第2話 「君を愛することはできない」と真実の愛を貫いたら全てを失いました……愛ってなんだろう?前編


「シー君、お帰りなさい♡」


 仕事を終えて帰宅するとエプロン姿の少女がトタトタと小走りに出てきた。


 私の可愛い妻、元グウトン国王女カミアだ。


「ただいま」

「お仕事お疲れ様」


 仕事に疲れ帰ってきた時に可憐な花が出迎えてくれる程、心に潤いと活力をもたらすものはない。


 その花が例えであったとしても。


 諸君は何の冗談だと思われるかもしれない。


 だが、ふんわりした桜色ピンクの髪、優しげな水色マリンブルーの瞳、雪の様に真っ白な肌、低い背に折れそうなほど華奢な腰、どこからどう見ても美少女にしか見えないカミアはまごう事なき男である。


 だが、誰よりも愛らしい。

 世界で一番カワイイのだ。


 カミアが小首を傾げて指を頬に当てながら悪戯っぽく笑った。


 くっ、カワイすぎる!


「ご飯にする? お風呂にする? それともぉ、わ・た・し?」


 さて、諸君ならどれを選択するだろう?


 消費したエネルギーを補給する食事?

 汗でべとべとになった体を流す風呂?


 それとも……


 ふっ、考えるまでもない。


「カミア、君に決めた!!!」

「あん、シー君たら……あっ!」


 選択は常に一つ!


 細い腰に右腕を回してカミアを引き寄せ、左手で後頭部を押さえ込み、夢中で小さな花弁くちびるを貪る。


「カミア……好きだ!」

「やっ、んっんっ……ダメェ!」


 がっちりと腰と頭を掴み乱暴に口づけをするとカミアが身をよじって抵抗した。


 だが、カミアの枯れ枝のごとき細腕で男の私に抗えようはずも……って、くっ、意外と力強いな!?


 あっ、カミアも男だった!


「ん〜!……ダ…メ……ぁぅ、ぃぃ……」


 それでも負けじと押さえ込んでいると、しだいにカミアの力が抜けていく。


「ぷはぁ……もう、シー君ったらぁ〜」

「カミアが可愛い過ぎるのが悪いんだ!」


 可愛い顔で男の理性を試すからだ。


 その後、私達はひたすらイチャイチャした。


「シー君……今ね私とっても幸せなの」

「私もだ……」


 私の胸に頭を預けながらカミアが呟き、私はそれに同意した。


 王位、国、臣下、友人……そして婚約者。

 私は色んなものを失った。

 もう地位も名誉も財産もない。


 私は選択を誤った愚かな男だ。


 しかし、それでも愛を貫いた先には失ったものより大きな真実がきっとあるのだと私は信じたい……




 私の名はシナーフ・キシュホーテ。

 キシュホーテ王国の元王子である。


 私にはモリカ・イルノアという素晴らしい婚約者がいた。


 侯爵令嬢のモリカは教養も作法も完璧で、常に節度ある振る舞いを心がける貴族令嬢の鑑である。


 だから、政略であっても彼女との婚約に不満があったわけではない。だが、満足していたかと問われれば答えは否である。


 何かが違う……その何かの正体が分からず、私は悶々とする日々を送っていた。


 そんな私の心の隙間を埋めてくれた者がいた――隣国からの留学生カミア・グウトンだ。


「シナーフ殿下、同じ王族同士仲良くしてくださると嬉しいです」


 ふわりとした可愛いらしい少女が挨拶に現れた時、私は雷に直撃されたようなショックを受けた。


 カミアの笑顔は春の日差しのように温かで、私の心にも陽気をもたらしてくれた。制服から覗く華奢な身体は折れてしまいそうで、彼女の存在をより儚く見せた。


 ――妖精がいる。


 その日から私はカミアに夢中になった。


 そして、視野狭窄に陥っていた私はモリカとの婚約を解消したのだが、そこでカミアの驚くべき真実を知らされた。


「カミア様は男のですから」

「なんだとぉぉぉ!!!」


 まさかの王女じゃなくて王子!


 保守的な我が国では同性愛はタブー。カミアの生国グウトンでも王族の同性婚は法律でアウト。


 私もカミアも王族から除籍され平民となって全てを失ったのである。


 地位や財産、婚約者など当たり前のように与えられていたもの、それらが指の隙間から水がすり抜けていくが如く私の元には何も残らなかった。


 だが、後悔しても全が遅い。


 モリカは『キシュホーテの青薔薇』と呼ばれる美姫だ。あの薔薇の如く華やかで人目を惹く美少女を振るなんて……もったいないことをした。


 考えてみれば彼女とは接吻キスどころか手さえ握ったことはない。


 ああ、モリカ……目を閉じれば今でも彼女の美しく微笑む姿が浮かんでくる……


 ふんわりとした桜色ピンクの髪と優しげな水色マリンブルーの瞳、雪のように真っ白な肌、背は低く肩も腰も折れそうな程に華奢……って!


 待て待て待て待てぇ!


 モリカは青薔薇との呼び名のように青い髪と青い瞳だったはずだ!


 今、私が思い浮かべた姿はカミアじゃないか!


 ダメだ!


 何度モリカの顔を思い出そうと目を閉じても浮かんでくるのはカミアの笑顔!?


 あれ?

 モリカの顔がボヤける。

 だが、カミアの顔ははっきりと思い描けるぞ。


 ど、どういうことだ?


 これではまるで私がカミアを……す、き?


 いや、いや、いや、いや、カミアは男の娘だぞ。


 ありえん。

 断じてそれはない!!!


 私はノーマルだ。

 普通に女の子が好きだ!


 それに私が今のように落ちぶれたのは全部カミアのせいだぞ。


 カミアがちゃんと男だって教えてくれていたらこんなことにはならなかった!!

 ……だが、それなのに……それなのに……カミアを想う度に胸が高鳴るのは何故だ?


 自分で自分の事が分からなくなる。

 私はおかしくなってしまったのか?


 私は答えの出ない思考をぐるぐると巡らせ、鬱々とした日々を送っていた。


 そんな私を浮かない顔でカミアが見つめていたのに気付かないほど私は周りが見えていなかった。


 本当に何も見えちゃいなかったのだ。


「ごめんなさいシナーフ様」


 謝罪の言葉が耳に届き私が顔を上げて初めてカミアの表情がとてもつらそうであるのを知った。


「私のせいでシナーフ様は継承権も国も失ってしまいました……」

「カミア……」


 今にも泣き出しそうにくしゃりと歪んだ表情のカミアを見たら、私の胸がぎゅっと締め付けられるように感じた。


「学園のみなさんは私の性別を知っておりましたから、てっきりシナーフ様もご存じの上で好きになってくれたのかと……」


 その言葉に私は頭を金槌で叩かれたような衝撃を受けた。


 そうだ、みんなカミアの性別を知っていた。私は舞い上がってカミアをまるで見ていなかっただけじゃないか。


「もう王族ではない私ではシナーフ様の為に何もしてあげられません」


 ついにカミアの涙腺が決壊した。


 ぼろぼろと涙を流しながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝るカミアの姿に、彼女へ責任転嫁していた自分自身の愚かさをやっと理解できた。


 いつも笑顔のカミアを泣かせる私こそ諸悪の根源ではないか。


「違う。謝るのは私の方だ」

「シナーフ様?」


 私は何を被害者ぶっていたのだ。


「悪いのは全部この私だ」


 全ては私の勘違いから始まった。

 その結果で犠牲を強いられたのは誰だ?


 それは私ではない……傷ついたのは婚約破棄されたモリカであり、私の愛を信じて王族の地位を捨てたカミアだ!


 私が加害者でありモリカが被害者だったのだ。

 そして、私はカミアまでも傷付けてしまった。


「いいえ、私が……私が悪いのです」


 首を激しく振るカミアを強引に抱き寄せ、私はその頭を胸に掻き抱いた。


 胸の中でヒックヒックと嗚咽を漏らすカミア。

 私はカミアをこんなにも傷つけていたなんて。


「いや、私の軽率が招いた事態だ。私はモリカの名誉に傷をつけ、カミアを平民へと落としてしまった」

「シナーフ様」

「許してくれとは言わない。だが、もう一度この愚かな私にチャンスをくれないだろうか?」

「チャンス?」


 私の胸から顔を起こしたカミアが不思議そうに見上げる。


 その仕草がなんとも可愛いらしい。

 ああ、やはり私はカミアを……


「君の涙を見て思った……私はカミアのこんな泣き顔を見たくはないと、カミアには笑顔で……花の咲くような愛らしく明るい笑顔であって欲しいと」


 カミアの小さな肩をガシッと掴み、しっかりと目を合わせる。


「私はカミアが好きだ。大好きだ。誰よりも愛している」

「でも、私は男……」

「関係ない……男とか女とかじゃなく、私はカミアを愛しているんだ」

「ああ、シナーフ様……私もシナーフ様をお慕いしております」


 縋りつくカミアを両腕で包み込み、その頭に一つキスを落とす。


「私はもう王子ではない」

「はい、私も王女ではありません」

「地位も名誉も財産も……国さえ失くした」


 本当に何も無い……ここにはシナーフという飾るものを持たぬ裸の男がいるだけ。


「なんとも甲斐性なしで情け無い男だな」

「いいえ、シナーフ様はとても素敵です」

「君に何も贈れない、何もしてあげられない」

「何もいりません……シナーフ様さえ傍にいてくれたら」

「こんな男でも結婚してくれるか?」

「はい……私をシナーフ様のお嫁さんにしてください」


 私とカミアの視線が絡み合い、それは強い引力を生み出して想いと共に互いの唇を結びつける。


「ありがとう……カミア」

「私……とても嬉しいです」


 私は泣き笑うカミアを見て、彼女を二度と悲しませないと誓った。

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