第20話 疑惑
あれは小学六年生の時だった。
夏休みの宿題の読書感想文がまだ出来ていなかった夕華が、蓮実に助けを求めてきた。
すでに『アンネの日記』の感想文を書き終えていた蓮実は、丸写ししない、という条件のもと、夕華に完成稿を貸してあげた。
結果、たしかに丸写しではなかったが。
夕華はあまりにも稚拙に、蓮実の感想文を書き写していた。それは誰が見比べても、蓮実の文章を参考にしたとわかるものだった。
「長峯の宿題を写したんだろう!」
ホームルームの時間、教師の叱責を受けながら、夕華は懸命に「写してないです!」と否定していたが、目が泳いでいる様子から、他の生徒達は嘘をついているとわかっていた。
そこで、蓮実は助け舟を出した。
「浅井さんと私、一緒に相談して書きましたから、中身が似てるんです」
どう聞いても強引な理屈だった。当然、教師は「そういう余計なことは言わんでいい」と怒ったが、蓮実は動じなかった。
「本当です」
無表情に堂々と言い放つその様に、場の空気は少しずつ変化していた。教師に睨まれても、蓮実は目を逸らそうとしない。
教師は溜め息をつき、かぶりを振った。
「……まったく、浅井と違って、長峯は嘘をつくのが上手だな」
「嘘じゃありません」
「わかったわかった。お前には負けた。だけどなあ、浅井」
と、苦笑を浮かべながら、教師は夕華を指差した。
「お前、嘘をつく時は、もっとわからないようにやれよ」
※ ※ ※
最初に違和感を感じたのは、話の内容だった。
蓮実は、これが誰と誰の戦争かと尋ねた。
夕華は、夜刀神、と答えた。
なぜもう一方の勢力について話さなかったのか。なぜあえて夜刀神の名しか出さなかったのか。夜刀神と何が戦っているのか。どうして言わなかったのか。
次に違和感を感じたのは、霞ヶ浦を渡る前、国道でバイクのスピードを緩めたことだった。
なぜ、追撃が来ないとわかった?
霞ヶ浦を渡ってから、一度バイクを停めたのも、よく考えればおかしい。パーキングエリアでのんびり食事を取っているのも変だ。
相手はTPOをわきまえているから?
その相手についても、「奴ら」とオブラートに包んで話すだけで、具体的な名前は決して出してこない。ここまで来て隠す必要はあるのだろうか。
そして、決定的な違和感。
パーキングエリアで、夕華の携帯電話から、着信音が流れてきた。
トイレに行った時にマナーモードをオフにしたのかもしれない。だけど、蓮実は直感で、そうではないと思っていた。ある面で理屈に合わない。この状況でそんな無用心なことをするはずがない。
いつ、その場が戦場になるかわからないのだ。着信音どころか、携帯電話の電源を切っていてもおかしくないくらいだ。それなのに、不自然なほどに、夕華はリラックスしている。
疑えばキリはない。でも、信じ切ることも出来ない。
もしかしたら。夕華は。
※ ※ ※
板橋で高速を下りてから、それほど時間を置かず、新大久保のマンションの前に着いた。
夕華は蓮実を降ろすと、辺りを警戒するように見回した。それからバイクを路肩に停め、無言で中へと入るよう促してくる。不穏なものを感じつつも、蓮実は歩を進めた。夕華がついてくる。
ひとつ目の自動ドアを抜けると、ガラス張りの自動ドアに遮られ、クリーム色のエントランスが向こうに広がっているのが見える。二つ目の自動ドア横にある機械にキーカードを入れないと、ロックは解除出来ず、中に入れない。
「……ねえ、ここ、私の家だけど」
「わかってる」
「どうしてこんなとこに寄るの? 早く仲間の所へ行かないの?」
「その前に取ってきてほしいものがあるの」
「何?」
「蓮実のお父さんの、手帳」
エントランスに入るため、マンションの玄関の機械にキーカードを差し込むところで、蓮実は振り返った。
「父さんの手帳?」
「ええ。詳しくは後で説明するから。早く玄関を開けて」
急かされるが、なおも蓮実はキーカードを差そうとしない。高まる疑惑の念に駆られ、あることを聞かなければ、気が済まなかった。
「ねえ、夕華。叔父さんも夜刀神の一族だったんだよね」
「そうだよ。ねえ、早くして」
「つまり、あなたの仲間だったわけでしょ」
「あのさあ、時間がないんだけど。それがどうかしたの」
「だったら、どうして――叔父さんを見殺しにしたの」
夕華の顔から一切の表情が消えた。言葉を発しようとしない。
ポーカーフェイスを試みるだけ、成長したな、と蓮実は感じた。だけど、感情を隠すのが相変わらず下手すぎる。少なくとも沈黙するべき場面ではない。ここは苦笑いしながら聞き返すか、怒るか、どっちかの態度を取るべきだ。
「変なこと、言わないでよ」
「根拠はある」
指を三本立て、夕華の眼前に突きつける。
そのうち、人差し指を折った。
「まずひとつ目。助けに来たタイミング。やけに早かったよね。それはなぜ?」
「近くで見守ってたからに決まってるじゃない」
「なんで私を見てたの?」
「さっきも言ったでしょ。蓮実は夜刀神一族の姫なの。だからこっそり後をつけてたの。それのどこがおかしいの」
「ううん、おかしくない。でも、だったら」
と、蓮実は夕華を睨んだ。
「私を見守っていたのなら、叔父さんの車に爆弾が仕掛けられる瞬間も見ていたはずだよね」
「……!」
夕華の目に動揺が走った。その瞬間、蓮実の疑惑は確信へと近付いた。
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