第3話 人の暮らす場所

 人を埋められる程の穴を掘るというのは非常に大変な作業である。

 それが十数人単位、しかもよく踏み固められた道路ともなれば人一人分の穴を掘るだけでも一日時がかかりで行うほどの大作業だ。


 だがここは異世界であり、翔の体は神の力によって驚くほどに強化されている。

 人の体よりも高く土煙を上げるほどの速度で走れる身体能力を持つ翔が全力で穴を掘ったらどうなるか──


「次の方、身分証の提示をお願いします」


「どうぞ」


 野盗たちが装備していた良質な短剣を全て壊してはしまったものの、陽の位置がさほど変わらない程度の時間で翔は穴を掘ることに成功していた。

 明らかに人の身から逸脱した己の身体能力についてゆっくりと調べてみたかった翔だが、街に行けと神から言われている以上はだらだらと自分の身体能力を調べている時間などない。


 要求された通りに身分証を渡すと、特に何か調べるでもなく一瞥しただけで身分証は返却される。

 身分証の偽装がよほどの重罪だからか、それとも別の方法で身分証を確認しているからなのだろうか。

 街に入るとなると、翔の頭の中では気になることが山のように積み重なっていく。


「まさか本当にこんなただの板で通れるとは……顔写真も何もないけど偽装し放題なんじゃないかなこれ」


 手元にある身分証を見てみれば、書かれている内容は出身地、名前、使用できる魔法と能力について──これに関しては任意だが──だけだ。

 何か未知数の力があるのなら話は別だが、目視で確認できる内容だけでは偽造は簡単に思える。


 ただ分かりやすく難解な技術を組み込むというふうにも思えないので、実際のところはなんらかの鑑定手段はあるのだろうが。


「ここからは三列に並んで下さい! 係員からの説明がありますので案内に従って移動するように。ご協力お願いします!」


 身分証から目線を外し、並んでいた列の先の方を見てみれば先導する兵士の姿が目に入る。

 周りを見てみれば石造りの荘厳な壁がすぐ目の前まで近づいてきており、その製造方法や組み立て方など気になることは多い。

 いますぐ列を離れて壁について調べてみたかった翔だったが、長い間列に並んでいたのにいまさらもう一度並び直すわけにもいかずグッと気持ちを堪える。


 そうして案内された先は外と街を隔てる壁の中に作られた一室。

 全ての壁が部屋一つ入るほど分厚いというわけではなく、何かしらの用途の為に部屋一つ分だけ増築したような印象を受けるそこに係の案内のもと入っていく。

 案内された部屋の中はだだっ広いだけの空間で、床こそ木の板が貼り付けられているが壁などは外壁に使われているのと同じ石材が剥き出しになったままである。


 そんな場所に用意されていた椅子に腰掛けて待っていると、赤い刺繍の入った一際目立つ兵士が部屋の中へと入ってきた。


「初めまして、私はこの街の治安維持隊を纏めるガレンと申します。以後お見知り置きを。

 皆様はこの町に来るのが初めての方々なので、簡単にこの街の特徴についてお話しします」


 部屋の中にいる人数は二十人程度。

 この人数を前にしてわざわざ治安維持隊の隊長が出てくるあたり、隊長はよほど暇なのかそれとも直接やってくる人間をみたいのかその両方か。


(治安維持隊って名前をわざわざ使ってるってことは、軍隊を名乗れない理由でもあるのかな? 

 たとえば戦後の日本みたいに外敵への対抗手段として確保しているだけの最低の自衛手段みたいな)


 考えられる可能性としてはこの都市がどこかの国の支配下である可能性。

 周りの椅子を見てみればそのほとんどが商人であり、どうやら領主の気分次第で血の雨が降る可能性のあるような街ではないらしいが、それでも危険度はそれなりに高く感じられる。


 治安維持隊隊長から語られる様々な街のルールに耳を傾けつつも、翔は気がつかれないようにされど油断なく己の周囲から情報を収集し続けていた。


「以上が基本的にこの街で暮らす上でのマナーとなります。

 様々な国を渡り歩く皆様におかれましてはいまさらなマナーだとは思われますが、改めて確認をお願いします」


 それだけ念押しをするということはかつてそう言った事件があったか、もしくはそんな事件が発生したら彼等になんらかの罰が降るかのどちらかだろう。

 邪推する事をやめられない翔だったが、考えれば考えるほどになにやらこの街には何かがありそうだと感じるのだ。


「最後に我が国ではご存じの通り奴隷制度が認められておりません。奴隷をお持ちの商人の方に関しては、奴隷の証を隠していただくと共にご配慮をお願いします。

 何も問題のない方は前の扉から、問題が発生した方は後ろの扉からご退出ください」


 奴隷制度の廃止が一番初めに訴えられたのは世界史では1800年台前半、単純に比較することはできないだろうが、その頃まで文化レベルが上がっているのかと聞かれればそうではなさそうだ。

 ならば一体どんな原因があっておそらくは植民であろうこの街において、奴隷制度が廃止されているのだろうか。


 兵士達が特権階級であるということはなんとなく彼等の顔からして理解できるが、それにしたって労働力の確保という点から見ても異世界において奴隷制度を廃止する理由が翔には見当たらなかった。

 人道的な問題を無視するわけにはいかないが、人を切り捨ててその場に放置するような世界で奴隷だけは特別扱いなどそんな虫のいい話があるはずがない。


「では案内はここまでです。ようこそ岩の街ガムラックへ」


 その謎は街の中へ入れば解決されるはずだ。

 そう信じた翔は兵士の声につられるままに自分が知らない街を見る。


(ここが異世界初の街……!)


 それは岩で作られた要塞のような場所であった。

 基本的に人間は岩を家にするということはない。

 まず掘削費用がかかるし安全性の保証もしにくい、さらに冬は冷たく夏は暑くなるし家が作れるような巨大な岩があるような場所は、多くが岩石地域と呼ばれる溶岩の噴火口などが近い高温地帯であり人の居住に向かないからである

 だが目の前の大きな岩の山は間違いなく居住区であり、その周りを囲むようにして作られた出店は人間の文化の証でもある。


「いらっしゃい! うちの回復薬ポーションは質がいいぞ!」


「武器をお求めなら是非我らがザレイア一家にお任せを! 目の玉が飛び出るような素晴らしい商品発売中!」


「魔術師組合からお知らせです! 出店の怪しい魔法道具は思いもよらない危険性を持つ可能性があるため発見次第触らずに魔術師組合に通報を!!」


「うるっせぇぞ魔術師組合! 普段はダンマリ決め込んでるくせにこんな時だけギャアギャア言いやがって!」


「何よアンタ! 私達とやるってわけ!? あぁん!?」


 気になる情報が洪水のように飛び込んできて、翔は反射的にペンと紙を取り出して聞こえてくる言葉の中から必要そうな物を精査する。

 この紙は冒険者の技能によって得られた能力の一つ、〈ストレージ〉と呼ばれる指定した対象の空間拡張性を広げる能力によって作られた空間の中に入っていたものだ。


 ちなみに指定されていた場所は翔のズボンのポッケであり、中の広さは大体大きなリュック程度のサイズであった。


(思ってたより治安いいな!)


 周りの賑わい方からして圧政の元に虐げられているというような印象は受けられない。

 むしろ立場のありそうな組合員と出店の人間が対等に話せているあたり、相当市民間の階級には差がないようである。

 そうしてキョロキョロと辺りを見回していた翔の元に、清潔感こそ取り繕っているものの下心を感じさせる大男がやってくる。


「おう坊主! ここら辺では見ない顔だな、遠くから来たのか?」


「日本から来ました」


「ニホン? 聞いたことがない国だな、俺が道案内してやろうか?」


 聞かれたことに対して素直に翔が答えたのは、相手が嘘を見抜く力を持っている可能性を考慮してだ。

 いつか海外に行こうと考え様々なガイドブックを読んだ知識から、翔はいまの状況がどのようなものなのかを理解する。


 観光客を巧くぼったくる手段の一つとして、周囲を落ち着きなく見回すなどのなれていなさそうな人間は狙われると聞いたことがあった。

 どうにかして目の前の男性を引き剥がす必要があると判断した翔が逃げ道を探していると、翔の肩に手がかけられる。

 目の前の男から手は伸びていないので、背後から置かれたその手は別人のものだ。


「──やめとけやめとけ兄ちゃん、こいつはこの街の価格設定をよく分かってなさそうな商人をカモにしてる悪徳やろうだ。素っ裸にされちまうぞ」


「なんだテメェ? 仕事の邪魔すんのか」


「いいぞ別に、衛兵の目の前で事を起こす気があるなら喧嘩買ってやるよ」


 翔を庇うようにして前に出たのは、刈り上げが特徴的な170を少し超えた程度の青年だ。

 大男を前にして一歩も弾く様子はなく、その背中は頼り甲斐のあるものである。

 チラリと男が視線を向けた先にはこちらを訝しげに見つめる兵士の姿があり、男も面倒事を起こすのは避けたいのか苦い顔を見せる。


「……チッ、命拾いしたな」


「お互い様だろ」


 両者腰にぶら下げた剣にこそ手をかけていないが、それでも充分危険な状況である。

 いまにも喧嘩がはじまりそうな状況を前にして緊張と好奇心に身を包んでいた翔だったが、大男が背中を見せて何処かへと歩いて行き振り返った青年と目が合うとするべき事を思い出す。


「ありがとうございます、助かりました」


「アンタ中々肝座ってんな。俺の名前はビョルヘイル。

 さっきのやつの代わりと言ってはなんだが、この街のいいところは俺も知ってほしい。酒でも奢ってくれたら案内してやるぜ」


「カケルです。なら是非お願いします」


 追い払ってもらえたのはありがたいものの、結局のところ交渉する相手が変わっただけ。

 ただ元々この街について地元民に紹介してもらいたかった翔としては問題ない。


「──ここで最後だな。どうだった?」


 そんなビョルヘイルの声で翔は自分の意識を取り戻す。

 岩で作られた堅牢な城に、蒸気を絶えず上げ続ける製鉄所。

 武器の素晴らしさから機械もそれなりに進化したものがありそうだと判断していた翔だが、どうやら天才的な腕前の鍛治師達が微妙な品質の鉄を業物の領域まで押し上げているようだった。


 理解できない力で動き続けているなんらかの装置は外からではどのような器具なのか判別が付かなかったが、機械とはまた違った様相である。

 筋肉質な身体に子供ほどの身長、それでいて立派な髭を生やした職人を何度か見かけたが、あれが噂に聞く土精霊ドワーフなのだろう。


 岩の街とも呼べるほど岩と密接に関係しているこの街であれば土精霊が居ても不思議ではないが、亜人が人の国に居るというのはこの国では常識的な事なのだろうか。

 陽も傾き始め、夕方といっていい時間帯になった大通りを翔は男と二人で歩いていた。


「面白かったです! 特にあの機械なんか凄かったですね!」


「アレか? アレはどこの国にもある魔素吸収装置だよ、確かにうちの国は他の国と比べて少々大きいが」


「魔素吸収装置ですか、なるほど」


 十メートルはある何に使うのか分からない装置を指差して翔が問いかけると、驚いたことにすんなりと青年は説明を入れてくれる。

 この国の重要な施設なのかとも思っていた翔だったが、どうやらこの世界では一般的な装置だったようである。


 そんなものを知らないとなれば出自を確かめられるかもしれないので、さも知っているかの如く言葉を返しながら翔は街の中を歩いていく。


「さてあらかた紹介も終わったし、次は宿屋と──」


 ふとビョルヘイルが言葉を途中で途切れさせる。

 何か気になることでもあったのだろうかと思った翔がその顔に視線を向けると、青年は対面にあったお店を指差した。


「美味い飯屋だな」


 見てみれば〈岩間の蜜〉と看板が出ているその店からは食欲をくすぐる匂いが通りの中を充満しており、翔の足は釣られるようにしてその店の方へと向かっていく。

 口の中に溢れ出す唾液はその店にある旨味を脳が予感しているから、足が引っ張られてしまうのは無意識が食べるべきだと告げているからだ。

 涎を飲み込み、翔は言っておかなければいけない事を口にする。


「もちろん奢らせていただきますよ」


「話が分かっている人で助かるよ。ご馳走になろう」


 今日一日案内してくれた労力を考えれば、多少財布が軽くなる事も許容するべきだろう。

 嬉しそうに笑うビョルヘイルと共に、翔は駆け足で店の中へと入っていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る