第3話 冬の訪れ
「それにしてもハーブさんは凄いよねえ。私なんて植物育てたらみんな枯れちゃう。何で?」
保健室の先生である古田香織が、保健室と外の小さな畑を繋ぐ勝手口の傍で、傾きだした西日に照らされながら尋ねる。
「水、毎日あげてません?蒸れると根っこが窒息して枯れるんですよ。あと、ハーブさんって呼び方、変なんでやめてもらえますかねえ」
せっせと畑の雑草を引っこ抜きながら、十文字楽が答える。
「だって十文字先生って文字数多いでしょ?それにハーブティーの先生なんだから、ハーブさんで間違いないじゃない。呼びやすいし。可愛いし」
栗色に染めた肩までの髪をくるくると弄びながら言い訳をする。
「まあいいですけど……」
最初から期待していなかったのか、呼び名改訂の提案をあっさりと諦めて雑草をむしり続けている。
「そういえばさ、こないだ三年の平野さんが来たでしょ?あの時のあれ何?えぇ?なんかモヤモヤしてたのぉ?とか言って。かなり演技臭かったよ。普通に相談乗ってあげればいいじゃない。担任と連携して生徒の悩み事殆ど把握してるくせに」
「いやあ、僕みたいな陰気臭い男に悩み事を根掘り葉掘り聞かれるのが好きな人なんてこの世に居ないでしょ?そもそも僕、教科担当してないんで生徒との信頼関係なんてないに等しいですしねえ」
畑の一角の雑草をある程度抜き終え、手の土が袖につかないように器用に腕を使って袖を捲る。
「言われてみればそうね」
「陰気臭いは訂正してくれないんですね」
さほど気にしていなさそうな表情で肩をがっくりと落とす仕草をしながら、古田を一瞥する。
「ハーブさんさ、顔はいいんだからもっとシャキッとしなよ。背筋伸ばして顔上げて、髪もさっぱり切っちゃいなよ」
気前のいい商売人のような口調で十文字の陰気ポイントを挙げていく。褒めているのか貶しているのか微妙なところだ。
「嫌ですよお。人に顔をまじまじと見られないように工夫した結果なんですから。それにね、自分に自信がないからこそ、人の悩みを理解できるんですよ。自己愛過剰な人間程、誰彼構わずに頑張れ!とか言うんですよ。ああ嫌だ嫌だ」
十文字は、手をひらひらとさせながらいつもよりも少し尖った言い方をした。
「頑張れって、何を頑張ったらいいんだって話ですよ。そもそも悩んでる人っていうのはもう既に頑張ってるんです。だから疲れるし追い詰められちゃうんですよ。それも分からないやつに偉そうにアドバイスされたくありませんよねえ。まったくどいつもこいつも──」
「ハ、ハーブさん、なんだか凄い勢いで愚痴ってるけど、ストレスでも溜まってる?」
とめどなく溢れ続ける十文字の愚痴に、古田が慌てて止めに入る。
「え、いやあ別に、ストレスは溜まってないですよ。いつも思ってることを言っただけです」
「いつもそんなこと思いながら生きてるんだ……。大人しそうな雰囲気醸し出しといてなかなか怖いな」
「大人しい人程怒ると怖いのは人間あるあるじゃないですかあ」
キーンコーンカーンコーン──。二人の雑談に区切りをつけるように、六時間目の授業終了のチャイムが鳴る。
「最近日が傾くのが早いね。どんどん寒くなってきたし」
「もう十二月ですからね。寒さに弱いハーブ達は室内栽培にしないと枯れちゃうんですよ。寒いねえ、お部屋入ろうねえ」
まるで子供に話しかけるように声を高くして、プランターのハーブに話しかけながら、側面や底を一個一個丁寧に水洗いしていく。
「ねえ、その辺の地植えにしてあるのはどうするの?」
さっき十文字が一生懸命雑草をむしっていたあたりを指さして尋ねる。
「ああ、ローズマリーやラベンダーは寒さに強いので外で冬を越してもらいます。強い霜に当たらなければ大丈夫なので」
古田は感心したように何度も頷いている。そしてすぐ、何か思いついたように手を叩いた。
「ちょっと私もラベンダー育ててみようかな。冬でも育つなんて丈夫そうだし、もしかしたら私で──」
「やめといた方がいいですよ。可哀想です、植物が」
十文字の優しい声にそぐわぬ鋭い否定の言葉と、憐れむような冷たい眼差しに、古田はムキになって言い返す。
「水やりし過ぎなければいいんでしょ!ね、ちょっとだけ分けてよー」
「自分で買ってくださいよお」
「あ、あのぉ……」
傍から見れば兄弟喧嘩のように見える言い合いに、割って入る小さな声が二人の背後から聞こえた。
「あのぉ、ポ、ポスターを見て……来ました」
一人の女子生徒が、手を胸の前で組んでもじもじさせながら勝手口に立っていた。
「ああ、ごめんごめん。今ね、古田先生に絡まれてたんだ。助かったよお。さ、奥へどうぞどうぞ」
「絡まれてたって言い方は誤解があるわよ!」
十文字は、必死に反論する古田を尻目に、土で汚れた手を外の蛇口でサッと洗ってから衝立の奥へと入っていった。
十文字先生と保健室 阿久津 幻斎 @AKT_gensai
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