それでも家族

環 哉芽

それでも家族


 七月半ばの奈良県⚪︎⚪︎市⚪︎⚪︎町、築年数が経っている市営住宅。

 カントリー調のインテリアには木の質感が残る手作りの棚なんかが飾ってある。


 家具のあたたかさとは打って変わって、ダイニングテーブルに座ってさめざめ泣く母親がやたら浮いて見えた。


 わたし、鳥山未来とりやま みきの記憶を掘り起こした最初の部分にはそんな光景が焼きついている。

 

「おーい、未来」


 追憶にひたるわたしを現実へと引き戻す呑気な声の主は同じバイト先の植田脩吾うえだ しゅうごだ。


「お疲れ様です」

「締め作業終わったから帰ろ、送るで」


 店の軒先にあるベンチから立ち上がって会釈をするわたしに植田は鍵をじゃらじゃらと鳴らしながら上へと掲げた。


 ひとしきり大袈裟ともとれる動作を眺めてから、わたしは脳内に浮かんだ疑問を投げる。


「今日何曜日でしたっけ」

「水曜日だけど」

「なら今日は智也くんの日だ」


 曜日を聞いたかと思えば脈絡もなく男の名前を口に出すわたしに驚いたような変な表情で植田はこちらを見る。


「か……彼氏?」

「ううん、今日のお父さん」

「は?」

「うちのお父さんシフト制なんですよ」


 沢山質問を飛ばしたい衝動に駆られながらも、まるで地雷原を前に足踏みするように口をもごもごと動かす植田に背を向けて、店先に設置されている自動販売機の前に立つ。


「シリアスな話とかじゃなくて、ただそういう家庭ってだけですよ。野菜の産地を聞いたくらいの感覚でお願いします。」


 指先をボタンの前で彷徨わせてから、これでいいかとコーラとコーヒー、冷たいドリンクをチョイスしてボタンを押した。

 なんせ今は夏だ、いくら夜風が吹いているといっても蒸し暑い。

 どちらが良いですか、と缶を見せれば迷うこともなくコーラを手から抜き取った。


「そうは言ったって複雑な感情になるやろ」

「じゃあ話さないほうがいいですかね」

「……聞くけど」


 二人してベンチへと座る、心配や同情、好奇心が混ざったような承諾を聞けばわたしは話し始めた。

 

 わたしの思い出にある母はずっと可哀想な女だった、わたしの父親は暴力、浮気、金を無心した末に蒸発した。


 絵に描いたような哀れな女。


 だが母は、その可哀想さを使うのがとてつもなく上手かったのだ。


 一家離散してすぐにわたしと母は、同じ県にある祖父母の家へと引っ越した。

 引っ越してすぐは祖父母も良くしてくれていたのだが、毎夜遊びに出掛ける母へ募る嫌悪感は次第に幼いわたしにも向けられた。


「ん——、おかあさん?」


 ある夜、寝心地の悪さに目を覚ますとそこは車の中だった。

 車の窓から外を覗くと見知らぬ男性の胸で泣く母が見えた、母はようやく泣き止んだかと思えばわたしに気付いて駆け寄ってきた。


 車のドアを開いた母はわたしにこう言った。


「あの人、つよしさん!月曜日のお父さんね」


 先程までの涙はなんだったのかと言いたくなるくらいの笑顔で。


「月曜日の?」

「そうよ、素敵なお父さんが未来みきには七人もできるんやで」


 それからすぐに月曜から日曜日までの父を紹介された。

 シフト制の父親は容姿も職業も性格も、バラバラだったが、口を揃えて「お母さんは可哀想だね」と言った。


「小さかったわたしに母はワークバランスの調整みたいなもんって言ってましたけど、わたしが居たからそんな選択を取らざるをえなかったんでしょうね」


 いつの間にか缶が少しへこむくらいに握り込んで話を聞いていた植田は口を開く。


「女のままついでに未来みきを育ててるだけの中途半端で自分勝手な選択や」

「それでも子供を産んだだけのわたしと同じ人間だと思えば理不尽なのは子供側ですよ」


 わたしだってわかっている、いつか自分の歪みに気付く日がくることを。

 だけどわたしに与えられた家族がそれだったのだ。

 わたしを生かしてきたのが家族なのだ。

 腑に落ちない顔で話を聞いていた植田の手がわたしの冷え切った手を握る。


「可哀想やな」


 そのたった一言に安堵を覚えてしまうわたしはやはり彼女たちの家族なのだ。

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それでも家族 環 哉芽 @tamaki_kaname

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