10 流体力学

「……しかし、もったいないな。今ここにはいないもう一人とぜひ話をしたかったのだが、運が悪い」

「……誰だ、あんた」

「おっと失礼、ついつい自分の世界に入って抜け出せなくなるのが俺の悪癖だ。俺はヤシロ。カタカナでヤシロだ。仮の名前に過ぎないし、コロコロと変えている。俺を呼ぶならやはり、”ベルヌーイ”の方がふさわしいだろう」

「…………」

「そう身構えるなよ。俺はお前たちの味方だ。少なくとも今は、な」

「……それは、今後敵になるかもしれないってことか」

「俺は利害あって成立する綱渡りな関係ってやつが好みなんだ。いつまでも敵やら味方やらのままなんていう甘言は、この街では成立しない。友情とか愛情とか、そういうのがくだらなく馬鹿らしいってことは、対人ゲームを好むお前ならよく分かるだろ?」

「……っ!」


 俺の情報はつかまれている。この街に来たばかりの俺が、どうしてそこまで把握されているのか。一層、ヤシロと名乗った男の素性が怪しまれた。


「まさか、あんた……無実の人間をあちこちで殺して回ってる、自警団か」

「……お前、無知だな。知識のない人間の過ちを俺は一度は許す。だが二度はない。お前は最重要参考人であるにもかかわらず、あまりにも知識を持っていない。それはこの街では許されないぞ?」

「なんなんだ……人を小馬鹿にしたような態度で」

「あのような蛮族と一緒にされては、いささか傲慢になるのも致し方ないだろう。お前はそれほどの過ちを犯した、ということだ」

「俺が間違えたことはもういい。何をしに来たんだ。何が目的なんだ」

「なるほど、あくまで他人に失礼を働くスタイルを貫く、ということだな……まあいい。それでもお前が保護されねばならん人間であることに変わりはない。癪だがな」

「何なんだ……」


 ヤシロはこれ見よがしにため息をついてから、説明を続けた。人の家――と言っても、三笠の家なので俺がとやかく言える立場ではないのだが――そこに勝手に上がり込んできたことに対する謝罪や弁明は一切なかった。


「今後どうなるかは知ったことではないが、今のところ俺はお前たちの味方だ。異能製造工場を潰すという共通の目的がある限りな」

「あんた、そのことを」

「あの忌々しい工場を潰せば、俺の地位も保障される。あれは今や俺たちにとって、障害以外の何者でもない」

「地位が保障されるって、あんたはいったい何者なんだ」

「すぐに分かる。お前たちが理解しやすいように言うならば、自警団と対立する団体がある。俺はそこの中核を担っているというわけだ」

「……今は聞いても無駄、ってことなんだな」


 複数の思惑が絡み合い、様々な権力争いが起こっている。俺には今のところ、それくらいざっくりとした話しか分からなかった。そして、ヤシロが言う団体は、それなりに大規模なものなのだろうということも想像がついた。


「しかし……本当にお前たちが、工場の主電源を潰した張本人か? その見てくれでは到底、魑魅魍魎と渡り合えるような能力者とは思えないが」

「なんだ……今度は、外見の悪口か」

「違う。事実に基づいて言っている。お前たちの脊髄液から読み取った記憶からは、穏やかな出来事しか出てこなかったが」

「脊髄液……そんなことまでできるのか」

「流体力学の真髄はそこにある。俺はあらゆる流体を自在に操るがゆえに、発想が全てを左右する。しかしそれはいい……どのみちこのレベルで流体操作ができるのは俺だけだ、多少のタネを明かしたところでお前たちにはどうにもならん」


 鳩宮さんに接した最後の記憶が蘇る。頑丈な容器に格納された鳩宮さんはなすすべなく、目の前で消えるのを見守ることしかできなかった。たとえ工場の主電源だったとしても、その命まで失う必要はなかったんじゃないか。その後悔がもう一度、俺を蝕む。それが穏やかな記憶だなんて、あり得ない。


「……鳩宮さんが、ひとが一人死んだっていうのに、それが穏やかな記憶だって言うのか」

「自警団は日々、所構わず素人たちを爆殺している。巷で報告される死人の数は尋常ではない。それに比べれば、外傷によらない一人の死亡など」

「目の前で見てないから、そういうことが言えるんだよ」


 思わず、叫ぶようにそう言ってしまった。間違いなく俺の本心だった。これはゲームではない。いくらでも他のプレイヤーをキルしていいFPSじゃない。殺しても、殺されてもいけない。ここは現実世界なのだから。


「お前の意見は、この街が『現実世界である』ことを前提にしている。殺人やその他、犯罪行為が公平かつ厳粛に裁かれることが常識の世界であるならば、その言葉も聞き入れる価値があろう」

「……っ!?」

「ことこの街においては、そうとは限らないということを覚えておけ。事実、自警団と名乗る連中は一人も裁かれていない。それどころか、もはや名ばかりで機能を失った警察の代わりに、治安維持に貢献しているとの評価が専らだ。自警団を敵視する俺たちの方が、マイノリティであるということを、今は心にとどめておかねばならない」

「……ここが、そんな街だなんて、聞いてねえよ。なんで……」

「元に戻したいのであれば、まずは工場を潰すことだ。新たな能力者を生み出す場所を潰さんことには、いつまで経ってもいたちごっこだからな」


 ヤシロが懐から一枚の写真を取り出して、俺たちに見せた。


「工場の予備電源として、今まさに使い潰されんとしているのは、俺の上司ボスだ。彼女の権限で動く施設や何やらも多い。仮にそのような事情が関係なくとも、お前であればこのいたいけな少女が予備電源の正体であると知って、助けに行かないほど薄情ではあるまい」

「……っ」

「俺が故意に爆発を起こしたあの場所は、地下に埋まっている工場にほど近い。自警団が自分たちの管轄していない爆発に引き寄せられ、地下の工場を発見すれば放ってはおかないだろう。能力者の匂いを嗅ぎつけて、本丸に攻め入ることを選ぶはずだ。俺たちはその跡をたどって、おひい様・・・・を助け出せばいい。どうだ、よくできたストーリーだろう」

「……それは、あんたも協力するってことだよな」

「もちろんだ。むしろ正体不明の能力を持つお前と、磁気の力で物を引き寄せるだけのそこの女、加えて怪人二十面相のやつの三人では、到底太刀打ちできんだろう。工場の最深部にたどり着くまで、最新鋭の能力を持ち合わせた護衛が待っていることは容易に想像できるからな」


 爆発があった場所までは、それなりに距離がある。そのことを伝えると、ヤシロが俺の能力を使えばいい、とあっさり言ってのけた。液体だけでなく気体をも自在に操るその能力で、俺たちは風というより暴風に乗って、浮遊感をまともに味わう時間もないまま事故現場にたどり着いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る