私と、君と、アイドルと2(玲視点)

 去年、私たちがまだ高校二年生だった頃の話だ。


 私は生徒会室で一人、昨年度の生徒会役員からの引継ぎ資料を読んでいた。


 生徒会というと、創作物の中では学生にあるまじき権限を持っていて、教師よりも学校運営に深くかかわっているといったイメージがある。


 けれども現実は全くそんなことはなく、私たち生徒会にできるのはせいぜい生徒と教師の間に立って調整することくらいで、それ以外の仕事は各委員会のまとめ役や尻拭いといった地味なものばかりだ。


 そんな生徒会で唯一生徒側から教師に意見を通すことができるのが、生徒会役員の推挙だった。


 私はその権限を使ってシュウを生徒会副会長に推挙した。シュウはなんだかんだと言い訳をしつつも、最後にはそれを受け入れてくれた。


 自分から望んで生徒会に入ったわけではないにもかかわらず、シュウはよく働いてくれた。私の補佐をし、他の役員と協働し、後輩の面倒をよく見てくれた。


 それを私は眩しい気持ちで眺めていた。それと同時に、心の隅っこに僅かに罪悪感も感じていた。


 シュウは元々生徒会に入るつもりはなかったと言っていた。私の選挙の手伝いをするだけで、その後のことまでは考えていなかったと。


 それを半ば無理やり生徒会に誘ったのは私だ。シュウが生徒会に所属して、自分の時間を削って仕事をしてくれているのは、私のわがままが原因だ。


 美優がいない隙を見計らって、シュウを私のパーソナルスペースとでも呼ぶべき場所に引きずり込んだ。


 これは卑怯なことだ。


 これは恥ずべき行為だ。


 頭ではそう理解しているのに、私の心は『シュウと二人きりで過ごす時間』を作り出せるこの状況に、抗う術を持っていなかった。


 そんな私に沸き上がる、行き場のない罪悪感。心に棘が刺さったようなそれを、私は引き抜く方法を知らなかった。


「何か悩んでんの?」


 私一人しかいなかったはずの生徒会室に、いつの間にか一人の男子生徒が立っていた。


 清潔感のある身だしなみに、さらりと流れる黒髪。線は細く見えるのに、制服の裾から垣間見える腕や首元には確かな筋肉が見えていて。


 まるで少女漫画に出てくるヒーローのような男の子。


「シュウ……」

「なんか沈んでるように見えたけど……大丈夫か?」


 私が悩んだり落ち込んだりすると、すぐに察して手を差し伸べてくれる。そんなことをされるから、私はシュウの傍から離れがたくなるというのに。


「ん……シュウを生徒会に誘ったのは迷惑ではなかったか、と改めて思ってな」

「なんだそんなことか」


 私の悩みに、シュウは軽い調子で笑顔を見せた。


「俺は成田と一緒に仕事ができて楽しいよ。こんなこと、高校生の今しかできない貴重な経験だ。迷惑だって? むしろ生徒会に誘ってくれてありがとうって感謝してるくらいだ」


 するりと私の心に入り込んで、濁った私の心を溶かしてくれる。


 また一つ、シュウから離れられなくなる理由を積み上げた瞬間だった。











「シュウは私のだ、と言ったな? 美優」


 私と有紗の告白を聞いて、それまで冷静さの仮面で覆い隠していた内心の激情を垣間見せた美優。


 中学で出会ってから五年以上。有紗に次いで美優と親しくしてきたという思いのある私だが、その付き合いの中で美優が怒りの感情を露にしたところは見たことが無かった。


「そうだよ、玲ちゃん。私はそう言ったんだよ。聞こえなかった?」

「いいや、よく聞こえたとも」


 美優は常に軽く微笑んでいるような表情をしていて、他人に対して攻撃的に接することはなかった。仲の良い友人には多少砕けた接し方をしたり、邪険に扱ったりといった面もあるが、それはあくまで友人のじゃれ合いの範囲内での話であって、本気でそういった行動をしていたわけではない。


 だから、私は今初めて美優の怒りの感情を目にして、それを向けられていた。


「聞こえてたんなら、もういいよね? この話し合いはおしまい」

「ちょ、ちょっと美優!」


 だが、その怒りの表情はすぐに消え失せて、美優は再び笑顔を顔に張り付けた。席から立ち上がろうとする美優に対して、有紗が声をかける。


「なあ美優。美優は少し勘違いしているな」


 そんな美優に対して、私は努めて冷静に見えるように言葉を続けた。殊更にゆっくりとコーヒーに手を付け、顔には少しだけ笑みを張り付けるように。


 内心の緊張を悟られないように、必死に取り繕って。


「勘違い……?」


 私の言葉に、席を立とうとしていた美優が怪訝な顔になり、その動きが止まる。私はそれを見てから、さらに言葉を続ける。


「シュウが美優のものだと言ったが、それは違う」

「……なに? シュウ君は皆のものとか言いたいの?」

「そうではない。ただだと言いたかったんだ」

「逆……?」


 呟く美優に、私が何かを言わんとしているのを感じて黙っている有紗。


 ここが正念場だろうか。まだ先があるのだろうか。


 普段『完璧』なんて言われることのある私だが、所詮はこの程度だ。人の心なんて完全にはわからない。恋心や人を愛する心なんてそれこそ千差万別で、私程度の人間では到底理解しきることはできない。


 それでも、ここで引いてしまったら駄目だということはわかる。美優が私の話を聞いているうちに、どうにかしなければいけないことだけはわかるのだ。


 だから私は、内心の恐れや不安を顔に出さないように必死に取り繕いながら、美優に告げる。


「シュウが美優のものなのではない。なのだろう? この二つは、似ているようで全く違う」

「……」


 私の言葉に美優が押し黙る。浮かしかけていた腰を再び席に下ろし、私と有紗に目を向ける。


「美優の今までの行動は、美優自身が『シュウの所有物』であることを前提にしていたものだ。自分を磨いて、アイドルになったのもそうだろう?」


 ここで美優を説得する。よしんば説得できなくとも、美優に私たちの話に一考の余地があると思わせる。


「……そんなこと」

「ない、とは言わないよね?」


 私の話に有紗が乗る。


 私たちの長い夜は、まだ始まったばかりだ。

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