第15話 開戦

「叔父さん……」


 いつからいたのか。


 叔父は目を怒らせている。


「なぜ言う通りにしなかった。なぜここへ来た。お前がこの場所へ来るということがどういう意味を持つのか、教えてやろうか」


 ガッシリと両肩を掴まれて、噛み付かれんばかりの距離で正面から怒られる。


「痛、い」


 蓮実は涙目で訴えるが、叔父は力を緩めようとはしない。


「帰るぞ。一刻も早くここから離れるんだ」


 そう言って、叔父は肩から手を離した後、今度は腕を強引に引っ張って階段を下り始めた。


 自分の意思とは関係なく、無理やり足を運ばされているので、何度も石段を踏み外しそうになる。


「ちょ、っと。叔父さん」


 蓮実は暑さと恐れで汗を流しながら、抗議の声を上げる。だが、叔父は耳を貸そうとしない。どこか焦っている様子も感じ取れる。


 やっとのことで小山を下りて、ホッとひと息つく。ようやく叔父はいささか乱暴な行動であったと反省したのか、腕を引っ張るのをやめて、蓮実が息を整えるのを待っていた。


「どうしたの、叔父さん。急にこんな所へ来て、いきなり『帰るぞ』なんて――」


 まるで。


 何かから逃れようとしているかのような。


「……蓮実」


 叔父は横にある椎井の池をチラリと見た。


「状況が変わった」

「何か、あったの?」

「ニュースは見ていないのか」

「ずっと散策してたから。車もラジオは聞かないし」

「そうか」


 言葉少なく、叔父はただ頷いた。そこはかとなく顔色が悪い。


 木々のざわめきと蝉の鳴き声が、鼓膜に、湿気とともに絡み付いてくる。静けさという名の圧力が、胸焼けを起こしそうな不快感を伴って、じわじわと迫ってくる。


 沈黙に耐えられそうになくなった時、叔父は口を開いた。


「戦争が始まった」

「戦……争?」

「そうだ」

「どこで」

「この国で、だ」


 顔が引きつる。この日本でおよそ聞くことのないと思われる言葉。どこかの国で戦争が始まった、というのなら変な話ではない。しかし、叔父は、他ならぬこの日本で、戦争が始まったと言っている。


「冗談」

「を言っている顔に見えるか?」


 にこりともしない叔父の顔を見て、蓮実はかぶりを振った。


「そして、この戦争で真っ先に狙われるのは、間違いなくお前だ」


 叔父の言葉に、蓮実はまたもブンブンと首を横に振る。今度は激しく、否定の意味を込めて。叔父の言っていることが全然わからない。狙われる、とはどういうことなのか。なぜ自分が狙われないといけないのか。そもそも誰と誰が戦争をしようとしているのか。まるで見当が付かない。


「わからない。叔父さんの話、全然わからない」


 母が父を殺している夢を見るようになった。


 涼夜と再会し、夕華が失踪した。


 警察を名乗る謎の二人組が現れ、涼夜には深入りするなと警告を受けた。


 そして叔父からは玉造町へ行くことを禁じられ、今度は、「戦争が始まった」などと理解不能な話を振られている。


 蓮実の脳は事態を受け止めきれずに混乱している。


「奴らはまず先手必勝と思っているだろう。ここから先は一瞬たりとも油断は出来ない。とにかく一刻も早くこの場所を離れたほうがいい。詳しい説明は後でする。とにかく車に乗れ」


 叔父に促され、蓮実は自分の車へと歩いていく。叔父は、十メートルほど離れた場所にワゴン車を停めている。向こうのほうが谷の出口側に寄っている。だからか、運転席のドアに手をかけた叔父は、蓮実に声をかけた。


「先導は俺がする。遅れずについてくるんだ」


 蓮実は頷き、自分も車に乗ろうと、ドアに手をかけた。




 視界が白光で包まれる。




 熱風が全身に叩きつけられる。




 風圧で身体が弾かれ、尻餅をついた。




 音がくぐもってよく聞こえない。耳の機能がおかしくなっている。




 目も、強い光のせいで、あたりが霞んで見えていたが、状況を把握出来るほどには徐々に回復してきた。




「え――?」


 最初に口をついて出たのは、戸惑いの声だった。


 叔父の車は大破し、辛うじて判別出来る程度に残ったボディから、黒煙と炎の柱が上がっている。戻ってきた聴力が、燃え盛る炎の音を捉えた。


 道の脇に、千切れた肉体が四散している。後頭部をこちらに向けているのでわかりにくいが、横倒しに転がっている頭部は、髪型から察するに、叔父のものだ。木の枝に赤黒い物が絡みつき、根元には腕や脚が捨てられている。


 何もかもが唐突に――戦争の火蓋は切られた。

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