24 聖域なき浄界

「はっきり、言っておくね。私は鳩宮さんのことを、『聖域なき浄界』と何らかの関係があるか、あるいは内部の人間のどっちかだと思ってる」

「「『聖域なき浄界』……!」」


 正直に言って、あまり馬が合っているとは言えない三笠と浩次さんの二人が、全く同じタイミングでその宗教団体の名前を口にし、警戒する姿勢を見せた。ごくごく小さな、信者の数など地道に一人ずつ数えた方が早いほどの団体であるにもかかわらず、警察官の二人がその反応を見せるということは。二人とも何度か、「聖域なき浄界」の引き起こした事件の捜査に携わったことがあるのかもしれない。


「……鳩宮さんが、」

「鳩宮は、アタシたちと一緒に事件の捜査だってしたことがあるわよ。もちろん連中の事件も。関係者なのに、平気な顔をしてその場にいたって、アンタは言いたいの?」

「その時鳩宮さんがどんな顔をしていたかまでは、私は分からないよ。でもこのネックレスが落ちていたってことが、何よりの証拠じゃない?」


 警察官にだって信仰の自由はある。職務中に宗教活動をしてはいけないというだけで、プライベートでどんな宗教を信仰していようと誰にも咎めることはできない。それが日本国憲法で保障された信教の自由、というやつだ。だがその信仰が「聖域なき浄界」に向いているのだとすれば、話は別だ。いくら自由と言っても限度がある――浩次さんの表情が、そう物語っていた。


「そりゃそんなネックレス持ってるの、あそこの信者しかいないでしょうけど……でも、鳩宮が?」

「人間誰しも、口が裂けても他人に言えない秘密を抱えてるものだよ。まして信仰する宗教のことなら、なおさらね」

「だとしても……」


 俺はスマホで聖域なき浄界のホームページを開く。人畜無害そうなレイアウトに、偉人の教えをもとに書かれたコラムや、信者の生活の一例を紹介した記事、果てはおいしいカレーのレシピまで掲載されていた。教団名を伏せれば、しがない個人ブログと見間違うような内容。そんな団体が世間を騒がせる事件を起こしているのだから、何があるか分かったものではない。


「……鳩宮さんが一人で聖域なき浄界について情報を追っていて、何かの拍子に尻尾をつかまれて『粛清』されてしまった可能性は……?」

「あくまで、鳩宮さんを擁護しに行くんだね」

「……なんですって?」

「アンタ、鳩宮の何を知ってるわけ?」

「じゃあ逆に聞くけど、二人は鳩宮さんのプライベートを何か一つでも知ってるの?」

「「……」」


 その沈黙が答えだった。「鳩宮さんは不思議なひと」というだけで、具体的に何が不思議なのか、探らなかったのだ。他人のプライベートを詮索するのはモラルがない、という暗黙の了解があるとはいえ。


「表向きの地位は、その人の潔白性の証拠にはなりえない。厳しいことを言うけどね」

「……一応、彼女が兵庫県知事の娘という事実とは、切り離して考えているつもりだけど」

「でも、完全に切り離して考えることもまた難しい。その地位と全く関係なく宗教活動をやっているなんて、普通は考えにくいからね」


 兵庫県のHPを検索する。企業のHPでよく社長ご挨拶が掲載されているように、兵庫県のHPでも知事の所信表明的な文章が掲載されていた。文章の最後には、毛筆であろう筆跡で「兵庫県知事 鳩宮泰司」としたためられている。知事室の壁をバックに撮影されたのだろう写真を見ると、顔のパーツや輪郭が、俺たちの見た鳩宮さんと親子と言われれば納得できるほどに似通っていた。


「『聖域なき浄界』の教義は、幸福の平等化。特定の人間だけが幸せになれる、神様に救ってもらえる聖域が存在する世界はおかしい。その清らかさが隅々まで行き渡った浄界は、全世界と定義されるべきである――確か、そういう意味があったはず」

「難しい言い回しね」

「要は、全世界を清く正しい、幸せで満ちた場所にしましょうって教えだったはず。祈れば神様に救われるとか、念仏を唱えれば極楽浄土に行けるとか、そういうのを真っ向から否定してたと思う。キリスト教と仏教の両方からにらまれる教えってことだね」

「……どうしてそんな、わざわざ敵対するようなことを」

「宗教とは得てしてそんなものじゃない? 自分たちの教えが正しいとするなら、必然的に他の宗教は間違った教えを説いていることになる。何千年も昔から、人間はそうやって自分たちがいかに正しいか証明するために、戦争をやってきたんだから」

「……あなた、本当に十五歳なの?」

「一応、ね」


 莱の返答は意味深だった。


「そんなもっともらしい教義があるなら、なんであんな事件を起こしてるのか、謎しかないんだけど?」

「結局あの人たちも、排他的なんだよ。自分たちは正しいことをやっている。それに反対する勢力は敵だから、強硬な手段に出てでも排除しないといけない。そういう意味では、昔の宗教観に立ち返っているのかもね。最近は主義主張が違うからって、攻撃的になる宗教は少ないから」

「そう考えると……鳩宮が平和主義的だったのも、意味があったように思えるわ。内に秘めた情熱みたいなのが一切ない、警察官には珍しいタイプだとは思ってたけど」

「……ちょっと、それじゃ鳩宮さんが、悪者みたいな言い方じゃない」

「アタシは悪者とまではいかなくても、腹に一物抱えてるタイプだとは思ってたわよ。そこは三笠、アンタの方が同じ女性として理解できるってもんじゃないの?」

「それは……」


 ぱん、とそこで莱が一つ手を叩いた。注目が一斉に彼女の方に向く。


「三笠さんの言う通り、鳩宮さんが完全にクロと決まったわけじゃない。でも、『聖域なき浄界』と何らかの関係があることはほとんど間違いない。それに、なぜ裏鬼門会の人間しか立ち入れないはずの場所に鳩宮さんがいたのか、まだ分かってない。そのヒントは、『聖域なき浄界』にあると思うんだけど、どう?」

「「「……」」」


 沈黙こそが、何よりの答えだった。

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