クリスマス、転生したらトナカイでした。

橋詰洵太

第1話 転生

 碧天の帆布は既に檳榔子黒びんろうじぐろに犯されている。

月光よりアイボリーに魅せる不香の花は点々とその檳榔子黒に咲き誇っている。

 

 ──なんて詩的な事を語る俺だが、聖なる夜にまで散文的な業務を全うしたその事実に趣はなく、自らの社畜さを自嘲した。



 20時の帰り道、しんしんと降り頻る軽い雪が、街を照らす黄金色と白金色の装飾がなされた巨大なクリスマスツリーにはらりと被さる。また、そのテッペンで威風堂々と輝き誇る五芒星の、その姿に劣等感を覚える日が来るとは、

誰が履く為に作られたのかも分からないほどに大きな靴下を枕元に置いて寝たワクワクの幼少時代には考えもしなかった。


「はぁ、つまらないなぁ。 ──クリスマス」


 白濁の生温いため息は、その仏頂面にイヤというほど長く絡みついた。

 街ではしゃぐ恋人達の笑い声が俺を嘲笑しているとも取れるその卑屈さ。なんてイヤな人間になってしまったのだろうか。

 自分に特別コンプレックスがあるわけでも、クリスマスに嫌な思い出があるわけでもない。

ただ、散文的な日常の中に「自分は特別な日です」みたいな面をしているのが気に入らないのかもしれない。

 大人になればクリスマスは関係ない、いや、その「特別な日」のせいで余計な仕事が増えてより忙しくなるかもしれない。学生だって、日本でクリスマスは祝日じゃないんだからサンタクロースが来なくなった奴らは、クリスマスのその必要以上の眩しさを怪訝そうにしているはずだ。まぁ、恋人でもいれば別なんだろうが、

 

「───っなんて考えても、くだらないよな。

今年はなんか、クリスマスを意識しすぎだな」


 いつもなら、こんなことを考えもしないでクリスマスという1日が終わる。それを今年は意識して考えた、ということはここ数年の中じゃ一番有意義なクリスマスであったとも言える。

 ───もっともまだ、ではあるのだが…。


 ふと、クリスマスツリーの輝きがギリギリ届かない所にあるケーキ屋のクリスマスケーキの店頭販売が目に入った。いや、「目に入った」というよりも、「耳に入った」という方が、正しいのかもしれない。

 店先で、中途半端なサンタのコスプレをした二十代前半くらいの女性がバカデカい声で、クリスマスケーキ販売の集客を行っている。横を通る恋人達はその大声が、ムードの邪魔だと言わんばかりに女性を睨み付けている。


 長テーブルに並べられたケーキの箱は一つ、二つ抜かれた形跡があるだけで、後は面白い程に売れ残っていた。この時間帯にこれだけの数を売り切るのは雪が骨身を犯せども、難い苦行であろうが…

 また、彼女の集客がマイナスプロモーションになっている気がしなくもない。だが、悴んだ真っ赤な手をぽりぽりと掻いているその姿。彼女も必死なんだろう。その大変さ、必死さはまだ働いていない若者カップルにはわかるまい。


 俺はその店先の店頭販売に近づくとケーキの箱を一箱、いや、見栄を張って二箱手に持ち、笑顔で彼女に声をかけた。


「二箱、いくらですか?」


 客がひとりも来ないからか、大声の出し過ぎで疲れたのかは分からないが、下を向いて白い息を再三にわたり吐いていた彼女は突然の俺の声に驚いたように上を向いた。見つめ合い、二、三秒の沈黙の後にハッとしたように会計を始めた。


「え、えーっと。すみませんボーッとしてて。えーっと、二箱で…4400円になります!」


 4400円!?プライスカードをまともに見ずに買ってしまったが、この大きさでこの値段……

売れない理由は彼女が原因じゃないな、これ。


「ちょうど! ありがとうございましたー」


 流石に値段を聞いて商品を返すのは、格好がつかないと思い、俺は平然と支払った。

結局、大きな出費になってしまったな。まぁ、だとしても買った時の彼女の笑顔にビジネスは感じなかった。思い上がりかもしれないが、


「──らしくないこと、したかな…俺」


 俺は満更でもない気持ちだった。


 いつもはないケーキ二つ分の重みを左手に感じながら、いつもの帰り道のいつもの横断歩道の前で赤信号により立ち止まった。

 待っている間にケーキを入れた大きなロゴが印刷されたビニール袋の、その隙間から、雪が入り込みケーキの箱に被さり消える。箱がふやける事を心配しつつ、雪の中で店舗販売されていた事実に気が付き、多少の安心感を持つ。

 

 横断歩道の赤信号が青信号に変わった。

 寒さから鼻が赤くなっているのを下目で見ると、青信号を再び確認し、一歩を踏み出した。


「よし。 ───帰ろう!」


 その一歩その刹那、サンタクロースも驚くほどの赤、謂わば朱殷が辺りを染める。

 アイボリーの不香の花は、その姿を彼岸花が如く変え、その不吉さを顕現する。

 即死、というわけではないために気付いたのだが、俺を引いたこの車…クリスマスケーキの移動販売車…!!!


(何から何までクリスマスか…)


 おまけに、愉快に流れるジングルベル!


(俺の献奏はジングルベルかよ!!!)


 ───突然の死

それは案外受け入れやすいものだった。


散文的な人生を、詩的に括ったつもりの俺は…


(クリスマスなんて、クソッタレだ…!!!)



─────────────────────



「つもり」は、いつまで経っても「つもり」のままだ。人生が変わる岐点となる場面で、俺はいつも「つもり」のままだった。…だから退屈な人生だったんだろう…。


「って、いつまで続くんだ俺の死後反省会!」


 え?と俺は少し違和感を感じた。

今、俺の声に被せるように「グォッ、グォッ」と何かの動物の低い鳴き声がしたのだ。

 死んだ俺に何の嫌がらせかと、俺は思い切って開かずの間となった自身の瞳を明けた。


 そこには、晴れた白銀世界が広がっていた。

この広大な大地の雪化粧に、化粧上手という褒め言葉は甚だつまらないものと感じるほどだった。ここが黄泉の国であるのなら、と。

 しかし、喜ばしくも感じない俺。当然だ。

クリスマスのせいで死んだとも言える俺にとっては、これは神の嫌がらせとしか思えない。


「ったく、どうせなら楽に寝させてくれよ」


「おい、さっきから何言ってんだ、オマエ」


 横から刺す男声。その方向に太い首を回す。


「あぁ、聞いてくれるか…俺の不幸話、って」


 しかし、そこにいたのは凛々しい目をした、首に鈴をつけた、筋骨隆々な1匹のトナカイ。


「なんだ、気のせいか…黄泉の国に人なんているわけないもんな。……やあ、トナカイさん」


 幻聴なんて、イヤな気分だ。

 とりあえず、神様のご厚意なのか、生前一度も生で見たことのなかったかわいらしいトナカイを生で見ることが出来たのは…嬉しい。


「やあ」  ───その一言に身が凍った。


「─────え?」 「ん? どうした?」


「……トナカイが…しゃべった…!?!?」


「…は? さっきからオマエ少しおかしいぞ」


 しゃべっている。どういうことだ…?


「死後の世界ってのは何でもありなのか…?」


 トナカイの耳がピクッと動き、口を開く。


「さっきから“死”とか“黄泉”とか、何のことを言っているんだ。ここは紛れもない現し世さ」


 よし分かった、まずは何から片付けよう。


「よし、トナカイ君、質問だ。なぜ君は人の言葉を話せる?」


 俺は一度落ち着き、静かな口調で訊いた。


「俺はトナカイ君じゃない。ダッシャーというちゃんとした名前がある。

それと君の問いだが…質問の意図が分からない。俺は人の言葉を話していないし、言葉が通じるのはトナカイ同士だからだろ?」


 そうかそうか、ん??? トナカイ同士?


「おいおい、アンタが人の言葉を話すいくらか奇怪なトナカイでも構わないが、俺をトナカイにする魔法をかけるのはやめてくれよ!」


 俺は冗談まじりで、作り笑顔で言った。

 

 とは言うものの、実は俺も感じているんだ。

  ───なんか目線低くねぇか…?

  ───なんか四足歩行じゃね…?


「はぁ、そんなに自分がトナカイだってことが信じられないなら、物置から鏡持ってきてやるから自分の目で確認でもしてろ」


 子供のわがままに付き合う父親のように、

ダッシャーというトナカイは近くの物置に入って行った。少しして、60センチほどの丸鏡を咥えて出てきた。ダッシャーはその鏡が表になるように深く積もった細雪にバフっと置いた。


 案の定というか何と言うか、そこには毛並みが立派な良い男、いやいや良いオスのトナカイがいた。


「──ってか、なんで鼻黄色なんだよ! アレだったら赤じゃん!」


 ただ、俺は早くも自分が黄鼻おうびのトナカイであることを受け入れた。

この対応の早さ──社会で培われた特殊能力。


 ふと、辺りを見ると一つの赤い影がこちらに向かって来るのに気が付いた。


「誰か来るぞ、ダッシャー」


「誰か、ってオマエ…ニコラスじゃねぇか」


 その赤い影は確かに雪原に大きな足跡をつけて歩いていた。

 30間ほどの距離に来れば、その姿が鮮明になる。特徴的なヒゲ、丸い体、赤白の服、その姿は赤い帽子こそないものの、『サンタクロース』そのものだった。


「どうしたんだい? ダッシャー」


「あぁ、ニコラス。どうやらコイツが頭をぶつけたらしくてね。少し……狂ってる」


 俺は目の前にいる、伝説とも等しいヒゲのおじいさんをまじまじと見た。


「どうしたんだ? そんなにワシの顔を見て」


 ヒゲのおじいさんは俺の目を見て笑言した。


「───ていうか、サンタさんは何でトナカイの声が聞こえるんだ!?」


「サンタ…? ハッハッハ、どうしたんだい。ワシが動物の言葉が分かるのは“魔法”のおかげだと知っているだろう?」


 魔法…。そのファンタジーさに、やはりリアリティは感じない。俺はクリスマスに死んだ。そして、目が覚めたらこの世界にいた。ラノベでよくある、“異世界転生”ではないのだろう?だったら俺は何なんだよ!!!


「哲学も良いが仲間を困らせるんではないぞ。あと、疲れたら寝る!忙しくなるのはこれからだからな」


 サンタクロースは優しい笑顔でそう言うと、俺らに背を向けて立ち去ろうとした。


「ちょっと待ってくれ! アンタ、いやアナタは…本当にサンタクロースなのか…?」


 俺は大きな声でニコラスの背を呼び止める。他のトナカイの視線も気になるが、そんな事は言ってられない。ニコラスはこちらに振り向くと俺の顔を覗き込んだ後、笑顔で答えた。


「いかにも、

   ワタシが聖ニコラスこと、

       Mr.クリスマスこと、

         サンタクロースじゃ!


    目は覚めたかな…? Mr.ドナー  」


俺はどうやら、

サンタクロースのトナカイに転生したらしい…

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