私と、君と、アイドルと(玲視点)
落ち着いた雰囲気の喫茶店だった。
店内は柔らかな照明で照らされ、落ち着いたジャズがBGMとして流れている。個室であるにもかかわらず壁には小さな絵画やレトロな時計が飾られていて、私たちの目や耳を楽しませてくれた。
換気をされているはずなのになお、微かに漂う芳ばしいコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。窓の外には私たちの住む街に夜の帳が降りていて、昼間とはまた違った顔を覗かせていた。
どこかこの空間だけ切り取られてしまったような、そんな錯覚を覚える喫茶店の個室で。
「有紗、玲ちゃん」
私――成田玲と友人の白神有紗は、今世間を賑わせている天才的なアイドルで、私たち共通の友人にして、同じ男の人に恋い焦がれる女の子。
「私が、二人のその話を聞いて納得するとでも?」
私たち二人の話を聞いて、笑顔をその顔に張り付けた高島美優と向かい合っていた。
私は、美優の笑顔に圧倒されていた。普段友人として私に微笑みかける表情とはまったく別種のその笑顔から、まるで威圧感とでも呼べるようなものを感じていた。
美優の笑顔は、誰もが見惚れるほどに完璧なものだ。まるで著名な彫刻家が己の理想を詰め込んだような造形で、その雰囲気は柔和でありながら瞳の奥には誰にも負けはしない意志の強さが感じられる。
私たち三人が集ったこの個室は静かで、お互いの息遣いまで鮮明に聞き取れる。有紗が息を飲む音が隣から私の鼓膜に伝わり、そんな有紗の様子を見た美優の笑顔がますます深まった。
「二人が何を言っても、それはただの言い訳。私とシュウ君の二人だけの完璧な世界に土足で乗り込もうとしてくる、それに理解を示してほしいなんて……」
美優の表情も雰囲気も崩れない。ただ、言葉を口にするだけで、怒りも感じられない。
「自分のことを恥知らずだって、思わないの? 二人とも」
美優の言葉に、思わずといった様子で有紗が言葉を口にした。
「思ってるからこそ、美優に正直にこうやって話してるんじゃん?」
「だったらこういうことはやめて欲しいな」
「そんなに簡単に諦められるなら、今ここでこうして話してないッ」
「ふーん……まあ、そうだよね」
テーブル越しに向かい合って座る美優は、時折手元にあるコーヒーに手を伸ばす。その動作はゆっくりと落ち着いていて、余裕すら感じられる。
美優の言葉に語尾を鋭くした有紗とは対照的な姿だった。
「玲ちゃんは?」
そして、そんな美優の言葉の矛先は、当然ながら私にも向けられる。
事ここに至って、美優を刺激しない言葉なんていうものは存在しないだろう。私や有紗が何を言ったところで、美優はその一つ一つに思考を巡らせるはずだ。
「私も、概ね有紗と同意見だ」
だから、ここは下手に言葉を重ねて理屈をこねるよりも、まずはストレートに美優に向かい合うべきだ。私はそう判断をして、言葉を飾ることなく自らの気持ちを美優に告げた。
「世間一般から見て正しいのは美優で、間違っているのは私たちだ。横恋慕だとか、略奪だとか、そういった思いを美優が持つのも仕方ないだろう」
「シュウ君とお付き合いしてるのは私だからね」
「そうだ。そして私はそのことについて否定するつもりは毛頭ない」
「否定されたら困っちゃうよ」
美優はあくまで冷静に私たちと向き合っている。心の中ではおそらく私たちに対してドロドロとした感情を溜め込んでいるだろうが、それをおくびにも出してこない。
「私だって美優とシュウが付き合ってるのを否定したりしないよ。ようやくかーって思いもあるくらいだし!」
「ふふ……ありがとう、有紗。その言葉は素直に受け取っておくね?」
頭で理解しているのか、心で本能的に感じているのかまでは定かではないが、美優は冷静さを失ったら負けだと悟っている。
「シュウとはどこまで進んだんだ?」
「んー……とりあえずキスまで、かな?」
冷静さを失い、感情的に振舞ったら私たちが絶対に引かないと思っているのだ。だからあくまで冷静に、理性的に振舞うことで『私と有紗の主張』を切って捨てようとしている。
「え”!? もうキスしたの!?」
「彼女なんだし、当然だよね?」
それならば、まず私がするべきことは何か。どうすれば現状を打開できるのか。
簡単だ。美優の冷静という仮面を無理やりはぎ取ればいいのだ。
「美優」
「何? 玲ちゃん」
美優の冷静さを失わせるものは何か? 興味をひかれる話題は? 反応せざるを得ない話は? そんなものは一つしかない。
だから私は、美優に今日の放課後にあった事実を話した。
「私は今日、生徒会室でシュウに告白した」
「……は?」
日本中のファンを魅了するその可愛らしい唇から、普段よりも幾分低い声が漏れ出した。ほんの少しだけ、美優の冷静さの仮面が剥がれる。
「放課後、生徒会室でシュウとたまたま二人きりになってな。私から告白させてもらった」
「……それで?」
「私をずっと好きにしていいとも言ったな。告白の返事自体は保留させてもらったが」
「……ッ」
そう美優に告げる。嘘を言うときは真実の中に嘘を混ぜるのがいいらしい。たまたま二人きりになったわけではないし、告白の最中にずっと好きにしていいなどと言ったわけではないが……美優の冷静さを失わせるためのちょっとした言い回しということで許してもらおうか。
美優の表情は変わらない。相変わらずの完璧な笑顔だ。だが、その表情に一瞬だけ苛立ちや怒りといった感情が浮かんだ瞬間を私は見逃さなかった。
瞬きの間に元の笑顔になっていたが、これでももう五年以上の付き合いだ。私は美優の感情が私の話によって揺さぶられていることを確信した。
そしてそれは、私以上に美優との付き合いが長い有紗も感じ取れたみたいで。
有紗が私の意図をくみ取ったかどうかは定かではないが、有紗もまた美優の感情を揺さぶろうと自らのことを美優に告げた。
「あたしも昨日の夜シュウにメッセージで告白した。夕方は美優に邪魔されちゃったし」
有紗の言葉に、美優は目を伏せた。それから、もう一度ゆっくりとした動作でコーヒーを一口飲むと、長く長く息を吐いた。
「……ねえ、二人とも」
美優の声に、私の心臓が大きく脈打った。決して大きくはないその声が、私たちのいる個室に広がり、溶けていく。
さっきまでの冷静な表情が徐々に剥がれ落ち、その仮面で覆い隠していた美優の感情が露になる。
「――シュウ君は私のだよッ。誰にも渡さない……!」
私と有紗の告白。その報告で剥がれ落ちた美優の仮面。
本番は、これからだった。
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