第14話 夜刀神の石碑

 田んぼに隣接した道を走ってゆく。いつしか谷間に入っていた。途中、何度か狭い道で、対向車とすれ違った。地元の農家の人かもしれない。反対側は山だから、待避するのもひと苦労だ。


 小山と小山に挟まれて、田んぼが奥までずっと伸びている。まさしく、谷。昨日の夢に出てきた風景と酷似している。ここで夜刀神伝説は生まれたのだろうか。


 最奥まで行くと、老人ホームが現れた。ネットの情報では、裏手の山に、目指す神社はあるとのことだ。


 車を邪魔にならない場所に停めて、歩いていくと、小さな池が現れた。池の中ほどに鳥居が立てられており、鳥居には「愛宕神社」と刻まれているが、ひと目見てそこがどのような場所であるか、蓮実には理解出来た。


椎井しいの池……」


 夜刀神が集まって、時の権力者の横暴に抵抗したとある、伝説の池。後世になって作られらたものかもしれないが、それでもお話通りのものが存在しているとなると、なんだか心楽しくなってくる。


 池の脇に、小山を上るための階段がある。だが池を挟んで反対側に、小さな像と、その台座に説明文らしきものが書かれているのが見える。池を回って、そちらまで行ってみる。


 兜をかぶった戦士の像。それは、夜刀神を最初に撃退した箭括氏麻多智のものか、それともこの地から追い出した壬生連麻呂のものか。よく見れば書いてあるのかもしれないが、それよりも台座に書かれている説明文のほうへ目がいった。



『「常陸国風土記」の行方郡に関係する伝承は二つある。


 一つは、継体期の箭括氏麻多智による新田開発で神の土地と人間の土地の境界を設け、この椎井池の上に今でも鎮座する「夜刀の神」を祀ることになったものである。


 二つめは、古代常陸茨城国造をつとめ行方郡を建てる際、功労のあった壬生連麿の大規模水田開発にちなむものである。孝徳帝七世紀の中頃に、麿はこの谷に堤を築き、溜池を整備し、水田の拡張と溜池による水田経営を試みたと思われる。現在も玉造の谷奥に多くの溜池が残り、稲作農業に欠かせない存在となっている。


 また、ここ泉集落のある台地には、当時の集落跡と推測される原遺跡がひろがり、行方台地の分水嶺を走る開拓道路は古代の駅路の名残と目され、この地の東に「曽尼駅家」跡の伝承地がある。』


 常陸国風土記を読んだ蓮実は、行方郡に関係する伝承はこの案内文に書かれている二つだけではないことを知っているので、(なんて適当なこと書いてるんだろう)と肩をすくめた。一方で、非常にわかりやすく書かれているな、とも感じた。


 もしも夜刀神が古代からの先住民のことを表しているとして、麻多智による土地開発の際は、夜刀神一族と麻多智との間には、それほどの軋轢は生まれなかったのかもしれない。闘争の末に境界線を引いて和解した、といったところだったのだろう。つまり、麻多智は既存の土地を開発しただけで、それ以上手を広げようという欲は持っていなかったのだと考えられる。


 しかし壬生連麿は違った。谷に堤防を築いて、人工的な池を作り、水田を拡張しようとした。支配者による勝手な土地開発は、麻多智によって設けられたはずの不可侵領域を簡単に飛び越えてしまった。それゆえに、夜刀神一族は激しく抵抗した。その結果が、住み慣れた土地からの永久追放である。


 彼らは、どれだけの無念を抱えてこの地を去っていったのであろうか。


 遥か古代のことへと思いを馳せ、また昨晩見た夢のことを考えながら、池の反対側へと戻って、坂を上っていく。途中から階段になったので、やや駆け上がるように一段飛ばしで進んでいくと、すぐに高台の上の神社に到着した。愛宕神社だ。


 木々のざわめきと鳥の鳴き声。のどかであると同時に、息が詰まりそうな静けさも流れている。それこそ蛇でも草むらから這い出てきそうな雰囲気だ。


 神社の裏手に回る。


 心臓が跳ねた。


 インターネットで調べたから知っていたが、本当にあるのを見て、微かに興奮を覚えた。


 注連縄を巻かれた石碑がポツンと立っている。三方を金網で囲まれていて、どこか物々しい佇まいだ。


 その石碑の正面には、夜刀神、と書かれていた。


「やっぱり、ここ、なんだ……」


 蓮実は溜め息とともに頷いた。


 もちろん、本当にこの場所が伝説そのままの土地であるかどうかは、誰にもわからない。本来は違った土地の伝承かもしれない。それでも、この神社へ実際に足を運んだことには、大きな意味があると蓮実は考えていた。


 何枚か写真を撮り、神社の様子をメモに取る。木々に囲まれた空間は、夏の晴れ空のもとでも清涼感を与えてくれ、かなり居心地のいい場所だ。一方で、何か魑魅魍魎の気配を感じさせるような不気味さもあり、どちらかといえば長居をしたいような場所ではなかった。だから、休憩も兼ねて五分ほど滞在して、もう見るべきものもなくなったので、早々に退散することにした。


 神社を出ようと、階段に足をかけた、その時だった。


「やはり来たな」


 まさかいるはずのない人の声が聞こえ、体が硬直する。


 声をかけた男は、背後から近付いてきて、蓮実の肩を掴むと、力任せに振り向かせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る