3 警察官との邂逅

「……これを、着ればいいのか」


 ついさっきまで生きるか死ぬかという状況にあったから、シャワーを浴びながらも落ち着かないでいた。浴室の扉を開けると用意されていた服を見て、思わずつぶやく。男性ものの下着まで用意されていた。彼氏がいてこういうことには慣れているのだろうか?だとすれば、こうして家に押し入ってしまって申し訳ない。


「さっぱりした?」

「……まあ、それは」

「そう、よかった」

「あの、何とお礼を言えばいいか」

「そういうのはいいわ。こういうのは慣れているし」

「やっぱり同居人が?」

「同居人? ……あぁ、また私は言葉足らずで……」


 何か悔やむような様子を彼女は見せた。


「霊が見えるの、私。イタコの末裔でね、霊ってその手の人間の方に集まる傾向があるから」

「なっ……」

「ここに時々彼らも遊びに来るのよ。なんだか、シャワーも勝手に使われているようで。彼ら、服が用意されていないと怒るものだから」

「……なんなんだ、あんたはいったい」

「自己紹介しましょうか」


 家でも仕事をするタイプなのだろうか、彼女は明らかに仕事で使いそうなノートパソコンからいったん目を離し、こちらを向いた。よくよく見ると黒髪ロングの落ち着いた雰囲気の女性で、万人受けしそうだと一目で思った。


郡家三笠こおげ・みかさ。大阪府警の警視をやっているわ。さっきも言ったけれど、イタコの末裔で。降霊術ができるわけではないのだけど、霊感が強くて、今の警察には必要とされているみたいね」


 俺もごく普通の会社員であるという自己紹介をしてから、彼女の出自について考える。イタコと言えば、東北地方の北の方、青森あたりで口寄せをして先祖たちの霊を降ろす巫女さん、みたいな職業だったはず。調べてどうやらだいたい合っているらしいことを確認した。それがいったい、どう関係あるというのか。


「今この街では、警察も把握しきれていない私刑……一般人が勝手に別の一般人に刑を加えるような事件が頻発しているの。あなたが遭遇したのも、そのうちの一件」

「俺を助けてくれたのは、そういうことなのか」

「もちろんそれもあるけれど。あなたからはどうも、特殊な匂いを感じるのよね」

「特殊な匂い? え、なんか臭いが……」

「……失礼。有り体に言えば、私の霊感センサーが反応している。あなた、霊感があるとか言われたことはない?」

「いや……特に。占いとかあんまり信じないタイプですし」

「そう……なら、あなたの力に、何か関係しているのかもね」

「力? 固有スキル……的な?」

「なるほど、あなたつい最近この街に来た?」

「え? あ、まあ。就職でこっちに。まだ数ヶ月くらいで」

「なら、知らなくても無理はないわね」


 そう言うと、彼女が立ち上がり、少し離れたところにあるスマートフォンの充電器に向かって手をかざした。その瞬間、磁石に吸い寄せられるかのように充電器が動き、あっという間に彼女の手の中に収まった。彼女は一歩も動いていない。マジックにしてはショボすぎるし、俺の目にも止まらぬ速さで移動したとも考えにくい。これが超能力か何かとでも言うのだろうか?


「……この街にいる人間はみんな、こういった能力を使えるの。例えば私なら、手のひらを一時的に磁石に変えて物を引き寄せる、命名は『電磁誘導ファラデー』。この街の外では考えられないような力を、みんな当たり前のように使いこなせる、はずなの」

「能力……今のが?」

「今のは力のほんの一部。強磁性体だけではなくて、反磁性体も引き寄せることができる。それは使用者の解釈と、解釈を受け止められる身体の容量次第、というところかしら」

「……」

「難しい説明をしてしまったわね。要は……『物を引き寄せる』ことだけが私の能力の要点で、あとは私の解釈で幅を広げただけ。あなたも自分の持つ能力について知って、知見を深めれば、自在に使いこなせるようになるはずよ」

「こういうのを、俺も持ってるってことですか」


 ショボい質問しか出てこない。まるでこことは違う、ファンタジーの世界の話をされているようだった。確かに俺の日常からはとても想像できないことが起きているが、それが俺の日常になるとは到底思えない。これから身の回りを注意深く見ていけば分かるということだろうか。


「ええ。この街に住む人間である限り、何かしらの能力を持っていないとおかしい。……ただ、そもそも自分が力を持っていることすら知覚していないのは珍しい……それも、今私が追っている件につながっているのかも? とにかく、あなたは知らず知らずのうちに、何か重要な秘密を握らされていそうね」

「……俺は、どうすれば」

「あなた、家も吹き飛ばされて帰るに帰れないでしょう。よかったら、この家を自由に使って?」

「えっ」

「私はあまり気にしないから」

「そっちが気にしなくても……」

「……そうね、ここには夜な夜な霊が集まるというのを忘れていたわ。私はもう慣れてしまったけれど、あなたはそうではないものね」

「いや、そういうことではなく」


 男と女が一つ屋根の下になればどうなるか、理解して言っているのだろうか?さすがに今日会ったばかりの人とある程度の距離を置く程度には理性があるつもりだが、俺にそのつもりがなくてもどうなることやら。正直、何日か経って訴えられでもしたら、俺は相当不利な立場に置かれると思う。できればさっさと保険でお金を出してもらって、安全そうな場所に部屋を借りたいところなのだが。そんなことを考えて口をへの字に曲げていると、ようやく彼女が気づいてくれた。


「……ああ。なるほど、そういうことね。でも……あいにく、あなたのための部屋は用意できそうにないわね」

「警察官が一般男性を家に匿うのはOKなのに……?」

「……それには深い事情があるのよ。けれど説明しなければならないことが多くて……何から説明すれば、あなたにも納得してもらえるか。それを今整理しているところなのだけれど」

「あぁ……それはすみませんでした」

「あと、私のことは三笠、と呼び捨てにしてくれて構わないわ。今この瞬間からビジネスパートナーなわけだし、毎回さん付けは煩わしいでしょう」

「……ま、まあ、慣れないけど。分かった」

「そう。あなたはおそらくこれから、『死んだはずの存在』『戸籍には載っていないはずの存在』になる……場合によっては、私と仲睦まじい、仁方由介にがたゆうすけではない赤の他人の演技をする必要があるかもしれない」

「……そ、そうなるか。そうだよな」

「状況がいったん落ち着くまでは、あなたを外に出すつもりはないけれど……私に協力する以上、そういった綱渡りな場面もいつか訪れると思っておいて」


 そこまで言われて、ようやく反論らしい反論が口から出てきた。


「……いや、協力するとは一言も」

「協力しないと言うのなら、今この瞬間に外に放り出すけれど。それでもよければ」

「すみませんでした」


 生きるか死ぬかといった出来事を連続で経験するなんて、本当にごめんだ。三笠の話にはまだ続きがありそうだったので、俺は髪を乾かしてからすっと三笠の隣に正座をした。

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