第2話 空を跳ぶ

 空際は絹糸シルクの如しと、細氷が魅せていた。

ログハウスは淡く緋色を羽織っており、この銀世界に嘯いている。そのあべこべの出逢いを明媚と取った人間の感性に高き誇りを感じる。


 ──まぁ、今の俺はトナカイな訳だが……。



 ここのトナカイは放牧というべきか、この広大な雪原で放し飼いをされている訳で、滅多にみんなが揃うこともないらしい。

 しかし今、俺を含めた八頭のトナカイが少々窮屈な丸太小屋に集まっているわけだ。

 転校生の紹介を彷彿とさせる二対他の構図。


「えーっと、紹介する。ドナー君だ」


 ダッシャーはどこかバツが悪そうに言った。先生、そんなんじゃ転校生が緊張しちゃいます。


「うん、知ってる」 「何だよ、いまさら」


 他のトナカイ達は非情な口ぶりを衝く。その言葉を弾くようにダッシャーは声を張る。


「コイツは、テンセイした元人間らしい!」


「「「「「「?????????」」」」」」


 ただでさえ窮屈なこの小屋に沈黙が投げ込まれて、トナカイ達は息が詰まったように黙りこくっていた。ダッシャーはたった一人で、獅子奮迅な様子を見せていたが…。

 先生、伝え方が絶望的に下手です……。



──俺がトナカイに転生した人間だと言う事。

外からしたら全くの妄言なこの事象を口で説明する事自体、不可能である。そう、分かってはいれども、もしかしたら他の六頭にも理解されるのでは、と俺に一糸の希望が渦巻いたのは、遡る事10分前のある出来事が原因である。


─────────────────────


「ダッシャー、話したいことがあるんだ」


「ん? また哲学なら断りたいがね…」


 空は背伸びをするよう青く澄み渡っていた。

 あの日の夜に死んでから、トナカイになるまで、どれだけの時間が経ったのだろうか?

 俺目線、ただ、漆黒の夜に眠り、碧空の下に目が覚めただけ。謂わば、ただ“睡眠”をしただけなわけで、転生したという自覚はほぼない。

 しかしながら、その眠りが“死”である以上はリアリズムな俺も、それがただの“睡眠”ではなく、何かしらのファンタジー的要素が絡み合っている、ということは既に自心に認めていた。

 ───転生。その、何かしらのファンタジー的要素はおそらく、いや、確実にそうだろう。


 いっそのこと話してしまおうか。これからのトナカイとしての業務に、“転生”という特殊な不安要素があっては、同僚に迷惑をかけてしまう可能性も大いにある。一方で、摩訶不思議な相談事が却って相手に余計な迷惑をかける事も考えられる。俺の脳線上で言うか言わないかの

ある種の相撲が行われている。しかし既に白星は決まっている。───答えは 言う だ。


「哲学じゃないさ。まぁ、理解されるとも思えないから、言明は避けておくがね…」


「そうか。それで、何のようだ?」


「実は俺は人間なんだ。転生してトナカイに成った」


「人間…? その転生ってのは魔法か何かか?」


 複雑に説明するのも、何より自身も転生とは何か、詳しく分からないこともあり、俺は転生を“魔法”という言葉で片付けることにした。


「あぁ、そんなところだ。魔法、だ」


「なるほどな……。信じよう」


 意外な返事に俺は少し驚いた。こんなにも簡単に物事が進んで良いのだろうか?

 

「信じるのか……? こんな話を、」


「信じられるために話したのだろう?」


「あ、あぁそうだな。───仕事のためだが」


 結局、転生しても仕事を中心に考えているあたり、自らがどこまでいっても社畜であるということを、ファンタジー的な“転生”という一つの事象を介して顕現されたようで微量の不快感を覚えた。しかし、その一連は自嘲する程度ではない、即ち、散文的な業務でないことは明晰だった。何より俺は、第二の人生は詩的な業務を成す“社畜”であることを冀っていた。


 ある意味転生とは、転職の一つの形とも言えるのかもしれない。

 今はただ、理解を示してくれたダッシャーに感謝の念でいっぱいである。


─────────────────────


 そんなわけで、“魔法”の一言でダッシャーは転生に理解を示した。それが、俺の一糸の希望に繋がった、というわけだ…が!


「何一つ、伝わってねぇじゃねぇか!」


 思わず大声を丸太小屋に放り込んでしまう。だが仕方ないだろう? 魔法やファンタジーは何でも理解へと繋ぐ便利な名詞だと勘違いしていた。しかしそうではないらしい。なぜなら、ダッシャー以外の六頭は全くピンと来ていないようだから。ないんだろう? 転生なんていう魔法は…ファンタジーは…!!!


「そういえば、転生、聞いたことある気が…」


 一石を投じる言葉が、矢の如く放たれる。

丸太小屋から、窮屈な薄闇の雲が晴れていくのが目に映って分かった。

 話者は、六匹の内の一匹、爽やかな青年といった感じのトナカイ。名前は「キューピッド」

象牙色と淡黄色の割と薄めの毛色をしている。それで、こちらも首に大きな鈴を掛けている。と、いうか…。ここのトナカイ、俺含めて八頭は全員、鈴のついた首輪をしている。

 話は戻して、そのキューピッドが放った一言を皮切りに、それが数珠繋ぎで会話と成った。


「まじで? キューピッド、それどこで聞いたの? 教えてヨ!」


「うーんと、あれは確か去年?のクリスマス、ニッポンにプレゼントを届けに行ったときだったかな?」


「えぇ! ウチも行ったけど覚えないよぅ!」


「あぁ、そうだ! クリスマス当日じゃなくて準備の時! ニッポンの子どもの手紙にたくさん書いてあったんだよ。『異世界転生!転生したら勇者の陰でした』とか『転生したら木だった件について』とか!」


「何だいそれ? どうゆう意味だい?」


 具体的なタイトルなど分かるわけがないのに何故そのまま言ってしまうのだ。却って困惑を招くだけである。あーあ、キューピッドくん。これはアレだぞ。知らなかったとはいえ、人間社会、特に日本だったら「オタクくんさぁ」と嘲笑われるところだぞ。ほら、盛り下がっているのが目に見える。


 ───だがあれだな。最近の子供というのはサンタさんに頼むラノベのセンスが良いな…。『異世界転生!転生したら勇者の陰でした』は

通称ユウカゲと呼ばれている。勇者の特性を鏡のようにコピーした敵役“シャドー”に転生したラノベ作家が、物語を崩さないよう勇者の行動を研究しそのかなり難しい役回りを担うという努力型異世界RPGファンタジーノベルである。

全126話の現在も連載中の人気作品である。


『転生したら木だった件について』は通称 木 と呼ばれている。ある日チェーンソーで殺された空師が幾千の樹木になれる苗に転生し、その生きづらさを痛感する、新感覚痛苦型かくれんぼバトルファンタジーノベルである。リード文の「ある日のエジプト、サハラ砂漠のど真ん中に一本の桜の大樹が咲き誇りました」が有名で、全五巻の打ち切りラノベである。


なんて長々と関係のなさそうな説明をしたが、もちろん考えなしに語っているわけではない。だから決して「オタクくんさぁ」なんて言わないでもらいたい。断言しよう。この二つの作品はこれからの俺の物語の伏線となる。なんてったってこの人生、実に詩的だ。え? もちろん希望的観測にすぎない。だが決して「オタクくんさぁ」などと言わな──────────。


 なんてくだらないことを考えている間に、盛り下がったと思われていた会話は続いていた。そして結論、転生とは「死者が生前の記憶を持ったまま全く別の生き物に生まれ変わる魔法」ということで、納得されたらしい。

 まったく、ファンタジーに生きる者は理解が早くて助かるよ。


「魔法…、便利な言葉だな」


 俺は安堵し、その場に腰を据えた。


「そうかそうか。じゃあ君はドナー君の見た目だけど中身はドナー君じゃあないってことか」


「ほぉ、じゃあ中身のドナーはどこに行ったんだろうか?」


「さぁね、申し訳ないが謂わば俺も被害者だ。転生した、それ以外のことはさっぱりだ」


「それなら、名前は? ドナーと呼ばれるのは慣れないだろう?」


「構わないよ。この見た目でドナーじゃないのも慣れないだろ? 一匹より七匹のため、だ。人間社会じゃ、それが普遍的な価値観だ」


 暫時、俺は七匹のトナカイと会話をした。

そこで気付いたのだが、個性はあれどみんな、─────優しかった。


 自然と下瞼の毛が重く湿っていくのに気が付いた。冷たい人間関係に、うんざりしていた。冷たい心に犯されていた。そんな最中の温かさであった。その心の冷たさとトナカイの温かさという温度差がうまく結露のように、幾粒の小さな水の宝石と成った。


 なにより、理解わかってくれたこと。まるで空を跳ぶ思い───────



「そういえば、ドナー! 仕事があるぞ!」


「え? あぁ、もちろんだ。仕事はするよ」


「ならこっちに来い。準備する」


 どうやら俺の教育係はダッシャーのようだ。ダッシャーは一足先に丸太小屋をあとにする。俺もあとに続いて外に出る。ほか六頭はそんな俺らをワチャワチャと見送ってくれた。


 二、三分ほど歩くと、砂漠のオアシスのように、この雪原にもが威風堂々と佇んでいた。ダッシャーはその森の、わざとらしい入り口に悠然と立つと、頭を左右に揺らして首にかけた鈴を鳴らした。

 不思議なことにその鈴の音波は目に映って見えた。しかし今俺は泰然自若。“魔法”という便利な言葉によって、その状況に理解を示す自分がいた。ファンタジーに犯されている証拠だ。

 森の奥まで音波が届いたことを目で確認すると、やがて森の内から幾千の小さな影がこちらに向かっているのが見えた。


「なんだ? あの影は…?」


「ハハハ、人間には馴染みがないか。あれは、

 ─────妖精フェアリーだ!」


 妖精フェアリー…。魔法の代名詞とも言える、ファンタジーの生物。もう存在自体に驚きはしないが実物を見るのは……やっぱり興奮する!


「どうしたんですか? ダッシャーさん」


 入り口に出向いた妖精達の内一匹が、ダッシャーに静かに声をかけた。

 注釈として、妖精について説明するが大きさは手のひらサイズの、緑の服を着た羽の生えた生物だ。見た感じ七割ほどは女性に見える。


「あぁ、悪いねティガ。仕事の手伝いを頼みたくてね」


「なるほど! となればそっちのドナーくんの付き添い、とかかな?」


 ティガという妖精は悪戯に笑いそう答えた。ダッシャーは図星な表情を浮かべて要件を語った。もちろん、唯一の懸念点、転生について。


 時間はかからなかった。トナカイ以上に妖精の転生に対する理解は早かった。


 そんなこんなで俺は今、雪原で足踏みをしていた。足元の雪は禿げ、茶色い地面が顔を見せていた。 ──────なんで?


「さぁ、ドナーくん。3、2、1でジャンプだ!」


「無理です! ティガさん! ムリーーーー」


 やっぱり、慣れないファンタジー。特にこの急展開さ。先生、俺はこれからこの世界で生きていけるのでしょうか…?


「さぁ、いくよ! 3……2……1……」


「えぇい、どうにでもなれ!!!」


「ゴーーーー!!」 「うぉーーーー!!」


 その日の昼間、ある一匹のトナカイが、鈴をゆらゆら鳴らして、大きな空を跳びました。

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