14 曲線美
「勝負だと?」
第一声に、ヤシロはそれを選んだ。
「俺はここを任された番人。この先にはお前たちの求めるおひい様が囚われている。これを勝負と呼ばず、なんと表現する?」
「勝負なぞせずとも、最初から勝敗は決まっている。俺たちを裏切りおひい様を拘束した時点で、お前の負けだ」
「それは俺の建築の美しさを見たうえで、そう言っているのか?」
「お前の言う建築など有象無象、大したものではない。そもそも建築物と呼べるかどうかすら怪しい。そもそも定義から外れているのだからな」
「過去の人間が定めた定義とやらをいかにして外れるかが芸術だ。科学という型に嵌まったまま抜け出せぬお前には理解できまい」
互いの主張がぶつかり合う。どちらが優れているか、劣っているかは俺には分からない。ただ、ガウディがその昔ヤシロの仲間だったらしいということだけは分かった。
「芸術の枠組みからすらも追い出され、独善的な妄想を積み重ねるだけのお前には、何も言う資格がないと思うが?」
「独善的で大いに結構。結局、与えられた
「お前が俺に勝てればな。もしそうなれば、主張を聞き入れてやらんこともない」
ヤシロがこちらを振り返り、目で合図を送ってきた。後ろに下がっておけという指示だと受け取り、その通りにする。同時に三笠には、言葉で指示が言い渡された。
「お前の磁力はこの場面においては使い勝手がいい。お前の判断で自在に能力を使ってもらって構わん」
「……ここに来て急に、突き放すようなことを言うのね」
「お前の能力には期待しているのだ。使い方をより深く考えさえすれば、ポテンシャルはある」
ヤシロと同じく、体の動きがほとんどないままガウディは壁や床のあちこちを隆起させる。世紀の大建築家の名を冠した能力に違わず、その効果範囲はあまりに広かった。事前に大きく余裕を持って下がっていなければ巻き込まれていた。最前線に立つヤシロは涼しい顔をして、どこから攻撃が飛んでくるか見切っているかのように軽やかな動きで避ける。
「お前はいつもそうだ。底の知れぬ表情しかしない。お前には本当に、感情というものが存在するのか?」
「どうだろうな? 喜怒哀楽を抱くまでもないと感じていたとしたらどうだ? それはどんな人間よりも人間らしいという話にならないか?」
「本当に……俺を罵る能力だけは高い」
さらに攻撃が激しさを増す。建物全体が揺れ始め、壁に手をついても立っていられないほどになった。三笠だけは目の前の光景に感覚を集中させつつ、俺たちはその場にしゃがみ込んで自分の身を守るので精一杯だった。そんな状況ですら、ヤシロは平然と二本足で立ちガウディの攻撃の芯を見極めようとしていた。自分の体を含め、流体を司るというのはそれほどまでにすごいことなのか。
「『曲線美』の委細を、俺が知らないとでも思っているのか?」
「だいたい把握されていることは織り込み済みだ。そのうえで、最初から畳みかける予定なんだよ」
俺には何が起こっているのか、まるで分からない。ただ壁やら床やらが盛り上がっているだけにしか見えなかった。しかし起こっていることがそれだけではないと、ヤシロが行動で示した。隆起する一瞬前にヤシロが手をかざすと、その次の盛り上がりがキャンセルされるどころか、濁流のようになってガウディの方へ流れていったのだ。
「なるほど……」
「これほどの硬度のものを非接触で変形させようと思うと、間に状態変化を挟んでいると考えるのが自然だ。考えなくとも知っていたが、経由するのが液体であれば、もはや俺の敵ではない。俺に有利な能力の番人でこの工場が守られていたのは、偶然か必然か……」
「さすがに”能力の司書”、というわけだな……」
「お前が俺の
何度かまばたきをした間に、ガウディは自在に動く濁流にまとわりつかれ、その場から身動きが取れなくなってしまった。勝負はおろか、新たに行動を起こすことすらできない状態にされていた。
「上の階の女はずいぶんと敵対心に満ちていたから仕方ない部分はあったが、戦意を喪失したお前の命まで奪う気はない。『曲線美』は強い。しかし『流体力学の権威』とは致命的に相性が悪かった。それだけの話だ」
「いいや、工夫を凝らせなかった俺の負けだ。実力主義である俺たちのことだ、能力を奪われようと文句は言えん」
「能力を奪う? 悪い冗談はよせ。能力をとっかえひっかえしたとて、元の人間性に難があれば如何ともしがたい」
「能力の管理者の一人であるお前に、この能力を返す。そうすれば――」
そこで、ガウディの声が途切れた。その場に片膝をつき、悔しさをにじませつつヤシロの能力の使いこなしを認めた様子だった彼は、その瞳から光を失い、木彫りの人形のように空虚な音を立ててその場に崩れ落ちた。その瞬間に一つの遺体に成り果てたとは、とても思えなかった。
「あんた……!」
「……違う」
「何が違うんだっ」
「これは、殺しでは、ない」
「この状況で、どうやって」
「無知ゆえの、過ち。……惜しいことを、した」
ヤシロがガウディを殺したようにしか見えなかった。しかし違うと断言する。死ななくてもいい人が目の前で死んだという事実に、俺は激昂していた。頭に血が上っていることが、自分でも分かっていた。
「お前はいったい何なんだ! いたずらに人を殺して……何が楽しいっていうんだ!?」
「お前たちも無知であれば、このような事故が起こり得る。お前たちには、少なくともしばらくの間は、生きていてもらわなければ困る」
「……っ!?」
「残すは、……おひい様の、救出だ。そこで分かることもある。……おひい様にも、分からないことは、あるが」
すたすたと、重くのしかかる責任を振り払うかのような足取りで、ヤシロがさらに奥を目指す。俺は何かもっと棘のある言葉をヤシロにぶつけたかったが、それすらできず、ただついて行くことしかできなかった。
もはや浮浪者然としたガウディの遺体が転がる地下二階の廊下も、地下三階へつながる階段の踊り場も、チカチカと不安定な照明が踊る、薄気味悪い空間だった。
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