私の心のヤバイ君2(玲視点)
「拓哉は優秀だな」
「拓哉君は本当によくできるね」
「玲も拓哉を見習いなさい」
「玲ちゃんも拓哉君のようにならないとね」
私には少し年の離れた兄がいた。
兄は優秀な人間だった。
世間一般から見て私も優秀な部類に入る人間だと思うが、そんな私から見ても兄は優秀で、幼い頃から両親や親戚、周囲の人間からの称賛を浴びていた。
私は小さい頃からそんな兄と比べられて育った。
兄のように努力をしなさい。
兄のように勉学に励みなさい。
兄のように運動に精を出しなさい。
別に両親は私のことを兄と比べて劣っているだとか、優秀ではないとか、そんなことは口に出したことは無い。でも、努力をした証を見せても褒められたような記憶も殆どなかった。
両親は私を蔑みもしていなかったけれど、特段愛情を注いでくれるようなこともなかった。
両親の目は常に兄に向いていて、私は存在はしているけれど、期待をかけるような子供ではないと思われていた。
中途半端に優秀だった私は、子供ながらにそんな両親のことを理解してしまっていて、私からも両親に期待することを止めてしまっていた。
だから、私と両親は一緒の家に住んでいるのに、殆ど会話もしないし、顔を合わせもしない。そのことについて両親から何かを言われた記憶もないから、やはり両親にとって私は気に掛けるほどの存在ではないのだろう。
そんな両親から半ば見捨てられているような私が曲がりなりにも道を反れずに成長できたのは、兄の存在があったからに他ならない。
両親からの接触がほとんどない私だったが、そんな私に兄はよく話しかけてくれた。
私がした努力を誉めてくれたのはいつも兄で、私のことを気にかけてくれるのもいつも兄だった。
「玲は優秀だね。将来は僕なんかよりもよっぽどすごい人間になるよ」
そう言って私の頭を撫でてくれた兄の手の感触を、私は今でも鮮明に覚えている。
兄は私から両親の興味関心を全て奪った元凶であると同時に、私に家族の愛情を教えてくれた唯一の存在だった。
そんな兄も、私が中学に入学する頃には大学受験を終え、家を出ることになった。
「僕が家にいると、父さんも母さんも玲を見てあげられないからね」
兄が県外の大学を受験して家を出たのは、そんな理由だった。
「兄さんが家を出ても、あの人たちが私に目を向けるとは思えない」
「だったら、学校でもどこでもいいから、玲のことをちゃんと見てくれる人を見つけなさい。友達でも、恋人でも構わないから。小学校では仲のいい友達を作らなかっただろう?」
「別に、必要ないと思ったから」
兄が一人暮らしをするために家を出ようと玄関に手をかけた日。
家を出ていく兄の裾を、私は情けなくも握りしめていた。
兄が家を出てもあの人たちが私の方を向くことは無いように思える。この家に私は一人で、よく知らない他人二人と住むことになる。そんなこと、私は耐えられる気がしなかった。
「人は一人で生きていけないよ。玲が父さんと母さんのことをどう思ってるかは知ってるから。自分の信頼できる人を探しなさい」
「だったら兄さんがいてくれれば……」
「僕だっていつまでも一緒にはいられないよ。現にこうやって家を出ようとしているし」
「それは……!」
兄さんは私の手を裾から優しく外すと、私に向き合って目を合わせた。
「大丈夫。玲ならできるよ。なんてったって玲は僕なんかよりもよっぽど優秀だからね」
兄はそう言って私の頭を撫でると家を出て行った。
私は一人になってしまった思いを抱えたまま、そんな兄の背中を見送るしかなかった。
「成田って兄弟っているの?」
シュウにそんなことを聞かれたのは、中学二年生くらいの時だった。
「兄が一人いるが……どうしてそんなことを?」
「いや、特に理由はないんだけどさ。成田とそういう話したことなかったなーって思って」
「そういうシュウはどうなんだ? 兄弟はいるのか?」
「俺は一人っ子だよ。ちなみに美優も同じだ」
最初はそんな感じの会話だったと思う。私はあまり他人に家族の話はしてこなかったから、聞かれても最低限のことしか答えていなかった。
だが、だんだん私とシュウの仲が良くなっていくにつれ、私は私の家族のことをシュウにぽつぽつと話すようになっていた。
それは単純に私とシュウの仲が深まっていったからでもあるし、兄に言われたことも影響していたと思う。
「俺もいつも相談に乗ってもらってるしさ、成田も何か俺に言いたいこととかあったら何でも言ってよ。力になれるかどうかはわからないけど、俺にできることがあったらできる限り努力するからさ」
「そうか? ふふ……なら、シュウに相談したいことができたら話してみるよ」
「成田の兄さんってそんなにすごい人だったのか?」
「そうだな……私なんかよりよっぽど優秀な人だったよ」
「成田よりぃ? 全然そんなの想像できないな。そんな人この世にいるわけ?」
「私の両親は兄のことばかりでね。私のことを気に掛けるようなことはないかな」
「いや大丈夫なのかそれ。成田家でどんな風に過ごしてるんだ?」
「別に普通だよ。育児放棄されてるわけじゃないから別段困ることもないし」
時間をかけて少しずつ私は私の話をシュウにしていった。
正直に言って、私の話は退屈で、しかも気を遣わせるような話だったと思う。級友に積極的にするような話でもない。世間一般的によくある話なのかは分からないが、世の中を見渡せば私なんかよりも不幸な子供時代を過ごしている人間なんてたくさんいる。
そんな何とも言えない私の話をシュウは根気よく聞いてくれて、決して茶化すことなく、それでいて真剣になりすぎることもなく、私の負担にならないように聞いてくれた。
そんな関係が中学二年、三年と続いて。
私と両親の仲は相変わらずで、両親は頻繁に兄に連絡を取っているようだったが、私の進路に関しては特に何も言ってこなかった。一言「本当にそこでいいのか?」と聞いてきただけで、それ以上私の受験について触れることは無かった。
「相変わらず両親は私に興味がないらしい。進路のことを話しても一言『本当にそこでいいのか?』と聞かれただけで終わってしまったよ」
「ふぅん……相変わらずなんだな。俺なんかめっちゃ口うるさく言われたのに」
「それだけ愛されてるってことじゃないか?」
いつものファミレスでシュウと会話をする。受験もあるから一応勉強道具も広げているが、私は既に余裕の判定が出ているからあまり真剣に勉強はしていない。
シュウも別に判定が厳しいわけではないから、まあ広げている勉強道具はほとんどポーズみたいなものだ。
「成田の両親ももったいないよなぁ……」
そんな、ありていに言えばありふれた日常の一幕で、シュウが呟いた。
「もったいない? 何が?」
私がそんな風に問い返す。私の両親がもったいないなんていうのはどういうことだろうか?
シュウは私の問いかけに手に持っていたシャーペンを置くと、ふいに私のシャーペンを持っていない方の手を握ってきた。
「成田はここにいるっていうのにな。こんなに頑張って、生徒会長にまでなってみんなに認められてる女の子のこと見てないなんて、めちゃくちゃもったいないよなって」
私の手を優しくにぎにぎと触るシュウ。
私がシュウに恋をしたのは、この瞬間だった――。
美優がシュウのことが好きなのは知っていた。美優に直接言われたわけではないが、近くで過ごしていればすぐにわかる。わかっていないのはシュウだけだ。
だから、仲良くなってもシュウのことは好きにならないと思っていた。
私は美優のことが好きだし、有紗のことも好きだ。現代日本の社会で、同じ男性を好きになってもいいことになるはずはない。それくらいの理性はあるつもりだったし、理解もしていたつもりだった。
だが、ダメだった。
シュウのことを好きになってしまった。
こういうのは理屈ではないらしい。創作の中ではそういう話は読んだことはあったが、実際に自分の身に降ってくるまでは思いもよらなかった。
シュウは私のことを見てくれている。私という存在を認識してくれて、認めてくれている。
兄以外でそんなことを感じたのはシュウが初めてだった。
「ねぇ玲ちゃん。……シュウ君のこと盗っちゃだめだからね?」
ある日ボソッと美優に言われた言葉に、私は上手く返事ができなかった。
別に適当な嘘を吐いて誤魔化してもよかった。それくらいのことはできたはずだ。
「美優。私はこれからも美優と仲良くしたいと思っている」
私はそんな曖昧な言葉で誤魔化した。
「もちろん私もそう思ってるよ、玲ちゃん」
そう言った美優の顔は笑顔だったのに、目は笑っていなかったことをよく覚えている。
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