第2話 夜間通話(後)
「……まじで?」
奏から水銀さんに彼氏がいることを告げられた数分後。ようやくその意味を飲み込んだ俺がどうにかして振り絞った言葉がそれだった。
『本当だよ。わざわざ巽の逆鱗に触れるような嘘を吐くほどボクも愚かじゃないし。それに、エイプリルフールはもう二週間ほど過ぎてるし。』
「相手は誰なんだ?」
『戸崎だよ、
「戸崎かぁ」
戸崎は俺たちと去年同じクラスだったやつだ。同じゲームをやってるなどの共通点があったため、彼とも仲が良かった。顔も名前も知らないやつと付き合っているよりは多少なりとも安心できるが、それでもやはり複雑な感情が胸中に湧き上がる。
「ところでいつから付き合っていたんだ?」
『具体的な日付なんかはボクも分からないね。ただ、彼曰く春休みに一緒に水族館にデートに行っていたらしいから、遅くともその前の時期——ボクたちが1年のころには付き合い始めていたと思うよ。』
「水族館…デート…うっ、頭が」
心に負った深い傷の跡を覆い隠すようにあえて大げさな演技をする。
思い出してみれば、2月ぐらいには既に戸崎は水銀さんとよく話していたような気がする。そして、彼が休日に遊びに誘っても何かと理由をつけて断ることが増えたのも。偶然だと思いたいが、同時にその頃にはもう——
「…やめるか」
勝手な推測で物事を決めつけるのはよくないことだ。ましてや、そのせいで過去の彼の、彼女の言動の裏を探るのも、それであたかも彼らが悪者であるかのように思うのも。その行為で誰も幸せにならないなんて分かり切ったことなのに。
『…こんなことをわざわざ言うのもアレかとは思うけど、さっさと告白したら良かったんじゃない?巽は運動が、特に体力を使うものがあんまり得意じゃないところを除けば割と全体的に優秀だと思うし。案外OKもらえてたかもよ』
「それができないのはお前もわかってるだろ。ちゃんと、清算を済ませなきゃ」
『?』
「お前なら見当はつくはずだろ。中学も同じで、よく相談とかもしていたんだし。」
『あぁ、彼女のことね。あれからしばらくの時間が経ったのに、まだ拗らせてるの?』
「そんなに簡単に切り替えられるはずがないだろ。いったいどれだけの時間を経たと思ってるんだよ」
『…今のは失言だったね。ごめん。』
彼の声色が重くなったことで自分の語気が荒くなっていた事に気がついた。慌てて奏に謝罪の意を告げると、彼は『まぁ、悪いのはボクだからね。』とだけ返した。
重くなった空気の中、二人の間にはただ電話のノイズだけが続いていた。
悠久にも似た時間が流れたのち、ふと彼が口を開く。
『まぁ、そんなに落ち込まないでさ、いい方向に捉えたらいいんじゃない?』
「たとえば?」
『そうだね…ボクが信用するに足るほど口が堅いってわかったとか?もしボクが戸崎に巽が水銀さんのことを好いてると伝えてたらきっと彼も彼女に告白はしなかったと思うし。』
それが彼なりに励まそうとしてのものである事は幾年もの長い付き合いのおかげで容易に分かった。ただ、彼からの話で少し疑問に思ったことがある。
「戸崎の方から告白したのか?」
『そういえばどっちからなんだろうね。水銀さんが告白する姿が想像できなかったから彼からだと思ったんだけど』
「そうか。個人的には戸崎からの方がいいかなぁ。そっちの方が俺の心境的に楽だし」
『あはは…。まぁ、あんまり立ち直れないようだったら明日学校休んでもいいと思うよ』
「いや、それまでじゃないよ。もちろん隣に立つのが俺ならなお嬉しいが…あくまで最優先は彼女の幸せだ。それに、明日は講堂で新入生歓迎会があるからな。部長である俺が休むわけにはいかないんだよ。水銀さんのことについては俺が何も知らないふりをすれば、それで十分だろ。」
『それもそうだね。……ボクは、その方法はあまり好かないけど』
「なんか言ったか?」
『ううん、ただの独り言だから気にしなくていいよ。じゃあ、また明日、学校でね。』
「ああ、じゃあな」
そう告げて電話を切る。壁に掛かった時計を見ると短針は既に12を過ぎていた。明日からまた学校が始まる。今日が日曜日でなく金曜日だったら学校に行く頃にはきっと心境の整理がきちんとできていたはずなのに。
電気を消し、布団を被っても脳内には彼女の存在が飽和していた。いっそ朝日が昇らなければ―さらにいえば、彼女に恋人ができる前の時間に戻れれば、なんて無意味な願いが頭蓋を占拠する。ふと、一年ほど前にもそんなことを願っていた事に気がつく。あのときも祈りは現実にならなかったのだから、此度も叶いはしないだろう。俺の気分と同じように、意識は水底へと沈んで行った。
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