彼女らは、形は違えど、君を狙っている。夕華は君を必要としているから、殺すことまではしないと思う。でも、麻多智刀子――刀を使っていたあの女は、完全に君を殺す気でいる」

「叔父さんは? 叔父さんを殺したのも、麻多智なの?」

「ああ、そうか。玉造で、襲われたんだっけ」


 事情は知っていたのだろう、あの場にいなかった涼夜だが、険しい顔で、かぶりを振った。


「それは夕華だよ。残念ながら。麻多智側なら、直接君を殺しにかかった。さすがに手荒な真似はしないと思っていたけど……彼女を止められなくて、ごめん」


 蓮実は黙っている。それに合わせて、涼夜も口を閉ざした。電車の走行音と、数人の乗客の喋る声しか聞こえない。少しばかり静かになった空間で、蓮実は状況を整理しようとした。しかし考えても考えても、何が起きているか理解することが出来ない。


 自分の命を狙っている奴らがいる。そして、その敵から、涼夜達は自分を守ろうとしている。それくらいの単純なことしか掴めていない。


「夕華は夜刀神の一族だって、本人から聞いた。じゃあ、麻多智は……?」

「アマツイクサ」


 その単語には聞き覚えがあった。涼夜がその名を呼んでいた。


「アマツイクサって、何?」

「秘密警察みたいなものだよ」


 秘密警察、と聞いて、さらに蓮実は思い出す。夕華が失踪したと言って、マンションへ押しかけてきた老人と若い女。あの二人は普通の刑事というよりも、まるで映画に出てくる秘密警察のようだった。


「……いや、警察よりも強大で、もっと凶悪かもしれない。国に反逆する人間を抹殺するための特殊部隊。起源は日本の歴史とほぼ同じ」

「待って、ちょっと、待って」


 頭が痛くなってきた。なぜそんな冗談のような話を聞かされないといけないのか。けれども、殺されかけたのは冗談ではない。本当のことだ。だったら受け入れなければいけない。それがどれだけ荒唐無稽な話でも、真実として聞く必要がある。


 だけど、なぜ?


 なぜ、国に反逆する人間を抹殺する――ような集団に、自分が狙われないといけない?


「私は、普通の大学生よ」

「そうだね」

「変わっていることは、幼い頃の記憶を失っていることだけ」

「知ってる」

「母さんが父さんを殺した」

「その事件は一族の間では有名だ」

「でも、私は何も悪いことをした覚えはないし、国に逆らうなんて、そんな大それたこと」

「君が何をしたか、じゃない」


 涼夜は残念そうにかぶりを振った。


「大事なのは、君が何者であるか、なんだ」


 蓮実は溜め息をつき、眼鏡を外して、ハンカチで拭いた。額から飛び散った汗でかなり汚れていた。長い黒髪もボサボサに乱れている。


「私が何者かって、さっきも言ったでしょ。私は普通の大学生――」

「君は日本を滅ぼす力を持っている」


 涼夜の言葉に、蓮実は固まった。顔を向けたいのをこらえる。怖くて正視出来ない。


「面白くもない、冗談」

「冗談なんかじゃない」

「じゃあ、何? 私の目からビームが出て国会議事堂を破壊出来るとか、地球破壊爆弾が体内に埋め込まれているとか、そんな御伽噺のようなものを私が持っているってわけ?」

「それこそ冗談みたいな力だね。そこまで凄まじいものではない。でも、君が持っている力は、君のお母さんから受け継いだもので――」


 そこまで言いかけたところで、涼夜は口を閉じた。何事かと首を回してみると、涼夜は鋭い目で車両の奥のほうを睨みつけている。同じ方向へ顔を向けた。


 車両の連結部の所に、体格のいいサングラスの男が仁王立ちしている。夏なのに革のジャケット。迷彩柄のロングパンツ。短く刈り揃えた髪形もあって、まるで軍人のようだ。体の大きさゆえ、車両の空間を目一杯占拠している。


「姫とデートか、涼夜」


 低く、重く、響く声で、男は話しかけてきた。


「ご無沙汰だね、ヤン」


 涼夜は席を立つ。拳を握っている。自然と力の入った立ち方になっている。友好的な雰囲気ではない。


「あの人も、夜刀神……? それとも、アマツイクサ……?」

「夜刀神の仲間だ。でも、厳密には、違う」


 緊張した声音で、涼夜は返事する。


「あいつは、『南京の亡霊』だ」

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