手繰る
それはつまり、すずに誰にも打ち明けたことない秘密を明かしてくれるということ。
「わたしの母親が、毒親? 意識高い過干渉な人でさ」
一昨年の夏休みに離婚を機に家から追い出した母を、アキラ先輩は今でも心底軽蔑していた。
「パパは海外出張とか単身赴任とかであまり家にいなかったから、ババアが調子に乗ったのがマジで最悪だったんだよね。ああ勘違いしないでほしいけど、パパはいい人だよ。ババアのこと信頼しちゃってたくらいだし」
いい人すぎて、父は母を信用しすぎた。
「ババアはまさにクソフェミって感じ。『女らしさを強制してくる社会は間違ってる』から、その社会への抵抗の象徴に娘にアキラって名付けるようなヤツ」
「うわぁ」
思わず声をあげたすずの顔がおかしくて、先輩はクスッと笑う。
「マジうわぁだよね。ジェンダーロールを押し付けられたら、わからないでもないけどさ。実際、そんなことないのにね。でなかったら、わたし堂々と学校行けないじゃん」
「たしかに」
止めてしまったスプーンから零れ落ちそうになってたクリームを慌てて口に運ぶ。甘さひかえめなのが、ありがたい。
「ほんと害悪だった。スカート履かせてくれないし、ランドセルは青だったし、髪は伸ばせてくれないし……ババアのクソなとこ言い出したら、ほんとキリがない」
女らしくなりたい先輩にとって、女らしさを否定する母との暮らしは苦痛でしかなかっただろうと、すずが察するに余りある。
「……大変だったですね」
「ほんとそれ。まぁでも、別に暴力はなかったし、反抗しなければヒス起こさなかったから、虐待されてたわけじゃないからね。大人になって家を出るまでの我慢すれば、あとは好きなだけ女らしい女になれる。……甘かったんだけどね」
「…………」
すずにとって充分虐待と呼べることも、先輩にとっては違うのだろう。虐待じゃないかと言うのは簡単だけど言えない。飲み込んだ言葉はすぐに消化できるほど軽くはない。すずはペースをあげてスプーンを口に運ぶけれども、味はほとんどわからなくなっていた。
先輩が中学一年の夏、とうとう家を飛び出して他県で単身赴任中の父親に泣きついた。
「ババアが進路先の高校は、春高、三高、光丘以外考えられないとか言ってきてもう駄目だった」
「もしかしてジェンダーレス制服ですか?」
「正解」
二人が通う公立高校のほうが偏差値が高いというのに。そうまでして娘にスカートを履かせたくなかったのか。
スカートが好きかと尋ねられたら、すずは返事に困るだろう。そんなこと考えたこともなかった。けれども思うのだ。スカート云々よりも、実母とはいえ他人にそこまで強制されたら、自分でも反発しただろうと。実際に行動できるかどうかは別としてもだ。
母親の財布から抜き取ったお金で向かった父に溜め込んでいたものを全部ぶちまけてからも、離婚が成立するまで大変だっただろうに、いやだからこそ、先輩はこともなげに言ってのける。
「こうして、わたしはクソババアから解放され、今こうして女の子を満喫してるわけ」
晴れ晴れとした笑みを浮かべる先輩に、すずは空になったジョッキを脇に避けておずおずと尋ねる。
「先輩、でもそれなら普段から女の子していればいいと思うんですけど」
「ん? ああそれは、なんかめんどくさいじゃん。今までずーっと、クールで近寄りがたい男装の麗人てキャラできたのに、急にキャラ変するって」
そもそも先輩の近寄りがたい雰囲気は、イヤイヤボーイッシュな出で立ちを強要される不満がにじみ出ていただけだ。
「わたし、東京の服飾専門学校に進学するつもりだから、今さら人間関係再構築しても中途半端でしょ」
「……先輩、すごいですね」
他に言葉が見つからない。
先輩に比べたら、自分はどんなに平和な家庭に恵まれていたことか。
いつの間にか先輩もワンサイズ大きかったパフェを食べ終えて、カフェラテをすする。
「でも、こうして可愛い子とおしゃべりしながらパフェ食べたかったんだよね」
「だから、わたし全然可愛くないですよ」
よく言えば大人しくて控えめだけども、地味で目立たないだけのつまらない女だ。それなのに、先輩のような素敵な美少女に可愛いだなんて。顔が赤くなるのがわかった。先輩はそんなすずを可愛いなぁとニコニコ笑って、ハッとした顔をした。
「いけない。わたしばっかりしゃべって。しかもなんか面白くない話聞かせちゃって、ホントごめん」
「わたしは、先輩の話聞けて嬉しかったですよ」
「なにそれ。でも、わたしも聞いてくれて嬉しかったな」
するっとこぼれた本心を、先輩は素直に受け止めて笑うと、連絡先を交換しようと言い出した。もちろん、断る選択肢はなかった。
「あ、アキ先輩って呼んでいいですか?」
「アキ先輩か。なんかすごい素敵。あ、そう呼んでいいのは、すずちゃんだけだからね」
「わたしだけのアキ先輩ですね」
「そ、そそ、すずちゃんだけのアキ先輩よ」
こうして、密やかな関係が始まった。
思えば、このときにはもうすずは先輩に恋をしていた。
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