第19話 ひとときの休息
途中でパーキングエリアに寄った。
「奴らもTPOはわきまえているから、そう簡単には襲ってこないよ」
と夕華は言っていたが、その「奴ら」が何者かわかっていない蓮実には、レストランの中で、トイレに行った夕華がやって来るのを待っている間、気が気ではなかった。
近くのテーブルで馬鹿騒ぎしている少年達の声量に怯える。目の前の席でラーメンをすすっている禿げた中年男性が時折こちらを見るのが気になる。果ては子どもがそばを駆け回っていることとですら生きた心地がしない。
やっと夕華が姿を現した時、本気で抱きつきたいと思ったくらいだった。
「どーしたの? 涙目になっちゃって」
のんびりした口調の夕華は、いつもの彼女らしさを取り戻している。先ほどまでのテキパキした様子が嘘みたいだ。その態度を見て、初めて、蓮実は自分が死線を脱したことを実感出来た。
ホッと安心すると同時に、空腹感が胃の奥からせり上がってきた。叔父の死を目の当たりにしたというのに、旺盛な食欲が湧いてきている事実に、自嘲気味に笑みを浮かべる。
親しい人が死んだ。親代わりの人だ。もっと体調に変化が起きるものだと思っていた。
それなのに、あろうことか。
自分がこうして生き延びていることを、心の底から、喜んでいる。
(泣かないと)
いつしか安堵の笑みを浮かべていた蓮実は、表情筋を緊張させ、険しい顔を作り出すと、無理やりにでも涙を流そうとする。
そんな彼女が、テーブルの上に置いていた手に、夕華はそっと手の平を重ねてきた。
「いいって。時が来たら、泣くもんだから。いまは、それでいいって」
蓮実は夕華の顔を見る。優しい目だ。
つまりは、この時は、素直に生きていることを喜んでもいい、っと慰められている。
今度は肩から力が抜け、ガクッとうなだれた。
「まだ何も頼んでないの? お腹減ってるでしょ」
「うん……夕華が戻ってきてから、って……」
「ごめんね。そりゃ怖いよね。私が注文取ってくる。何が食べたい?」
「味噌ラーメン……」
目の前の中年男性が美味しそうに食べているのを見ていると、自分も食べたくなってきた。
「わかった、ちょっと待ってて」
券売機へ向かった夕華は、ほどなくしてカウンターに食券を出し、番号札を持ってテーブルに戻ってきた。注文の品が出来上がるまで、数分かかる。
「そろそろ話しておくね」
夕華は周りに聞こえないよう、声のトーンを落として、話し始めた。
「長くなるから、要点だけかいつまんで説明すると、私達は夜刀神一族。古代日本で朝廷から住んでいる土地を追われた先住民族の末裔。細かいことは質問しないでね、ややこしいことがいっぱいあるから。まずは、ここまでは、理解出来る?」
「それは……」
頭は追いつかないが、早く話を進めてほしいので、ここは理解出来るということにしておく。蓮実はひとまず頷いた。
「そして、蓮実の叔父さんも、涼夜君も、実は同じ。色々と気にかけてくれていたでしょ。要するに、それは二人とも夜刀神一族ということで――蓮実、あなたも、夜刀神の末裔ということなの」
「さっきの話だと、私は、一族の女王の娘……姫」
「権威だけじゃない。能力も引き継いでいると言われている。だから、奴らはあなたを狙う。だから、私達はあなたを守る」
「ごめん。その、能力って、何?」
「……やっぱり無意識だったのね」
夕華はポケットから新聞紙の切抜きを取り出した。
「これ。蓮実に見せようと思って、持ってきた」
心臓がドクンと跳ねる。見出しを見ただけで、何の事件かすぐにわかった。
『茨城県玉造町で夫婦失踪』『現場には血痕』『残された子どもは記憶喪失』。
「叔父さんは、どの新聞やテレビでも、取り上げられなかったって――」
「あの人も真面目だから。それ、ガセネタで有名な三流新聞。どうせ載っていても大したことないだろうって、無視したんだと思うよ」
「おかしい、この記事。だって、私は、見てた」
母が父を刺し殺した光景を憶えている。その直後、母が包丁を振り上げて襲いかかってきたのも憶えている。正確には夢で見ただけだが、叔父もその事実は認めていた。だから、「失踪」はありえない。少なくとも父の死体は残っていないといけない。
「何もないのが、変だって? 全然変じゃないわ。一族の幹部が会議の結果、当時下した判断は、満場一致でこうだったみたいだよ」
と、夕華は力の篭もった眼差しで、蓮実の目を見つめてきた。
「『姫が能力で消し飛ばしたに違いない』って」
「能力、って……?」
その時、夕華の携帯電話から着信音が流れ始めた。電話を取り、通話口を手で押さえながら、二言三言短いやり取りをする。それから電話を切り、ぺろっ、と舌を出した。
「ごめん。幹部から怒られた。急いで東京に戻ってこいって。ご飯早く食べよ」
「う、ん。わかった……」
ちょうど注文の番号を呼ぶアナウンスが店内に流れ、夕華は二人分の食事を取りに行く。その後ろ姿を、蓮実は微かな違和感とともに、強張った表情で観察していた。
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