退魔師『雨空 天音』の休日 ※再掲話
明るい空は景色を優しく見せる。緩やかな日差しは変哲もない街を暖かく見せる。しかし、外に待ち構える空気はあまりにも冷たくて容赦なく吹く風は肌を刺す程に冷たい。
そんな中、目立たないはずの白という色を持った着物がよく目立つ女が背の低い少女と歩いていた。その少女は青白い肌に悪い目付きとその下に分厚いくまが刻まれていて健康とは程遠い印象を放っていた。
そんなふたりは家の近くの神社にお参りに来ていた。小さな神社は寂しくて頼りなくてご利益が本当にあるのか心配してしまうくらいのもの。
「叔母さんは何を願ったのか」
そう訊ねる少女は今年から受験生、願うことなど分かり切っていた。天音は笑いながら答えた。
「アタシはとても小さな願いさ。あの子が変な霊とか持ち帰りませんように、なんてその程度のこと」
背の低い少女に目を向けながら言葉を加えた。
「少し前までお姉さんだったのにオバサンなんてアタシも年を食ってしまったものね」
「そういう意味じゃない、しかも叔母さんまだ30にもなってないのに年寄りみたいに振る舞うな」
「というけれどもアンタも二十代半ばにでもなれば分かるさ、あの若さはもうくすんでしまった、なんてね」
少女の目を覗き込む。弱り果てたような姿をした少女だが、その瞳にはあまりにも強い何かが渦巻いていた。
「それにしたってアンタは強いね。よくここまで大きくなったものよ」
少女の見ている方に瞳を向けた。
「今も見えてるのだろう? いや、全身の感覚で視えてるのか」
あまりにも強い霊感は目だけでなく音や寒気、香りのような様々な感覚全てに今は亡き存在を訴えていた。小さな神社のブランコが揺れている。そこに遺っている者はどのような人生を歩んでどのように生きた人物なのか、かつてこの世界にあった想いは今も靄となって残り香のように漂っていた。
「あまりにも強過ぎる霊感なんて持っていたら世の中マトモに生きることも出来やしない。だのにアンタと来たら直に見ても想いを掻き乱されても心を抉られても受け入れる強さで乗り越えてさ」
「買い被り過ぎだ、叔母さん」
支柱の根元に微かに雑草が絡む錆び付いたブランコは軋むような不快な音を立てながら揺れ続ける。ふたりにはそのブランコに乗る幼い女の姿が見えていた。煙のような靄のような、在るような無いような絶妙な曖昧さでそこに座る女の子はただ無邪気に笑っていた。
「悪寒がする」
そう呟いた少女の顔はますます青白く、そして目の下のくまはますます濃く刻まれているように見えた。
「行こう、アタシも嫌な予感はするけれども、アンタの体調が不良になりかけてる。体調ヤンキーかい?」
「ふざけてる余裕が羨ましいな」
そうして少女に肩を貸してその場を立ち去る天音であった。
✩
五円玉を小ぶりな赤い賽銭箱に落とすように入れて二礼二拍手一礼、鳴らす鐘もない小さなそこに入れる金、ご利益は届くものだろうか。本坪鈴というのだそうだがそれを置けばこの景観を崩してしまいそうな程に小さく綺麗に収まっていた。収まっているものは隅には埃が積もり壁には緑色のカビが生えていてお世辞にも綺麗だとは言えないものであったが。
「成績が伸びますように、志望校に届きますように」
それが少女川海 晴香の願いであった。祖母からもらったお気にりの紫色のリボンは後ろ髪を一つの房に纏めていた。そのリボンで髪を結っているだけで祖母が見守ってくれているようなそんな気にさせる。過去には実際に優しい祖母の霊にうっかり取り憑かれていたのだが。
晴香は小さな祠のような殿舎に背を向けて歩き出す。これから勉強勉学受験対策、とにかく志望校合格の為に頑張る一年が始まるのだ。気合いは充分、絶やさぬように心の支えも心の中の手の届くところに置いておいて。焦りに身を任せ過ぎないようにしかし急いでかつ慎重に学んで夢を掴むために。
石の鳥居の付近、そこにあるブランコが揺れている。ゆっくりとゆったりと微かに気ままに揺れる。揺らしているのは誰であろうか、それは幼い女の子。ただひとりで何かを待つようにただただ神社の外を見つめながらブランコを揺らしていた。
晴香はその様子を見て女の子の元へと近付いていく。こんなに小さな女の子がひとりで大丈夫か、道に迷っているのか、心配で仕方がなかった。晴香はしゃがんで女の子に優しく声をかける。
「ねぇキミ、どうしたの? お母さんは?」
「待ってるの。お迎えに来るから」
待っていればその内来るのだろう。それは分かってはいたがそれでも幼い女の子ひとりでは心配になるのである。
「じゃあ、お母さんが来るまで一緒に待っててあげるね」
乾いた風は冷たく静かに笑う。空は何も思わず木々は何も話さない。ブランコの軋むような音も静寂へと向かい、そして風も止む。辺りはふたりの音以外何も無くて、あまりにも虚しい。
それから軽い雑談をただただ行なうふたり。
「なわとび出来たらお母さんがね、とってもほめてくれたの」
「縄跳び出来るんだ? 凄いね、お姉さんすぐに引っかかって全然跳べないの」
そんな中身も何も無い会話、それでも女の子は笑って様々なことを話してくれて時間は少しずつではあったが過ぎて行った。
やがて太陽が沈んで行く。明るかった空も暗くなって行く。それでも迎えは来なくて晴香の心の底で静かに揺れていた不安が激しく大きく荒れていく。
「遅いね」
そのひと言をこぼす晴香、ブランコから降りて地に立つ女の子。女の子は歩き出す。晴香もまたそれについて行く。鳥居をくぐり抜けて、横断歩道を渡り始める女の子。晴香もまたそれに着いて行こう、そう思って一歩を踏み出そうとしたその時、晴香の身体は神社の方へと吸い寄せられた。
「またやらかしたな、何度目なことやら無賃労働ブラック業務」
その言葉の主は晴香の手を握り思い切り引き寄せて抱き寄せた。
晴香は寒気に肌を刺され、冷たい風が嗤っているこの場所の向こう、横断歩道をクラクションをけたたましく鳴らしながら進む車を目の当たりにしつつ手の届くところに置いておこうと決めていた心の支え、退魔師の雨空 天音の温もりを感じていた。
「ついて行ったわけだね、引き止めなかったのかい? 持ってかれそうな事に気が付かなかったのかな、焦りは良くないな、アンタの感情、あの子にも見透かされてたようだね」
ふたりは境内のブランコへと戻っていく。天音は痛いとすら思える寒さの中、扇子を開いた。扇ぐわけでもなければ仰ぐわけでもなくブランコに向けてそこにいる何かに見せるように構えて、白い和服袖を風に流すように揺らめかせはためかせ舞い始めるのであった。その舞はブランコに漂う煙のような靄のような曖昧な幼い子を引き寄せる。
「晴香、アンタはこんなに人と違う者に気付く事も出来ぬ程に魅入られていたのさ」
引き寄せられた女の子は姿を保ったまま薄れていく。晴香の心に別の心が刺さり染みて滲む。
いつも来る母を待つ女の子
ブランコを揺らしてただ待ち続ける
早く来ないかな
まだ来ないかな
寂しいよ
日が地平線へと近付くにつれて寂しさは増していく
どうして
どうして迎えに来てくれないの
寂しいよ
お母さん
焦りは身体を動かす
今どこにいるの
走っていく
焦りはただ大きくなっていく
大好きな母にもう会えないような気がしていた
鳥居をくぐり、横断歩道を飛び出した
周りを見ていなかったために起きてしまった事故
クラクションが耳を叩くように鳴り響き
振り向いた先には迫り来る光る目玉
お母さん
お母さん
会いたいよ
焦りから来た行動は残酷な結末を迎えたのであった
女の子の身体が薄くなっていく、景色に溶けていなくなっていく。このままただいなくなってしまったらこの子は何を想って何処へ行くのだろう。
晴香は女の子に言葉をかけずにはいられなかった。
「……寂しかったんだね。お母さんがお迎えに来るまで待っててあげられなくてごめんね、引き止めてあげられなくてごめんね」
女の子は無邪気な笑顔を浮かべて答える。
「いいよ、お姉さん。一緒に待っててくれてありがとう」
やがて女の子は見えなくなって何処か遠くへと消えて行った。
ふたりは振り返り鳥居をくぐる。鳥居の外、フェンスの壁に沿った狭い歩道に立つ女性が横断歩道へと手を合わせて頭を下げていた。もっと早く迎えに行くことが出来たら、もっと急いで行けば事故は起こらなかったかもしれない。後悔の念は拭い去ることなど出来はしない。それは永遠に女性の心を締め付けるものであろう。決して消えることのない罪に永久に終わることのない罰。行き場のない苦しみは留まることしか知らなかった。
✩
酒瓶が並べられた部屋の中、天音はソファに寝転がって瓶に口を付けてビールを注ぎ込む。
「やっぱビールは丸ごとが堪んないね」
ビールを堪能する天音。気を抜いてはいたものの、ドアの開く音は聞き逃さなかった。
「お邪魔します」
入って来た少女の髪を結う紫色のリボンを見るや否や立ち上がって声を荒らげる。
「出たな晴香、今回はどんな無賃労働をお持ち帰りして来たことやらだね」
無賃労働を持ち込む少女として認識されている。言葉にされても尚笑顔を咲かせて晴香は答える。
「今回は化け狸」
「げっ、場岳か。あの美人イラつくのよなぁ、美人だからねぇ」
晴香の後ろに立つスーツを着た女性、明るい茶髪を分けてあらわになった左の白い額。髪を分ける緑色の葉の形をしたヘアピンの飾りがよく目立っていた。
「化け狸も今や人間の現代社会に適応しなけりゃならない。そんなわけで葉っぱのヘアピンで化けてる超絶美人の場岳 キヌ、晴香に取り憑きここに参上」
キヌは床に並べられた酒瓶を見てつい笑いを零してしまう。
「ああなんて汚い部屋。まるで人間模様ね、不潔」
「うるさい、アンタは山に帰れ、晴香は里に帰れ受験生」
「心の支えは大切に。焦って行くべき道を間違えないように」
そんなやりとりを見ている晴香の笑顔はとてもよく輝いていた。一方で全てを諦めた天音は大きなため息をついてビールの瓶を手に取り口を逆さに向けて残りを一気に飲み干した。
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