リバース＝システム

２２ ヤシロの素性

「……甘い見立てなんかじゃないよ。私がきちんと裏鬼門会を立派な団体にして、治安維持ができる、警察の代わりになるって証明できれば」

「それが理想論だと言っている。こいつを抱えている限り、裏鬼門会は自警団と大差ない、大規模犯罪集団と認知されて終わりだ」

「じゃあ、由介さんをこの場で捨てるというの」

「裏鬼門会の健全な発展、あるいはこの街の技術の健全な発展を願うのであれば、それが最善の策だ」

　その場で一番関係があるのだろう俺が置いて行かれた状態で、話が進む。だがそれ以上に、俺は突然目の前に現れた男が誰なのかという疑問で頭がいっぱいだった。今の今まで、ヤシロと呼ばれたこの男をすっかり忘れていた自分に気がついた。つまり、俺はヤシロと会ったことがあるどころか、何度も話したことすらあるはず。莱たちと一緒に、あの怪物と戦っていた時にも、ヤシロはいたはずなのだ。だが本当にヤシロがいたのか、自信を持てない。

「でも……」

「だが、幸いにも裏鬼門会の知名度はまだ低い。少しの間であれば、こいつを匿うこともできるだろう」

「あんまり、匿うなんて表現は好きじゃないんだけど」

「少なくとも俺は、こいつを正式な裏鬼門会のメンバーとして認めるつもりはない。こうなってしまった以上はな」

「ヤシロが認めなくても、私がいいって言えばそれでいいでしょ。私は副総裁なんだよ」

「副総裁がなんだ。お飾りに等しい現状で、何かそれらしい権力があるとでも言うのか」

「……ッ！」

「……あの」

　ヤシロが現れてから、まるで俺が最初からいなかったかのように話が続くので、思わず声を挟んでしまった。二人分の注目がこちらに向く。

「ヤシロさん……あなたは、どういう方なんですか」

「……ヤシロ。一つ、お願いをしていい？　私……由介さんにも、『記憶処理』をした方がいいと思うんだ」

「あの二人にはしておいて、こいつだけに施さないのも不自然だからか？」

「由介さんにも情がある、って言えば、怒る？」

「そういう聞き方をするあたりが、お飾りだと言っている」

「……あっそ」

「……『記憶処理』はする。いちいち記憶喪失で俺の説明をしなきゃならんのも癪（しゃく）だ」

「最初からそう言えばいいのに」

　ヤシロが少し面倒そうに、自己紹介をしてくれる。莱のことは”おひい様”と呼んで、敬愛しているらしい。その割にはきつく詰めるような言い方ばかりしているように聞こえたが。

「『記憶処理』……というのは、どういうことですか」

「本当に、何もかもすっぽりと抜け落ちているのだな」

「元から、そういう『設定』でしょ？」

「それはそうだがな。怪我人で意識が戻ったばかりの人間に、情報を一度に与えすぎるのは悪手だろう」

「いいから、早く本当のことを言ってあげて」

　莱の催促に、ヤシロがため息をついてから応えた。

「……俺は一度死んだんだ。おひい様に蘇生処置を施してもらって、今ここに立っている」

「死んだ……？」

「覚えていないのならそれで構わん。お前をいたずらに刺激するのは避けねばならんと、俺たちは学習したばかりだからな」

「あの、」

「安心しろ。俺の死にそれほど価値はない。お前に分かりやすいように言うならば、残機が減った、その程度の認識だ」

「そんなわけないでしょ、だってヤシロさんは……」

「俺は、人間じゃない」

「……っ！」

「正確に言うと、『自然に生まれた』人間ではない。俺は」

「そんなに急に畳みかけるとびっくりするでしょ、もっと順を追って話さないと」

「追う順も何も、ないようなものだろう」

　次々に情報を与えられようとそうでなかろうと、混乱することに変わりはなさそうだが。ついにロボットもこんなに人間と見分けがつかないほど精巧になったのか、と俺は呆然としながら考えていた。

「ヤシロもその昔、能力を抜き取られて死んだ転生者の一人だったの。でも、特殊体質からか、人格を保存した状態で蘇生させることができた。ヒューマノイドとして、ではあるけどね」

「ヤシロさんも……転生者」

「生き返ったヤシロは、もともと能力があった場所が空洞になっていた。だからそこに『流体力学の権威（ベルヌーイ）』を埋め込んで、我ら裏鬼門会の幹部として活躍してもらおう、ってことになったわけ」

「『流体力学の権威』は、自由度、拡張性が他の能力と比べても頭ひとつ抜けて高い。それを野放しにすると、この市域が丸ごと焼け野原になる可能性すらあった。ゆえに、俺が能力の獲得という形で、管理するのが最適とおひい様は判断した、というわけだ」

　『流体力学の権威』がどんな能力なのかは分からない。どうやら俺はヤシロと会ってからしばらく時間が経っているらしいが、そんな記憶はどこにもなかった。ここ数日の記憶が抜け落ちるならまだ分かるが、ヤシロの記憶が歯抜けのようになくなる理屈が分からない。

「ヤシロはヒューマノイドだから、普通の人間よりも比較的軽い外傷で死ぬ設計になっているの。蘇生が何度でもできる代わりにね。で、ヤシロが死ぬと、そのたびに関わった人間の記憶から消えるようになってる。機密保持の観点からね」

「だがおひい様や、俺に密接に関わった人間にもそんなことが起きていては、そのたび最初から情報共有が必要になる。それが面倒だから、『記憶処理』をするというわけだ」

「……なるほど」

「ヤシロが死んで、生き返るって一連の流れは、パソコンの再起動みたいに思ってくれればいいよ。作業もそんなに手間じゃないし。だから、ヤシロが死ぬことそのものに、それほどショックを受けなくても大丈夫だよ」

「たとえ俺であっても、見かけ上人の死であることに変わりはない。相応の悼み方はしてほしいところだが、それをおひい様に期待しても仕方ない」

「なんて言い方」

「事実、俺を蘇生させる時に何食わぬ顔……いや、仏頂面ですらあっただろう」

「ヤシロが死ぬのには、もう慣れたからね」

「俺が何度も死ぬような場面を作るな。無茶をするな」

「ヤシロって、お父さんみたいなこと言うよね」

「…………はぁ」

　大人の忠告に反抗するあたりは、年相応の少女そのものだった。言葉尻はあどけなさがあるが、責任ある立場としての振る舞いが、十五歳の少女らしくなさを醸し出していた。だから莱という子がどういう人間なのか、時々分からなくなってしまう。

「……で、これだけ説得してもまだ、こいつを戦場に出すと言うのか」

「由介さんは、大事な裏鬼門会の仲間なんだし。アジトだって、いつ危険に晒されるか分からない。一緒についてきてもらうのが、結果的に一番安全だと私は思う」

「まだ回収していない能力はいくつもある。自警団の件もまるで解決していない。俺たち自身の問題だけでも山積みなんだぞ」

「それでも。由介さんも、現実を見なきゃいけないと思うんだ。はっきりと、その目で」

「……その現実が、到底受け入れられないものとしても、か」

「うん。能力のせいで、歯車が壊れてしまったこの街が落ち着きを取り戻すまでは、ね」

　見なければならない現実は、まだまだ転がっている。当たり前のように、むごい死に方で人がいなくなっていくという現実を、受け入れられるとは言い切れない。俺が正しいと信じてきた常識は、この街ではどうやら間違っているらしいから。

　莱の目線は、早くも次の方へ向いているようだった。