「2月30日の卒業生」

かみさき

2月30日の卒業生

 2月28日、肌寒い風が頬を掠める。制服の上に着たジャンパーを脱ぐにはまだ1、2か月早いだろう。

 窓際の席から見た外の景色は、結露によって少し霞んでいる。

「っ……うぅ、さぶっ」

 廊下から流れてくる冷たい空気に思わず身を震わせていると、

『キーンコーンカーンコーン』

 5限終了の合図が鳴り響き、退屈で名残惜しい、高校生活最後の授業その終わりを告げた。


「日並ー、リハ前に少し話せるか」

 担任に名前を呼ばれ、成績関連かと少し身構えたが

「明後日の卒業式の答辞、原稿どうなってる?」

 その言葉に安心した。直ぐに鞄から1枚の原稿用紙を取り出して、先生に渡す。

 正直に言って答辞などやりたくなかったが、立候補者が一向に出ず、最終的にくじ引きで『アタリ』を引いてしまった俺の運が悪い。

「よし、ちゃんと書けてるな。あ、一応ここに名前書いとけ」

 ネットのコピペをした原稿に、一通り目を通した先生が、俺を一暼して原稿用紙の右下を指差してきた。

 筆箱からペンを取り出して、12年間書いてきた自分の名前を特別綺麗に書いた。


日並ひなみ慶臧よしつぐ


 それにしても、いざ答辞の原稿を先生に渡すといよいよなんだと感じる。

 今まで生きてきた18年間の人生、その大半を費やした学校生活から、本当の意味で卒業するのだと。

 勿論、大学に進学する人も少なくはない。しかし、俺を含めたその大半は夢もなく、なんとなくその道を選んだ様に思う。

 ただ、これは別に進学する人には夢がないと言っている訳ではない。自分の進みたい道が見つかっているか、見つかっていないかその違いなのだろう。

 それで言えば、俺は間違いなく後者だ。

 なんとなく普通の大学に進学してなんとなく成人を迎える。それが良くないと思う自分もいるが、人生なんて、どうせそんなものだろうと無意識に悲観している自分の方が、生きるのが楽そうに思う。

 卒業式は明後日。進学先も決まっている。今更こんなことを悩んでも仕方がないというのに、春先の冷たい太陽を浴びた俺は、いつにも増してネガティブで、面倒臭い。



 ◇



 6限の卒業式リハを終え、体育館に集まった今年度卒業生の104名の生徒は、雛壇の上で高校生活を振り返ったり、あるいは卒業式後の予定を話し合ったり。

 正直、どんな話をしているかは俺の想像に過ぎない。何故なら、帰宅部の俺はその輪に参加していないし参加する気もないから。

 俺以外の10数名の帰宅部員は、チャイムと同時にそそくさと、対して思い入れの無い体育館を後にしていた。

「よっ! よっしー」

 後少しで体育館を出るというところで、恐らく部活のユニフォームを着た石川いしかわ花夏かなに呼び止められた。

 花夏という名前に、女の子のような綺麗な容姿だが、彼は正真正銘の男であり俺の小学校からの友人である。

「おう、お疲れ。これから部活か?」

 自分でも分かるぶっきらぼうな返事に、花夏はクスクスと笑った。

「もう、卒業だよ? 僕はとっくに引退してるし、今日はみんなとユニフォームで写真撮っただけ。よっしー寝ぼけてる?」

「あぁ、そうだったな。すまん。えっと……まぁ、10年間か? ありがとな」


 俺が放ったその一言一言が、白いモヤとなって消えていく。

 気霜きじもというやつだろうか、それを目で追いながら、

「こちらこそ! ありがとう!」

 と、元気に返事をしてくれた花夏を背に、体育館を後にした。




『ピピピピ ピピピピ』

 アラームの音が部屋中に響き渡り、その騒々しさに俺の目は……覚めなかった。

 この12年間、アラームの音で起きた事は一度もなく、大抵は隣の部屋で寝ている親に、

「こら! 早く起きなさい。遅刻するわよ!」

 と、怒鳴られてやっと目が覚める。結局、1時間おきにかけていたアラームも一度も役に立つ事なく、今日、卒業式を迎えてしまった。

 おもむろに、眠く気怠い身体を起こして、先程まで煩い音を発していたスマホを見た。

「7時か……。ふぁぁ、眠いな……。ん?」

 画面を付け、最初に見た表示は時刻。それは別におかしく無かった。問題は、その次に見た日付表示。それがあまりに意味不明で、思わず二度見してしまう。


【2月30日】


 今年は閏年でもなく、そもそも2月に30日という日付は存在しない。それは誰もが知る事実のはずだ。

 俺は急いでベッドを飛び出し、弁当を作っている母親に確認した。

「母さん! 今日って何日だ?」

「何寝ぼけたこと言ってるの。今日は2月30日。あんたの卒業式でしょうが」

 母さんは至極当然のことのように、不安げな顔で俺の顔を覗いた。

 おかしい。母さんは冗談をいう人ではない。だとしても、2月30日なんて日付は聞いたことがない。

 しかし、そんな俺を否定するかのように、テレビに映る日付も、電話をかけた花夏も、担任の先生でさえ2月30日だと口を揃えた。


(これは、俺がおかしいのか……?)

 疑問と不安が俺の中で渦巻いたが、ひとまず俺は登校した。

 本来であれば、3月2日に行われるはずだった卒業式も2月30日とされる今日にしっかりと行われ、答辞も述べた。

 それまでの緊張が嘘のように案外サクッと終わり、今は安寧の地、図書室にお別れをしに来ている。

「ふう、なんかよく分かんないけど、とりあえず卒業……か」

 困惑していた脳内も徐々に整理され、最終的に出した答えは、『寝れば元に戻る』のでは? というもの。小説なんかには良くある設定だし、俺がどんな理由でこの世界に来たのかも分からない以上、これ以上考えても無駄だという結論に至った。


「まぁ、おかしいけどこれ以上考えても仕方ないな」

『そうかなぁ? 僕はそうは思わないんだけど』

 突然、背後からかけられた透き通った声に、文字通り身体をビクりとさせてしまう。

 俺に声をかけてきた“それ“は、間違いなく今までに見た事がない、雪白せっぱくの髪を持ち、ターコイズなんちゃらとかいう青い瞳を輝かせた美少女……? だった。

「き、君は誰だ……? 何年だ?」

『お? 思った通り君は僕の存在を認識できるんだね。と、いうことは……』

 含んだ笑みを浮かべた“それ“は、

『君がこの夢境の主という訳だ』

 俺の【答え】を全て否定する一言を放った。



 ◇



 一体こいつはなんなんだ。

 そもそも、なぜ誰もこいつを疑問視しなかった? この学校にこれ程目立つ見た目の奴は今まで見た事がない。

 それが卒業式当日に現れればまず騒めくはずだ。

 そこまで考えを巡らせて、ようやく理解した。いや、どちらかと言えばあまりに目立つ“それ“の登場に忘れていた事を思い出したと言うべきか。

『理解できたかな? 君はこの、2月30日という夢境に閉じ込められているんだよ』

「はぁ。さっきからなんなんだよ、その夢境って」

『さあ? 僕も詳細に知っている訳じゃないさ。ただ一つ言えることは僕が視える君が、夢境の主であり、この世界を作り出した張本人という事だ』

 俺がこの世界を作った……? こいつは何を言っているんだ。

 性別も年齢も知れない奴(多分女)の言うことを間に受ける俺も大概だが、それ以上に、この空間が確かに存在しているという事実が衝撃的すぎて、どうやら脳が麻痺しているらしい。

「いくつか質問したい。それと、俺は『君』じゃない。慶臧、日並慶臧だ」

『いいよ。僕も慶臧の事を知りたいしね』

「まず、お前は何者だ。何故この夢境? ってやつを知ってるんだ」

『僕は……』

 “それ“は少し考えるようにして俯き、図書室のメモを持ってきて何かを書き始めた。


【優】

 その一文字を書き終えて、俺の前にメモを置いた。

『僕の頭の中には、恐らく名前であろうこの一文字と、夢境の主を手伝えという命令の様なものだけが残されている。残念ながら、僕はこの漢字の意味も読み方も知らない。だから僕の事は好きに呼んでくれて良いよ』

 そこまで言って息を深く吸った“それ“は、不安気に俺を見つめてきた。

 正直、俺も不安だ。こんな変な世界で、素性の知れない奴と2人。どう安心すれば良いのか逆に聞きたい。

 かと言って、何もせずにただ絶望。なんてそんな事はしない。ひとまず、呼び方を考えて“それ“というどっかのホラー映画みたいな三人称を辞めよう。

「分かった。じゃあ、ゆうでいいか?」

『ゆう……か。良いんじゃないかな。僕は好きな響きだ』

 良かった。どうやら、俺のセンスは夢境でも通用するらしい。俺が安堵していると、優が付け加える様にして

『あ、さっきから気になっているみたいだけど、僕に性別はないよ。君が女だと思うならそうなんだろうけどね』

「っ……気になってねぇよ!」



 ◇



『ふぅ。一通り僕の説明は終わったかな』

「そうだな。俺も教えられそうなことはこんなもんだ」

 あれからしばらくの間、俺と優はお互いの情報を交換し照らし合わせてみた。

 俺は最近あった驚いた事や悲しかった事、この学校をどう思っていたか、そんな日常的な話を。

 優は自分が目覚めるまでに覚えていた事や、この世界に来ての違和感を話してくれた。

「まさか何も覚えてないとはな」

『そうだね。僕も驚いているよ。この世界で目覚めるまでの記憶がない。覚えていたのは名前と思われる漢字だけなんだから』

「それって本当に名前だったのかも怪しいよな。それになんか、まるでこの世界でしか存在できないみたいな感じがするし。そんな物語みたいなことないと思うけどな」

『それはどうだろう』

 ちょっとキメ顔で異世界人間説を提唱し、自分で否定した痛い俺をさらに上から否定してくるとは……。少し驚いた。こいつもオタクか?

「ん……どういう意味だよ」

『難しい話ではないよ。慶臧の事は慶臧にしか分からないように、僕の事は僕にしか分からない。ただ、その僕自身が分からない以上、何よりこの不可解な世界にいる以上何が起きてもおかしくはないだろう?』

「確かに。そう言われてみればそうかもな」

 優の言う通り、2月30日が一体どうして生まれた世界なのかが分からない限りは、俺の存在でさえ曖昧と言う他ないだろう。

 ただ、【日並慶臧】という人間は元の世界にも存在している。それは事実だ。

 根拠はある。元の卒業式の日付はちゃんと3月2日とされていた。それを覚えている俺は、その世界からこっちへ迷い込んできたのか、あるいはこの世界の中の俺に記憶だけ上書きされたのか。

「あーわっかんねえ」

『ふふ。慶臧、君は見ていて面白いね。……そうだ、ちょっと気分転換に行かないかい?』




 夢境に来て、いくつか分かった事がある。それは環境的な物が一切、存在しない事だ。

 例えば、廊下を歩く上履きの音や窓の結露、それに屋上に居るのに風も寒さも感じない。勿論、生徒は変わりなく生活している。この優という存在と2月30日という日付以外は元の世界と変わらない。

「屋上なんて初めて来たな」

『そうか……。何故だろう。僕も初めての筈なのに、何だか懐かしい気がする』

「優は元の世界で来た事があるのかもな。俺は何度もここに来る夢というか妄想というか、そんな事をしてイライラや悩みを発散して。まったく、しょうもない事をしていた学校生活だったよ」

『夢や妄想……? 楽しいのかい?』

「どうだろうな。ここは夢境なんだろ? 優は楽しいのか?」

『僕は……』

 そこまで言い掛けて黙り込んでしまった優は、そのまま少しの間黙ったままだった。

 そして、ようやく口を開いた優の目には涙が浮かんでいて、何かを悟ったそんな顔をしていた。

「お、おい! どうした」

『何でもないさ。ただ、ここから出る方法が分かった……と思う』

「え、まじか!? どうすれば良い?」

『その前に慶臧、君は悩みはあまり無かったと言っていたが、本当に無かったのか? 小さな事でもいい、何かないか』


 いきなりそんな事を聞くのには何か理由があるのだろう。

 言われた通り、俺はこれまでを思い返してみた。

「大した事じゃないけど、進路は少し迷ったかもな」

『進路?』

「ああ、俺は進学を選んだけど別に夢があった訳でも、進学先に特別行きたい訳でも無かったんだ。何となくなんだよ」

『つまり、慶臧はもう少し悩みたかったのかい?』

「どうだろうな。俺はどうしたかったんだろう。それすらも分からない……。でも、悩んで悩んで悩み尽くして出した進路なら、きっと納得出来たんだと思う」

 そうだ。俺は何となくなんて曖昧なもので進路を決めて、それに納得してなかった。自分で決めた癖に、それを受け入れてなかった。

『なるほどね。それじゃあそれが理由だよ』

「ん?」

『それが、この夢境を作り出した理由。君がこの世界に逃げてきた理由さ』

「どうゆうことだよ。説明してくれ!」

 全く意味がわからない。何で俺の進路問題がこの世界に繋がってるんだ。

 優は顔を伏せて、次に顔を上げたときには真っ直ぐに俺を見つめて、何かを決意した様な顔をしていた。


『1から説明しようか。まず、慶臧は現実世界に存在している。これは間違いない。それは君も分かっていただろう。そして、この夢境を君が作ったのだと言うのは僕を認識できている時点で証明されている』

「ああ。そこまでは俺も分かってる」

『うん、問題はここから。僕はここに来るまでの記憶が無い。でも少し懐かしい気もするんだ。それはおかしくないかい? ここに来るまでの記憶が無いのに、誰にも認識されないのに慶臧には僕が視えて、慶臧が行った事がない場所が懐かしく思える』

「いや……それは、優が現実でよく行ってたのかも」

『それだっておかしい。僕のこの名前も慶臧が付けてくれたんだし、この学校にいたのに僕を初めて見たなんておかしな話だろう?』

「そ、それはそうだけど……」

 俺を納得させようと優が説明をする度に、優の顔はどんどん険しくなっていく。

 まるで、何かを堪えるように。

『多分僕は、君から生まれたんだよ』

「……は?」

『慶臧言ってただろう? 屋上ここに来る妄想をしてたって。記憶のない僕がここを懐かしむ理由なんてこれしかないと思う。僕は君の一部から生まれた存在、だから記憶も性別も名前も無い。誰にも認識されないんだ。だからここは、君の夢境せかいなんだ』

 それは、このイかれた夢境よりもイかれた解釈で、どんな説明よりも腑に落ちた。

 優という存在が、俺という人間が、この夢境に来た理由が少し分かった気がした。俺が進路に悩んでいたから、優という俺の中の何かが具現化して仮初の世界を作ってしまった。ここで俺が、誰かと相談して悩める時間を作るために。

 何より、このに映る優の姿はあまりに寂しげで、頬を伝った涙はポツリと地面に落ちては溜まっていく。それを見てしまったら、優を否定する気にはなれなかった。

『あはは……。何でかな。僕は人間じゃ無いのに』

「そんなことねぇよ。優は人間だ」

 本当は分かってる。この夢境から出る方法なんて、優が泣く前から分かっている。

 だけど、俺はそれをしたくない。この世界が心地良い。優と過ごした1日が、2月30日が、このまま続いて欲しい。卒業なんて、お別れなんてしたく無い。

『慶臧は優しいんだね。だから僕が生まれたのかも。君はもう分かってるだろう? お別れの時間だ』

「嫌だ。卒業なんて……優とお別れなんかしたくねぇ…」

『それは無理だよ。君の意思で出なくとも、いずれここは消える。それなら素直にお別れした方が悲しく無いだろう?』

「い、嫌……」

『慶臧っ! お願いだ……!』

 俺を遮るようにして発せられた言葉は、寒くも無い夢境の世界に、白いモヤとなって現れ、そのモヤが俺の視界を白く染めるのにそう時間はかからなかった。



 ◇



『ピピピピ ピピピピ』

 騒々しいアラームに目が覚めた俺は、なぜか目頭に水を溜めていた。

 目を擦って水を払い、アラームを止め、日付と時刻を確認する。

【3月2日】

「7時か……ふぁ。眠ぃ」

 重い身体をを起こしてリビングに出ると、弁当を作っていた母に驚きで倒れられた。

 学校に着いた後も特に変わったことはなく、答辞を終え、長い学校生活に終止符を打った。

 教師や同級生、花夏と話した後、図書室に借りた本を返しにきた。ついでに安寧の地にお別れも兼ねて。

「3年間ありがとうございました。沢山おすすめもして貰って」

「いいえ〜。君は毎回感想をくれるから、こっちも楽しかったのよ。卒業おめでとう」

「ありがとうございます」

 司書さんにお礼を言って、図書室を出る。

 ふと、窓の外を見て驚いた。立ち入り禁止の屋上に人が立っているのが見えたのだが、驚いたのはそこでは無い。

 風に靡く綺麗な雪白の長い髪。それは間違いなく今までに見た事のない少女。

 その筈なのに、それを見た俺の体は無意識に動いて『早く、早く彼女に会いたい。』そんな事を思っていた。

 急いで階段を登り、立ち入り禁止のテープを剥がしてドアを開けた。

 そこには、雪白の髪をした少女どころか誰もいなかったが、開けたドアの反対側にメモ書きがあった。

【立ち入り禁止なのにいけないんだ。慶臧、楽しい夢をありがとう。卒業おめでとう。 優】

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「2月30日の卒業生」 かみさき @kamisaki727

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