13 能力研究

 下層に下りると一転、今度は途端に薬品のような臭いがあたりに立ち込めるのを感じた。絶妙に不快ではあったが、吐くほどではなかった。もう吐くものがないほど吐いたのもあるかもしれない。


「まるで実験室……理科室のような雰囲気ね」

「その解釈は間違っていない。能力の研究は得てして、高度な化学の側面がある」

「昔科捜研にいたけど、その頃を思い出すわ」


 浩次さんはその臭いに特に問題ない、むしろ懐かしいと反応した一方で、三笠の雰囲気がどんと暗くなったように感じた。俺が目配せをすると、その重い口を開いてくれた。


「……ここに下りてきてから、寒気がするのよ」

「アンタの霊感ってヤツ?」

「分からない……でも今までにないくらい、全身にまとわりついてくるような寒気が……」

「残念ながら、その直感は正しいようだぞ」


 声を出したヤシロの方を見ると、見るからに意識のなさそうな人が一人、転がっていた。今度は眠っているのか死んでいるのか、安らかに目を閉じる顔の原型があって安心する。安心してから、ほっとため息をついている場合ではないことに気づいた。


酵素異常反応ミカエリスではないな……やはりフロアごとに護衛を任されている奴がいるらしい」

「この人も、また別の奴が手にかけたっていうのか」

「ああ。首筋が冷たい。触ってみろ」

「遠慮します……」


 凄惨な死に方を先に見てしまったからか、普通に安らかな顔をして逝っているだけで安心するようになってしまった。この人は苦しまずにあの世に行けたのだと、そう思ってしまう。その感覚が異常だということを、認識し続けられればいいのだが。


「しかしこう来られると、このフロアの警備がいったいどんな能力を持ち合わせているのか、まるで分からないな」

「このフロアには誰もいないって可能性はないのか? なんかこう、ものすごい毒物が置いてあって、それに触ってしまっただけとか……」

「ここを突破すればすぐに中枢にたどり着く。そんな場所に警備を配置しないはずはない、そう思うのは不自然か?」

「いや、その通りだけども……」

「おひい様を解放すれば、文字通り工場の電力が止まり、機能を失う。それは新たな能力者を生み出す研究も含め、この街の科学が全てストップすることを意味する」


 ヤシロが大仰な物言いをする。異能力がこの街の科学の全てだなんて、そんなわけがないのに。だがそう言ってもヤシロは顔色一つ変えなかった。


「……まさか、本当にこの街の全部なのか?」

「化学、物理学、生物学、医学、建築学、歴史学。学とつくものは全て、この街では能力研究の対象だ。俺……いや、俺たちは現在までに生まれた能力を全てリストアップし、誰にどの能力が宿っているかを記録している。そのうちいくつかは、酵素異常反応のように行方不明になっているものもあるがな」

「なんで記録やら管理やらしてるのに、行方不明になることがあるんだ」

「それがこの異能製造工場の為せる業だ。詳しいところはおひい様が説明してくれる。もっとも、救い出した時に生きていれば、の話だが」

「……」

「そう怖い顔をするな。おひい様はこの工場の電力にされているだけだ、生死の境をさまようほどに電力を搾取するようでは、持続可能な工場稼働など到底不可能だからな」

「鳩宮さんは……同じように電源にされて、死んだんだ」

「鳩宮? ああ、新能力電池プロキオン・バッテリーか」

「何か、知ってるのか」

「……いいや。ただ、一警察官が知ってはいけないことまで探ってしまったという話は、聞いている。具体的な能力開発の機構や、誰が能力開発に関わっているのか。あるいはさらにその先の情報まで、そいつはつかんでいたのかもしれない」


 心配するな、とヤシロは一言言い切った。


「おひい様はその鳩宮という女とは違う。政府や各界の重鎮にも少なからず影響力のある、重要人物だ。殺すことで享受できるメリットなど微々たるもの。デメリットがあまりに大きいからな」

「よく分からないけど……」

「おひい様はお前たちにも好意的だ。効率的に異能力の概念を浸透させ技術発展を狙っていたこの街は、いつの間にやらその異能力に支配されようとしている。おひい様はその現状を憂いていて、お前たちに希望を見出しているのだ」

「でも、俺たちの能力は使えないって、あんたが」

「能力はな。どちらかと言えば必要なのは公権力だ。警察官ですら散り散りになり、道をたがえたさっきの女のような奴がいる状況下で、気を確かに保っている警察官という存在は貴重だ」

「はっきり言ってくれるな……」

「はっきり言っておいて損はないはずだ。この状況が放置され、自警団なぞに治安を任せてしまっているとなれば、国家の中枢にも能力という名の毒が回っていても何ら不思議ではない。おひい様はいまだ十五という子どもでな。いかに権力があろうと、年齢だけを理由にそもそも交渉のテーブルに着かせてもらえないことも多々ある。そこで、お前たちには『摂政せっしょう』を務めてもらうというわけだ」


 そんな話をしている間にも、薬品臭さはより一層増してゆく。この先で何か、非人道的な実験が行われているのではないか。最低限の明かりしかなく、懐中電灯が欲しくなるような状況で、そんな悪い予想をしてしまう。その時だった。


「……っ! 下……っ!」


 とっさに異変を感じ取った三笠が叫んだ。その言葉で俺たちは一斉に下を向く。しかしそれより速く床が歪み、地響きのような音を立てながら隆起し、天井との間で俺たちは押し潰されそうになった。すんでのところで三笠が手をかざし、俺たちの体を引き寄せたことで、間一髪事なきを得た。


「これはいったい……」

「そう来たか。なかなか厄介な能力持ちを配置してくれたものだ……」


 再びヤシロだけが、納得した様子で床の異変を観察していた。盛り上がることで俺たちを圧死させようとしたその床は、今度は歩いていた廊下の一本道を完全にふさいでしまっていた。どう進めばいいのか、回り道をするにもどこまで戻ればいいのか判断に迷っていると、今度はその盛り上がった部分が向こう側から派手に破壊された。


「犯人自らお出ましとは。ずいぶんと余裕を持った演出をするんだな」

「お褒めの言葉感謝するよ、ベルヌーイ。ベタではあるが同時に美しくないのでね。作品として成立する前に破壊させてもらった」


 開けた視界の先には、ヤシロと同じようなしゃべり方をする男が一人立っていた。違うのは、彼が演歌歌手のような、派手な色のスーツを身にまとっている点。それは常人とは異なる感性を持った、孤高の人間であるという証拠にも見えた。


「……なるほど。ずいぶんと邪道なことをすると思えば、お前、曲線美ガウディか?」

「邪道? 失敬な、これが俺の正道だよ。残念だ、大人しくしていればお前たちも『作品』にしてやったというのに」


 滔々とうとうと語る男に、俺は本能的な恐怖を覚える。男がぱちんと指を鳴らすと、俺たちの足元に向かって男女一人づつの体がごろごろと転がってきた。足に触れた感触一つで、二人が亡くなっていることはすぐに分かった。生きているならば持っているはずの何か、言葉にしがたいものが、二人からはすっぽりと抜け落ちていたからだ。


「……さて、勝負をしようか」




7(7)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る