第4話 食事処

 店内に入れば目に飛び込んできたのは、とてもではないが機械産業の発達がまだまだな世界とは思えないほどの調度品の数々。

 有名な石像や肖像画が遥か昔の作品である事を考えれば、時間をかければ素晴らしいものはどの時代の人間にも作れたのだろう。

 だがそんな素晴らしい調度品を視界一杯に集めるのにかかる費用は如何程か。


 電気が通っているわけでもないのにぼんやりと光る灯りは部屋の中を照らしており、豪華な室内を適度に引き立てていた。

 席に着いた翔とビョルヘイルはまずドリンクを注文し、翔は料理の味を楽しむ為にひとまず水を、青年は酒のようなものを頼んだようだ。


「乾杯っ! くうぅぅ。一仕事終えた後の酒は格別だな!」


「ただの水なのに美味しいですね。そういえばお友達も連れてきていただいていいんですよ?」


「ほう、気が付きましたか。中々いい目をしていますね」


 目の前で酒を飲み顔を赤くしているビョルヘイルだったが、翔の言葉に対して目を細めると酒の力でようやく露見する程度の警戒心が見えて来る。

 他人がよく食らう詐欺の手法として翔は旅先での危険な事をネットで知っていたが、この世界にネットのようなものがあるとはとてもではないが思えない。


 人生経験の豊富な老人などならばまだしも、商人でもなさそうな見た目の若い翔がその答えに行き着いたのが青年には不思議だったようだ。


「タイミング的にちょうど良過ぎた気がしたので。

 わざわざ案内していただいた理由はよく分かりませんけど、治安維持隊が関係するんでしょうか」


「秘密ですよ、治安維持に関わりますから」


 それは露骨なほどの答えであったが、一応濁したのは建前なのだろうか。

 道案内の体で今日一日付きっきりで翔を監視していたビョルヘイルは、翔が危険人物ではないと判断していた。

 彼がうっかり口を滑らせてしまったのは、少年の様に瞳を輝かせながら街を駆け回る翔を見てこの街に対する確かな愛情を感じたからだろう。

 ただの水で頬を崩している翔のことをチラリと見ながら、青年は一つ提案をする。


「旨い酒も奢ってもらいましたし、何かいい情報をあげましょう。何がいいですか」


「良いんですか? それならいい鍛冶屋を教えてもらえると助かります」


「鍛冶屋ですか。なにか必要なものが?」


「いえ、別に何がほしいというわけではないんですが、知人からこの街の鍛冶屋は質がいいと聞いたもので」


 鍛治に関しては周辺国家を探してもこの街ほど盛んな街はないだろう。

 それはこの街が元々あった場所も理由の一つであり、またこの街の特産品として鍛治製品が積極的に販売されていることも理由である。

 外から来た人間がそんな鍛治製品を求めるということは珍しくないことであり、ビョルヘイルは翔からの提案に対して予想していた通りだと心の中で思いながら言葉を返す。


「この街は鍛治の街としても有名ですからね。そういう事でしたら私のツテを紹介しますよ、明日の朝からでよろしいですか?」


「もちろんです、無理言ってすいません」


「いえいえ、奢ってもらうお礼ですよ」


 申し訳なさそうな顔の翔に対して、ビョルヘイルは笑みを浮かべながら言葉を返す。

 一流の職人は外から来た商人と交渉することはほとんどなく、街にいる人間から信頼を勝ち取って紹介してもらうのがこの街の常識なのだが、翔はその条件を上手く満たせていた。


 商売人としては素晴らしい状況を作り上げられたわけだが、翔の頭の中にあるのはこの世界での武具の製造方法に関しての知識欲だけである。


「それでは明日朝の鐘が鳴った頃にこの店に来ます。そこで落ち合いましょう」


「お疲れ様でした。明日もお願いします」


 最後には椅子から立ち上がり頭を下げて青年を見送った翔。

 青年が店を出たことを確認して席に座り直し自分の分の出された食事を全て翔が食べ終えると、後ろで髪を纏めた気の強そうな赤毛の店員が翔の元へとやって来る。


「あら、お連れさんはもう帰ったのかい?」


「今日は俺の奢りなので。合計でいくらですか?」


「金貨にして7枚、うちは宿代コミだからね。払えるかい?」


「たぶん大丈夫だと思います」


 翔がポケットの中に手を入れて目当てのものを探すと、指の先にジャラジャラと何かが当たる感触がする。

 引き出してみればそれは金貨、それも手で掴んだだけで二十枚ほどだ。


 大きさにして金貨は五百円玉程だろうか、造幣技術的にこれ以上大きなサイズはコストが大きくなってしまうためか、想像していたよりは金貨のサイズは大きくない。

 調べていなかったことが自分のポケットの中にもあることに気がついた翔は、後でポケットをひっくり返すことを決意した。


 そんな翔のすぐ横で目を細めていたのは店員だ。


「ふぅん、結構溜め込んでるじゃないか」


「商人ですからね」


「随分と羽振りの良さそうな……ね? 部屋は405号室、最上階さ」


 部屋の階層と出された食事からしておそらくは最上位のもてなしを受けているだろう。

 金貨七枚というのがこの町でどれほどの出費なのかは分からないが、払えるかと聞いてきたということは払えなかった場合でもなんらかの仕事が当てられる程度の金額だろう。


 もしどうあがいても払えない金額なら払えるかどうかなど聞かず、払わなかった瞬間に奴隷やら臓器売買やらで売りにかける程度のことはこの世界ならばしそうである。

 それかもしかすれば請求が先程までいた兵士の方へ行くのかもしれない──そこまで考えたところで、ふと翔は思い立ったことを店員に聞く。


「もしかしてさっきの代金仲介料も含んでません?」


「よく気がつくわね」


「……まぁいいんですけど」


 随分とちゃっかりしているものだ。

 取れる人間からはサービスを提供し正当な対価として取れるだけ絞る。

 観光業としては素晴らしい事だと思うし、翔もそんな仕事に対していちいちとやかく言うつもりもないので、せめて精一杯サービスを受けようと案内されるままに部屋へと向かう。


 驚いた事に簡易的なエレベーターというのがこの宿屋には存在し、循環式になっているそれは客がエレベーターを止めて乗るのではなく動き続けるエレベーターに飛び乗る風な作りになっている。

 そんなエレベーターに新鮮さを感じつつ、意外と進んだ異世界の技術に感嘆した翔は微妙に防犯意識の低い扉を開けていの一番にベッドに飛び込む。


「疲れたぁ……あんなにベッドから解放されたかったのにいまとなってはベッドが一番恋しい」


 飛び込んだベッドは適度に翔の体を押し戻し、心地の良い感覚を与えてくれる。

 用意されているベッドは二つ。

 明らかに一人なのにこの部屋を用意されたということは、おそらくは最上階は二人用以上の部屋しかないのだろう。


 そう考えると随分と贅沢な金の使い方だが、風呂に入っていない体で片方のベッドを使えると考えれば不満というものは別にない。

 その後ポッケの中を観察したり、洋風テイストな部屋の中を見て回った翔はようやくその重たい腰を上げて一番の目的のものを探す。


「おっ風呂お風呂~お風呂は~」


 鼻歌でも歌い出すのではないかと思えるほど陽気な雰囲気で翔が浴槽へと向かうと、向かった先にあったのはおそらくはトイレだろう便器と何やらバルブのついた筒がある部屋が現れる。

 一瞬上下水道ができているなんて、さすが高級宿だなぁなどと考えた翔は現実逃避していた頭を急いで元の形態へと戻した。


「ないっ!?」


 そこにあるのは確かにシャワールーム。

 シャンプーなどはないので完全に体を洗い流す用の場所ではあるが、日本でもそういう場所がなかったわけではないのでこの世界では相当よい環境であるということはいまのところ疑う余地もない。


 だが問題はあれだけ良い料理を出し、素晴らしい調度品の数々を飾り、内装にもこれだけ気を使っている宿屋の風呂がこれという事実である。


「風呂がないだと……っ!? そんな馬鹿な! この所々高そうな部屋にすらないだと!?」


 駆の名付けた名前が岩の街、おそらくは溶岩地帯が地下にあるだろうここは同時に人が暮らしている以上それなりの水源があるはずだ。

 実際街中にはそれなりのサイズの川が流れていたし、街全体で水質を管理しているのか飲むのは流石に無理としても身体を浸けることに抵抗を感じないほどには綺麗だった。

 探せば温泉くらいは街中でも容易に見つかりそうなそんな環境のこの街において、風呂という文化が発達していない以上はこの世界で風呂そのものがないものだと考えてもいいのかもしれない。


 その事実に突き当たった瞬間翔は膝から崩れ落ちた。

 美味いものを食べ暖かい風呂に入り、ふかふかのベッドで眠る事で人は十分な休息を取ることができるのだ。

 その三つの過程の中で暖かい風呂が除外されたのは痛手である。


「第一目標は風呂がある場所を探そう。異世界での第一目標はそれだ」


 人が生きていく上で大切なのは目標であり、翔は自分の第一の目標を風呂がある街を探す事。

 もしなければ風呂自体を作ることを第一目標としてここに決定した。

 その後シャワーを浴び、身だしなみを整えクローゼットの中にあった肌着に着替えた翔は、先程とは別の方のベッドへと飛び込む。


「今日のところはゆっくり寝るか」


 ベッドに飛び込んだ瞬間から抗い難いほどの睡魔が翔の全身を支配し、その体から徐々に力を抜いていく。

 いくら能力によって身体能力が強化されているとはいえ、いままで数年単位で歩いてこなかった人間が今日だけで数百キロ近くを走り穴を掘り人と喋り街中を歩きと随分と動き回ったものである。

 若干の筋肉痛と体のだるさを感じながら、翔はそんな感覚すらも楽しみながらゆっくりと眠るのであった。

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