第2話 異世界
白く染まっていた世界が徐々に元の色を思い出していくと、翔の視界は徐々に景色を映し出していく。
最初に飛び込んできたのは木々の隙間から飛び出てくる木漏れ日、そのまぶしさに目を細めながら翔は注意深く周りを観察する。
生い茂る木々に人工的に切り開かれたであろう道、そんな情景が地平線まで続いているあたりいまは森の中に居るのだろう。
「ここが異世界……?」
口に出したのはこの世界が本当に日本とは違うのだと自分に言い聞かせるためだ。
植物について詳しくない翔では目の前の木々が日本にもあったものかどうか判別がつかないが、肌をびりびりと刺激してくる何かは日本では一度も感じたことのない感覚である。
足元を軽く蹴ってみればパラパラと土埃が舞い散り、現実感をひしひしと翔が感じ取っているといきなり目の前の空間がズレる。
空間がズレるという超常現象を前にしてさっそく異世界人に見つかったかと警戒した翔の前に、間の抜けた声で神が顔を出しながら忘れていたことを口にする。
「そうそう、言い忘れておったのじゃがこの世界で生きていくうえでお主には一つ条件を貸すぞ。なるべく人助けをすること、大量虐殺をしない事。神とのお約束じゃ」
「分かりました。任せてください」
「うむ、ほんじゃ」
言いたいことを言い終えたのか神の声が途絶えると、目の前の空間のズレが綺麗に元通りになる。
どうやら神の力によって次元がゆがんでいたのだろうという予想を立てた翔は念のため空間が裂けていた場所を避けて道を歩いていく。
「これが自分の足で歩く感覚か」
地面を踏みしめるたびに帰ってくる力にこれ以上ない程の力強さを感じて、徐々に翔の足はその速度を上げていく。
「この数年ほとんど歩いたこと無いのに疲れないのは神様がそうしてくれたからなのかな」
数年間も歩いていないという事を考えると、筋力は完全にないものと考えてもいい程だ。
だというのにどれだけ走っても体に重たさや疲れなどというものは感じられず、むしろ走れば走る程に更に体の調子が良くなっていくようである。
ひとまず翔が求めるのは人の国。
文化圏がどの程度のレベルにあるのかという疑問を解決するとともに、この世界の倫理観や宗教観という人の根幹にある価値観について知りたいという翔の欲求の為である。
(異世界の宗教観だとそもそも神が存在しない可能性もあるか)
宗教とは人の歩んできた歴史であり、倫理観とは人が紡いでいく未来である。
宗教が存在しない国というのは少なくとも翔が知る限りないし、倫理観を捨て去って長く続いた国というのもまたない。
どちらかのことを知れればその国のことを半分知れる。
両方知れたなら言うことなしだ。
知った結果この世界の人間とは仲良く出来ないと判断する可能性もあるが、そうなったらそうなったで別の知的生命体を探せばいいだけの話である。
「――!」
「おっ! 人の声がする!!」
それなりの時間走ったことでいつしか森も徐々に木の高さを落とし始めた頃、翔の耳に微かな人の声が飛び込んでくる。
人の丈を超える程の土煙を上げて自分の体を無理やり止めた翔が声の元へと走っていくと、革鎧らしいものに身を包むものと鉄の装備で身を包む者の二つに分かれた男たちが目に入った。
「何者だ!!」
「ただの通りすがりですぅ!?」
刃の部分が潰されていない本物の剣を向けられながら、翔はいま自分が置かれている状況という物を完全に理解する。
どうやら地面に倒れて血を垂れ流しているのが盗賊ないしは山賊、馬車を守るようにして立っているのが兵士や冒険者などの人物だろう。
馬車を引く馬が殺されていないところを見ると略奪が目的であって、殺害が目的であったわけではないようである。
タイミングよく現れた翔のことを盗賊の仲間だと思っているのだろうか。
そうなると翔がしなければいけないことは、自分が倒れている人間とは関係ないことを示すことである。
「えっと、もしかして盗賊の方ですか?」
「なぜそうなる!」
「冗談ですよ、いやホントに冗談です。どのような状況なのかだけ教えていただいてもよろしいでしょうか」
ファーストコンタクトとしては悪い方ではない。
付近を取り囲むようにジリジリと動き始めた鉄の鎧を着た強面兵士達の数は十名を超えており、命の危険という物をヒシヒシと感じながらも冷静に言葉を並べ立てる。
そんな翔の姿を見て信頼に値するほどではないにしろ、即座に攻撃する必要もないと判断したのか武器をしまいながら兵士は翔の質問に答えた。
「この物達は荷馬車の中身を狙ってやってきた盗賊だ。服装を見ればわかるだろう」
「言われてみれば確かに……前衛的なファッションなのかと」
「随分とキツイ嫌味だな」
服装のセンスについてどれほどのものがあるかと聞かれると、正直翔のセンスはファッション誌程度で止まっているのでたかだか知れている。
既に死んでいる人間達に対してネガティブな言葉を口にしたのは、ただ単純に目の前の男達からの信頼を勝ち取るためだ。
翔の予報通り口ではキツイ嫌味だと言いながらも、男の態度の端端からは同意するような雰囲気が感じられる。
「ああいえ、心からそう思ってたんです。病床に伏していたので外の世界の方を見るのは久しぶりなんです」
「病気? 感染症とかじゃないだろうな」
「違いますよ! 生まれつき体が弱かっただけです」
「まあなんでもいいが、お前もこの街道を通るなら気を付けるんだな。
最近はよそ者に対しての目線も厳しい。その恰好では街に入れるかも怪しいもんだ」
「ご忠告ありがとうございます。交渉は得意なので何とかしてみます」
アドバイスを貰えたということは多少は信頼してもらえたようである。
自分の服装がこの世界の一般的なファッションとは違うということを翔は予想していたが、やはり不審者のように見えてしまうようだ。
突拍子もないような服装をしているというわけではないので、民族衣装的な意味合いで周囲から浮いてしまうというのが大きな要因だろう。
馬車を動かし街道を進んでいった男達の後ろ姿を見送って、翔はするべきことに手をかける。
「中世ヨーロッパ……よりは時代的に進んでそうだったな。
ただ野盗が普通にいることを考えるとそんなに治安は良さそうではないか」
死んだ野盗から何か得られる情報はないかと翔は死体を漁り始める。
古今東西どこでも誉められた行為ではないが、代わりに土に埋めてあげるので勘弁してもらおう。
先程の面々に多少持っていかれたのか金銭などを入れる袋のようなものこそなかったが、代わりに全員の腰に共通して質の良いナイフが見つかった。
製鉄技術が随分と進んでいるようであり、街に行けば上下水道くらいは期待できそうである。
そこまで考えてから翔はふと己の中にあった疑問に気づく。
「人が死んでるのを見ても何も思わないのはなんでなんだろう。この世界に来た弊害かな」
「それに関してはこっちで調整しておいたのじゃ! 敵も殺せんかったら死ぬからの」
耳元で突如現れたのは一時間ほど前に見たばかりの神である。確かに人を殺せなければ自分が死ぬというのには納得がいくが、人の認知をそう易々と変化させないでいてほしいものだ。
「わっ、びっくりするじゃないですか。どうしたんですか急に」
「急にも何もなぜ先ほどの馬車について行かんかったのじゃ! あんなに面白そうな一行について行かん手はないじゃろう!?」
手でバンバンと空間の切れ目のような場所を叩いている神を見ながら、冷静に翔はついていかなかった理由を説明する。
まずあの兵士はまだこちらの事を信用していなかった。
少なくとも危険な森の中を奇妙な服装で歩く怪しい人間がいきなり着いていっていいかと聞いて、是非一緒にと言い出す相手でないことは確かだ。
次にあの馬車の中身はきっと碌な物ではないと翔の勘が告げていたから。
重武装の兵士が十人以上で護衛するような馬車、何が乗っているか考えることすら億劫である。
「しかしあの馬車にはこの国の王族が乗っておったのじゃぞ? せっかくわしが時間を調整して出会う機会を作ってやったというのに」
「その可能性があるから着いていかなかったんです。もしかしてそれが話しかけてきた理由ですか?」
王族を守っているのならば兵士達は通常よりも遥かに殺気立っていた筈だ。
怪しい者として処分されなかっただけ、兵士達の優しさが感じられるというものだろう。
「まあそれもあるんじゃが、よく考えれば身分証を渡すのを忘れていたのでな。これがお主の身分証じゃ」
神が手渡してきたのはこの世界での身分証らしい。
手渡されたそれを飛びつくようにして手に取った翔は、舐め回さんばかりの勢いでそのカードの内容を隅から隅まで眺める。
刻まれた文字や先程の兵士たちと会話できたのはおそらく神がくれた力。
日本でしか生活したことがなかった翔は無意識的に言葉が通じるものだと考えていたが身分証を見て理解した。
それと同時に言葉の使い方や身分証に作られた欄から、翔はこの世界で身分として証明されるに値する情報がなんなのかを見ていた。
「そう言えばこれ公文書偽装で罪になったりしませんか?」
「神の作ったものじゃぞ? ばれるわけないわい、それに身分証もないままじゃ街にすら入れんぞ」
「ありがたくいただきます」
「なに、苦しゅうない。さすが儂!」
片膝ついて感謝を述べた翔に対し、神は機嫌よさそうに腰に手を当てて大きな笑い声をあげる。
「――ところでお告げじゃが、この先の街に入ったら鍛冶屋に向かうのじゃ。そこで何か適当に商品の頼むように」
「そこに何が?」
「それは行ってからのお楽しみじゃろう。ではしっかりと伝えたので今回こそちゃんと守るよーに」
言いたいことだけ伝えた神はそのまま最初と同じようにプツリと次元を切断する。
後に残されたのは散らばる遺体と身分証。
ひとまずこの先に街があることは確定したので、遺体の埋葬を行った後街に向かって足を進めるのだった。
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