あなたは私の幼馴染で、王子様(美優視点)

 ある夏の日のことだった。


 茜色に染まる空と、不気味に伸びる真っ黒な影。


 夕焼けの赤色で街が燃えてしまいそうな錯覚をするような、そんな日のことだ。


 私は友達と遊んだ帰り道で、その日はシュウ君とは別々に行動していた。


 その日遊んでいた友達の家は私の家とは離れていて、少し友達の家を出るのが遅くなった私はその真っ赤に燃えるような夕日を背に受けながら一人家までの道を歩いていた。


 この時の私はまだ小学生で、夕方の時間に一人で出歩くなんていう経験がほとんどなかった。それに加えて目の前に伸びる自分の影が、自分の身長なんかよりもよっぽど大きくなっていて、なんだかその影が不気味に思えたのだ。


 突然口元がぱかっと開いて赤い口腔が口を覗かせるだとか、まあ小学生の頃はそんな難しくは考えてなかったけど。でも不気味に感じていたのは確かで。


 私は心細くなって、家路を急いだ。何故だか後ろから誰かに追いかけられているような気もしてきて、普通に歩いていた速度から早歩きへ。それから我慢できなくなって走り出して。


 根拠なんてないし、私がただ自分勝手に不気味に感じているだけで、後ろには何もないこともわかっている。何度も振り返って確認した。でも自分の気持ちはそんなことじゃ抑えられなくて、私は泣きたくなってしまった。


 目と目の間、鼻の上――眉間に力を込めて、涙が零れないようにする。こんな何もないところで泣き出すなんて、あまりにも痛い子だ。それは私が普段シュウ君の気を引きたくてやっているドジなフリとは全く違うものだ。


 だから私は泣かないように、何でもないように自分に言い聞かせながら足を必死に動かした。


「おーい、美優!」


 そんな私に届いた、私を心配する優しい声。


 まだ声変わりする前の、小さな男の子特有の女の子とはまた違った高い声。


 私のよく知る、私が一番大好きな声。


「シュウ君……!」

「おー、美優。こんな時間になっておばさんたち心配してたぞ。早く帰ろうぜ……って、美優、泣いてんのか?」

「な、泣いてないし……!」


 おそらくパパかママに言われて私を迎えにきてくれていたであろうシュウ君に、私は走っていた勢いのまま飛びついた。


 突然のことでもシュウ君はいつも通りで、私が泣きそうになっていたことにもすぐに気づいてくれて。


 私は意地を張って泣いてないなんて言ったけど、本当はシュウ君の姿が見えた瞬間少し泣いてしまっていた。


「ふーん……ま、早く帰ろうぜ。今日はカレーだってさ!」

「……うん」


 私がなんで泣いてるのかとか気になっただろうに、そこに特に踏み込んでくることなく優しく接してくれるシュウ君。私はシュウ君のそんな優しさに甘えて、シュウ君と手をつなぎながら家まで帰った。


 幼い頃の、幼馴染同士の淡い思い出だ。






「奈々さん。少し相談があるんですけど」

「んー? なにかな、美優ちゃん」


 シュウ君に衝撃的なことを言われた翌日の仕事場で、私は私のプロデューサー兼マネージャーである奈々さんにとある相談を持ち掛けていた。


「私、アイドル辞めようと思ってるんですよね」

「――え!? ちょ、噓でしょ美優ちゃん!?」


 番組撮影のために用意された私専用の楽屋で、私は奈々さんにそう告げた。高い身長とメリハリの利いた体を黒のパンツスーツに包み、きっちり整えられたショートカットの艶のある黒髪。フレームレスの眼鏡をかけた奈々さんは、自分が芸能人になればいいのにと思うほど容姿が整っている。普段はキリっとした態度でいるけど、本当は上がり症で知らない人に話しかけるのも、話しかけられるのも苦手なのを頑張ってできる女の仮面で隠している。


 そんな奈々さんの顔が、私が告げた言葉で驚愕に染められていた。


「ちょっと我慢できないことがありまして。アイドルしてるどころじゃなくなったと言いますか」

「いやいや、そんなのいきなり言われても困りますって! え、もしかして昨日の電話の件ですか!? それなら謝りますから、アイドル辞めるなんて言わないでよぉ!」


 私のスケジュール管理やプロデュース計画が入ったタブレットを放り投げて私に縋りつく奈々さん。いや、タブレット大丈夫? それ壊れたら大変じゃない?


「昨日の電話の件じゃないですよ。昨日のは昨日怒ったので終わりです。というか、私の話を最後まで聞いてください。確かにアイドル辞めるって言いましたけど、それは結果的に辞めることになるかもって話で、別に今すぐ辞めるわけじゃないですよ」

「え、そうなの? それならそうと先に言ってくださいよ! 勘違いしちゃうじゃないですか!」

「いや、いきなり縋りついてきたの奈々さんじゃないですか……」


 私の言葉に安心したのか、奈々さんは私から離れると自分で放り投げたタブレットを拾い上げた。「あー! ちょっと傷ついてるー!」なんて叫んでいるけど、画面が割れたり壊れたりしていないだけマシだと思う。最近のタブレットって頑丈なんだね。


 タブレットの状態を確認して落ち着いたのか、奈々さんは近くにあったパイプ椅子に座ると話の続きを求めてきた。


「この写真なんですけど」


 私は自分のスマホを操作して一枚の写真を奈々さんに見せる。


 それは私とシュウ君が下校途中で二人きりで談笑している写真。


 私とシュウ君にとっては日常の風景で、この十数年間欠かしたことのない大事な大事な私とシュウ君だけの時間だ。


「美優ちゃんと幼馴染の男の子ですね。シュウ君でしたっけ? 彼、結構カッコいいですよね。身長もそこそこあって体つきもがっしりしてるし。一回あったときもしっかりしてそうな感じでしたし。うちの事務所でデビューしてくれないかなぁ……」

「私のために努力してくれてますからね、シュウ君は。カッコイイのなんて当たり前じゃないですか」

「あー、うん……そうですよね! それで、この写真が何か? ……ていうかこれ、美優ちゃんが撮った写真じゃないですよね? 画角的に少し離れたところからズームで撮ったような感じしますし」


 奈々さんに見せている写真は、まさにそんな感じで撮影された写真だ。私が自分で撮るならスマホのセルフィ―で自撮りする。シュウ君とくっついて。


 でもこの写真はそうじゃなくて、ただ単にシュウ君と普通に歩いて帰っているところを第三者的な視点から撮影されたものだ。だから、必然的にこの写真を撮ったのは私じゃないということになる。


「まあ、週刊誌の素人記者が撮った写真なのでそうですね。私が撮った写真じゃないです」

「週刊誌の記者が……え!? それってまずくないですか!? ていうかなんでそんな写真美優ちゃんが持ってるんですか!?」

「あまりにも素人すぎて盗撮してるのが丸わかりだったので。警察呼ぶ代わりに撮った写真のデータ全部貰って、マスターデータはその場で全部消してもらいました」

「えぇー!? なんでそんな危ないことしてるんですか!? 美優ちゃん、自分が今超人気アイドルだっていう自覚ありますか!? 実は無いですよね! あったらそんなことしてないですもんね!?」


 驚きすぎてタブレットを落としそうになって、慌ててキャッチする奈々さん。今度落としたら流石に壊れるかもしれないしね。


「自覚はありますよ。あるからこうやって相談してるんじゃないですか」

「自覚がある人の行動じゃなーい! そもそもお付きの人もつけずに堂々と学校通うとかもホントはやめて欲しいんですよこっちは!」

「だってそんなの付けたらシュウ君と一緒の時間が汚れるじゃないですか。絶対嫌ですよそんなの。私、最初に言いましたよね? 


 奈々さんの態度に、私も少し声を低くして告げた。別に怒っているわけじゃないけど、奈々さんには今一度私との条件をしっかり理解してもらわないといけない。


 私と奈々さん、どっちの立場が上とかはない。会社の組織的な視点から見れば、プロデューサーをしている奈々さんの方が上なのだろうけど、プロデューサー兼マネージャーをしているところからわかる通り、うちの事務所はそんなに大きな事務所じゃない。


 うちの事務所は私が圧倒的な稼ぎ頭。私がアイドルをしなくなって困るのは私じゃなくて事務所の方だ。


「……『シュウ君との時間を邪魔しないこと』ですよね、覚えていますよ。だから美優ちゃんの言う通り、時間の許す限り以前と同じように過ごせるようにしてるじゃないですか」

「そうですね。だからその代わりと言ってはなんですが、私もできるだけ事務所の言うことには従っています。ただ、そのせいでシュウ君との時間が減ってるのも事実です。だからか、昨日シュウ君にこんなことを言われてしまいました」


 そこで私は一旦言葉を区切る。これから口に出すことは、できれば一生シュウ君の口から聞きたくなかった言葉だ。そんな言葉を口にするのは、私の精神に多大なダメージを負うのは間違いない。


 それでも、この話をすることによって、のちの話をスムーズに通せるならしない手はない。私が欲しいのは一生シュウ君の傍にいられる私であって、こんなところでつまずいてシュウ君に見捨てられてしまう私ではないからだ。


「『もう美優は、俺がいなくても大丈夫みたいだな』――信じられますか? シュウ君にこんなこと言われたんですよ? 私、ショックすぎて死ぬかと思いました」

「そんな大げさな……」


 若干引いたような奈々さんに私は詰め寄る。シュウ君が私の傍からいなくなったら私が私じゃなくなってしまう。死ぬっていう表現は全然大げさなんかじゃない!


「大げさなんかじゃありません! だから私、決めたんです。シュウ君の傍にいるために、アイドルの立場を捨てようって」

「待って待って! 話飛びすぎでしょ! シュウ君の傍にいたいのはわかるけど、なんでそれがアイドル辞めるって話になるんですか!? 時間を確保するとか、そういう問題ですか!?」

「それもありますが、そういうことじゃないです。さっきも言いましたよね? 結果的に辞めることになるかもって。今すぐ辞めるわけじゃなくて、辞めるかもしれない状況になるだけです」

「それどっちもあんまり意味変わんないよね!?」


 奈々さんに言われても、私は決意を変えたりはしない。そもそもアイドルに固執なんかしていないから、アイドルを辞めることになっても後悔なんかない。


 困るのは事務所の方だと思うけど、私にアイドルを続けて欲しいのなら何とかしてもらう他ない。そもそもアイドルなんて賞味期限の短い商売なのだから、どのみち数年もすれば私はいなくなる。それが少し早まるだけだ。


 それに、私は別に私がアイドルを辞める羽目になるとは思っていない。


「まあ、大丈夫ですよ。私のファンって結構女の子多いですし。私にガチ恋してる厄介な男の子のファンがいなくなってくれるってことを考えたらむしろプラスですよ」

「いやいや……っていうか、今更だけど美優ちゃんは何をしようとしてるわけ?」


 奈々さんの疑問に、私は再び奈々さんにスマホの画面を見せる。


 私とシュウ君が楽し気に談笑しながら帰っている写真。仲の良い年頃の男女。ともすれば、そんな写真を。


「この写真をうちの事務所と親しくしている週刊誌に渡して、記事を書いてもらいます。見出しは、そうですね……『高島美優熱愛発覚か!? 放課後お忍びデート!』みたいな感じでどうでしょうか?」


 ふふっ……待っててね、シュウ君。まずは外側から、逃げられないようにしてあげるからね♡

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