私と、君と、アイドルと4(玲視点)
学校のチャイムが鳴り響き、クラスの皆が解放感に包まれる。私もそのうちの一人で、今日もようやく一日が終わったとほっと息を吐く。
七時間目がある日のホームルームが終わった後は、この季節だと既に陽が傾きかけている。校舎の三階から見渡す街並みはオレンジに染まり、街の向こう側の空は紫色に染まりつつあった。
私は手早く荷物をまとめると席を立つ。
「会長~! ちょっと相談したいことが――」
「すまないが、今日は用事があるんだ。また今度にしてくれないか?」
私に声をかけてきたクラスメイトの言葉を遮り、出口に向かって歩き出す。普段はクラスメイトの相談事を断ったりはしないが、今日に限ってはどうしても外せない用事があって相談に乗ることができない。
「あ、ごめん! また今度でいいよ! バイバイ!」
「助かる。その時は最大限力になろう。では、さようなら」
クラスメイトに別れを告げて教室を出る。そのまま廊下を歩いて階段を降り、昇降口で靴を履き替える。
一度家に帰って、着替える必要がある。化粧も多少はした方がいいだろう。普段はしていないが、やり方自体は美優から教わっている。
それから、有紗にも一度連絡を入れた方がいいかもしれない。
校門をくぐり、学校の外へと歩を進める。街路樹が夕陽の光を反射して、キラキラと輝いていた。
ひび割れたアスファルト。公園で遊ぶ子供。点滅する信号機。オレンジと紫に染まる雲。
美優との話し合いから一日。今日、私と有紗はシュウを説得するため、シュウをいつものファミレスに呼び出していた。
「別に難しいことを言うつもりはないよ?」
ほんの少しだけ口角を釣り上げた美優は、笑顔のままそう言葉を続けた。
私は、そんな美優の様子に僅かに体を固くして身構える。
無理を言っているのは私たちだという自覚はおおいにある。事の正当性は美優にしかなく、私たちは異物ではじき出される存在だ。だから、美優が何を言っても私たちは反論する権利など持ってはいない。
私たちのシュウに対する行動を認めてもらっただけで感謝しなければならない。
「シュウ君の一番はぜーんぶ私のもの。それだけだよ。たったそれだけ」
「それは、そのつもりだけど……?」
美優の言葉に、有紗が呟く。
元より私たちは美優から一番を奪えるなんて思ってはいない。だから、有紗の呟きもその通りなのだが――
「キスは――もう貰ったけど……えっちも、子供を作るのも、シュウ君の気持ちも……全部私が一番。それが守れるなら、私も妥協して二人のことを受け入れてあげる」
美優の言葉に、私は胸の内から言葉にならない気持ちが沸き上がってくるのを感じた。その感情は、まるで胸をギュッと掴まれたような息苦しさで、私は思わず目を伏せてしまった。
別に美優に対する怒りだとか、敵愾心だとか、そういった類の感情ではない。だが確かに私は美優に気圧されて、そして楔を打ち込まれたのだと感じてしまった。
私と有紗が何も言えずにいると、美優は一人で言葉を続けた。
「一緒にシュウ君を支えていくことになっても、やっぱりその中で序列っていうのかな? そういうのはつけないと……ね? みんな平等に! っていうのは美しい愛かもしれないけど、それじゃあシュウ君が気を使って疲れちゃうから」
そう言葉にした美優は有無を言わせない迫力があった。
「シュウ君には、私が二人のことを受け入れたって話してもいいよ。そっちの方が話を通しやすいでしょ?」
そんな美優の言葉に、私は「……わかった」と一言返すのがやっとだった。
昨日は、美優の雰囲気に気圧され、圧倒されてしまったという自覚がある。帰宅した後によくよく思い返してみれば、美優が出してきた条件は私にとってそこまで重要なことではなく、私の行動を何ら阻害するものではない。
そもそも私はシュウの傍に誰がいようが関係ない、という思いでこれまでやってきた。私がシュウの傍にいて、私がシュウの役に立つように尽くせればそれでよいと思っているのだ。
美優の言った条件は『現状』を改めて言葉にして確認したに過ぎず、私や有紗はまだ美優の言った条件を脅かす存在にすらなれていない。
美優もそれを理解しているはずだが、今のうちに牽制という意味であの条件を口にしたのだろう。
夕陽の差し込む自室で、制服を脱いで私服に着替えていく。
大きめのシルエットのビッグニットトップスに、薄手の黒いタイツ。黒のレザーショートパンツを履いて、それから化粧台の前に座る。
下地を塗って、ファンデーションをぽんぽんと肌に乗せていく。アイブロウで軽く眉を整えて、アイシャドウ、アイライナー、マスカラで目の周りや目元を整えていく。
チークで頬を少しだけ桜色にして、色付きのリップクリームで唇に朱を差す。
全体的に薄めに、ナチュラルに見えるように化粧を施していく。
爪の先も整えて、ほんのり色のついたクリアネイルを爪に塗って光沢を出す。
お気に入りの腕時計を左腕に付けて、スマホや財布といった小物をトートバッグに入れる。
今まで化粧などというものはほとんどしたことはないが、一世一代の大勝負をこれからするのだ。見た目をいくら整えても整えすぎるということはないだろう。
「ふふ……」
ふと、中学に上がる頃に兄が家を出て行った時のことを思い出し、思わず笑みが零れた。
あの頃は一人の男性にここまで心惹かれて、自分のすべてを捧げようと思うようになるなんて考えもしなかった。
味方のいないこの家と、味気のない学校生活で精神をすり減らしてしまうのだろうと漠然と不安を抱いていたものだ。
それが、どうだ。鏡の中の私は好きな人とこれから会えるという期待に、頬が緩んでしまっているではないか。
もちろんこれから有紗と二人でシュウの説得をしなければいけないという難題が待っているのは理解しているが……それでも、シュウと会えるというのは嬉しいものだ。
「……ん? 有紗から着信か」
バッグに入れたばかりのスマホを取り出し、通話ボタンを押す。スピーカーから僅かに緊張したような有紗の声が聞こえてきた。
『玲、もう家出た?』
「いや、まだだ。とはいってももう準備は終えたから今から出るところだ」
『そっかー……ねえ、玲』
「なんだ?」
有紗と通話をしながら部屋を出て、玄関に向かう。
肩と耳でスマホを挟みながら、黒のロングブーツを履いていく。
『今日、上手くいくかな……?』
玄関のドアノブに手をかけ、外に出る。
外はすっかり陽が落ちていて、空が紫色から濃紺へ、それから黒へと染まっていく最中だった。
「上手くいくさ。私たちの気持ちをぶつければ、シュウは絶対に無下にはしない」
そう有紗に言い聞かせながら、私はシュウと有紗と待ち合わせているファミレスへの道を歩き始めた。
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