28 蓬

「蓬……」


 ヤシロがその名前を口にすると、莱の顔が途端に暗くなった。鳩宮蓬という女性と何らかの因縁があるということはすぐに分かった。


「おひい様は、会ったことがあるのか。蓬に」

「あるよ。ヤシロが出ていった後に私は養子になったから。でも、そんなにまともに顔は見たことない」

「だろうな。神にも等しい容姿をした実の娘の蓬と、金色こんじきながら血のつながっていないおひい様。つぐみがどちらを寵愛するかは、目に見えている」

「親が子どもを選んで産めないように、子どもは生まれてくる親を選べない。ただ、明確に暴力を加えてこないあたりは褒めるべきだったのかな」

「どんなやつなんだ。その、蓬っていうのは」


 ヤシロが一拍おいてから、再び口を開いた。


「……蓬は、文字通りの神童だ。絹のような銀髪、虹色の瞳、世界の真理を全て見通すかのようなまなざし。生まれた瞬間からそうだった。俺ともつぐみとも似ていない、どこかから拾ってきたと言った方が自然なくらいだ」

「そんな突然変異みたいなことがあるもんなのね……」

「おそらくアルビノに近いのだろう。診断されるのに必要な検査をしているわけではないだろうから、真相は分からないが。ただ、仮にそうだとしても、目が虹色なことと、脳の発達が異常に早かったことは説明がつかない」


 蓬は6ヶ月から1歳くらいですでに大人とある程度の会話ができるほどに言葉を話せるようになり、その時点で「聖域なき浄界」の後継者として育てることがほとんど確定したという。ヤシロが蓬を置いて鳩宮家を脱出する頃には、旧約聖書と仏教の経典を暗記し、特定のページをそらんじられるほどになっていた。そして、それらの矛盾点を指摘できるほどにも。およそ並の人間の所業とは思えなかった。


「で、なんでそいつが宿舎長なんかやってるんだ。ナンバー2とはいえ……」

「対外的に目立たないようにするためだ。トップが目立ちたがり屋であれば、たとえそれに次ぐ立場であっても気配を消すことができる。つぐみはああ見えて、権力を誇示したいタイプの女だからな」

「それって、まるでいざという時に目立とうとしてる、みたいな」

「蓬はいずれつぐみを葬り、『聖域なき浄界』を完全掌握するつもりだ。つぐみがその目論見をどの程度把握しているかは、分からないがな」

「なんで、そこまで言い切れるんだ」

「蓬自身が、特殊な境遇に置かれていることを理解しているからだ。それも、ごく小さい頃から。『聖域なき浄界』のトップとは、単に小さな一宗教団体の長だけではない。今後異能力開発を国内外で推し進めるにあたって、その全権を握れると言ってもいい。それだけこの宗教団体は、能力に関するあらゆることに関与し、精通している」

「能力開発を国内外で推し進めるって……こんだけ、死人が出てるってのに」

「犠牲者の件はある程度、隠蔽されている。これから日本の科学を大きく発展させる夢の技術に、『多大なる犠牲』は情報として不必要だからな」


 またそれだ。能力開発はそうまでして、推し進めないといけないものなのか。そこまでのことをしないと、日本の科学は本当に廃れてしまうのか。つい先日まで吹田市の外で何一つ不自由なく生活を送っていた俺は、とてもそうとは思えなかった。そんなことを考えていると、ヤシロが俺の心の中を読んだかのように付け加えてきた。


「日本の技術力の衰退はすでに何十年も前から始まっている。どの分野でも共通して、日本人研究者の数が目に見えて減り始めた時からだ。しかしそれでも、頭の固い人間や、理系学問を理解しない人間は頑なに金を出さなかった。その結果、異能力開発に手を出さなければもはやどうにもならない状態まで追い込まれた」

「……そんなの、結局異能力開発で死人が出てたら、意味ないだろ」

「だから隠蔽しているんだ。裏で人口減少の一因になっていることがお上にバレたら、それこそ一発で資金供給を止められる。バレるならもっと後、手を引けなくなってしまってからの方が助かる。今はいかにバレずに、研究を続けられるかが重要なんだ」

「ヤシロ、莱……あんたたちは、いったいどっちの味方なんだ」

「能力開発は、進めるべきだよ。……犠牲者のことをいったん横に置いていいなら、ね。つくばで実証実験の準備が進められてる今、すでに能力開発には政治的な力が噛んでる。もちろん、『聖域なき浄界』っていう、宗教的な力も。もうすでに後に引けないところまで来てる気がするし、もしも能力開発がストップすれば、私たちの生活とか、インフラが直接ダメージを受けかねない」



「その通り。能力開発が止まれば、電気、ガス、水道、全てがマヒする。もはや能力なしではこの街が、生きていけなくなっている。闇雲に能力開発をやめろだなんて、生温いことを言っている場合じゃないんだよ」



 聞いたことのない声質だった。透き通った、聞いた者をたちまちに魅了してしまうような、不思議な声。すたすたと、足を擦って歩いてきたのは、真っ白な髪、真っ白な顔に、整ったまさに完璧な顔立ちの女性。それでいて天衣無縫、いびつさを一切感じさせなかった。


「蓬……」

「生きていたんだ、お父さん……いや、お互い人間らしく振る舞うのはやめにしようか」

「……っ!!」

「分かるよ、死んでいることくらい。どれだけ姿を人間に寄せても、生温かい血液を通わせても、出来上がるものは人間とはかけ離れている。アナタは『完全』すぎる」

「……」

「不完全であること、それこそが人間が人間たるゆえんだ。どこか一つでも完全性を追い求めた時点で、人間としては不出来になってしまう。さしづめ、莱が生体データをもとに作成したヒューマノイド、というところかな」


 ヤシロの言った通りの姿だった。これが、鳩宮蓬という女。その場にいながら一人だけ、この世の人間ではないような雰囲気が漂う。並の人間とは決定的に違うのに、具体的な違いを何一つ説明できない。脳が理解を拒否していた。


「……自己紹介が遅れた。ボクは鳩宮蓬。鳩宮つぐみの長女であり、『聖域なき浄界』宿舎長。そして、……ここにいるみんなを救済に導く、教誨きょうかい師だ」


 さあ、と俺たちの隙間を縫って流れた風に、寒気を覚える。春の芽吹きを連想させるような暖かさがありながら、同時にぞっとさせるような空気だった。

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