2:先輩と渡辺家

先輩が一年の教室に襲来したのが昨日の話

悪い夢だと思いたいと思いながら起き上がり、朝の準備を進めていた


「あら、坊ちゃん。おはようございます」

「おはよう、斎藤さん」


家政婦として雇っている斎藤さんに挨拶した後、彼女が用意してくれている朝食を食べ始める

アホみたいに高く、そして一室が異様に広いマンションの最上階

俺はそこに一人で住んでいる


「坊ちゃん、腕の調子はどうですか?」

「まだ、痛むかな」

「鎮痛剤、切らしていたようですよ。病院に行かれてから登校しますか?」

「そう、だね。そうする」

「では、学校の方に遅れる連絡をしておきますね」

「助かるよ。ありがとう」


斎藤さんは家事ができない俺に代わり、家のことをすべて任せた家政婦さんだ

十三番目の家政婦さんにして、勤続八年でも家の財産を横領しなかった信頼できる人

初老の女性である彼女は俺が家政婦として雇う前に、家族全員を火事で失ってしまったらしい

想像しただけでも胸が痛む悲惨な話だ

家族も、家も、財産もすべて燃えてしまった彼女の不幸に共感する部分があり、俺は彼女を好条件で雇い入れた

彼女も最初、雇用主である俺が子供だということに驚いてはいたが・・・理由を話すと、彼女は事情を受け入れてくれた


そして、今では雇用主と家政婦の関係を保ってはいるが、親子のように出かけることも少なくはない

お手伝いで、友達で、お母さん。変な話かもしれないが、彼女との関係は一言では言い表せることができないほど複雑

それは同時に、彼女には様々な面で支えて貰っている関係とも言えるだろう

家政婦さんとして、家のことを

友達として、等身大の渡辺深幸のことを

そして母親として、子供である渡辺深幸を支えてくれている大事な人とも言える


不幸のこともあり、斎藤さんを一度解雇しようとしたことがあるが・・・

彼女は「私を不幸のどん底から救ってくれたのは坊ちゃんです。これ以上、私を不幸にしないでください」と怒られ、今も家政婦を続けてくれている


「坊ちゃん、連絡しておきました」

「ありがとう、斎藤さん」

「後で車、出しますね」

「何から何まで助かるよ」


仕事が早い上に安定感がある

本当に、彼女と巡り合えてよかったと心の底から思える


「それと、朝からするような話ではないのですが・・・最近、マンションのセキュリティが甘いことが問題視されています」

「・・・なるほど」


このマンションはオートロックだ

専用のカードキーがなければ敷地内にすら入れない

業者は入口前の管理人室で話をしたら入れるようにはなっているが・・・問題はそれ以外の部外者だ


「正規の住民が出入りする際に、さりげなく敷地内に入る部外者の方が多いそうで」

「最近、どこかの階に芸能人が入居した件もあるし、セキュリティはしっかり見直しておこう。今度、契約している警備会社に話に行こうか」

「予定を立てておきますね」


斎藤さんは俺の予定を考えて、無理ないスケジュールで警備会社に話をする機会を作ってくれるようだ

本当に、何から何まで・・・


「最近は秘書業も・・・板についているような」

「秘書検定、持っていますので」


斎藤さんは笑顔で告げるが・・・履歴書には秘書検定一級と記載されていた

かなり、努力したのではないかと推測される

彼女の凄さを目の当たりにするたびに、なんでこの人は俺の家政婦とかに収まっているのか不思議になる

もっと、いいところに行けると思うんだけどな・・・


「俺の側にいていいような人材じゃない」

「そんなことはありません。もう少し、自分に自信を持ってくださいな」

「そんな風に言われるような存在じゃないよ、俺は」

「そんなことは・・・」


斉藤さんが話そうとすると同時にふと、インターホンの音が部屋に鳴る


「こんな時間から訪問者・・・?」

「住民の方かもしれません。出てきますね」


斎藤さんはパタパタと玄関の方に向かっている

朝から騒がしいなあと思いつつ、彼女が用意してくれたコーヒーを一口飲む

苦みが眠気を消し去り、意識をはっきりさせてくれる


「・・・坊ちゃん」

「どうしたの?」

「坊ちゃんの先輩を名乗る方が・・・」


斎藤さんは玄関に繋がる廊下と、この部屋の間にある扉を開けたまま、玄関先が俺から見えるようにしてくれる

そこには、予想通りの人物が笑っていた


「・・・お帰りいただいてくれ。そして管理人をクビにする手続きを進めようか」

「承知しました」

「ちょちょちょい!待ってくださいよ!」

「待ちません。あ、いや、やっぱり待ってください」

「はい、待ちます」

「どうやってうちの住所を突き止めやがったんですか?それを答えてからお帰りください」

「担任の先生からですよ。あと、帰りませんからね?」

「先輩がその気ならそうですね。訴えましょうか、斉藤さん」

「弁護士さんに連絡しますね」


斎藤さんはエプロンのポケットからスマホを取り出し、すぐさま連絡してくれる

それを見た先輩は異様に慌てている


「ちょちょ!?待ってくださいってば!」

「先輩は不法侵入ですからね。どうやってここのオートロックを突破したんです?」

「・・・このマンションから出ていく人と入れ替わるように」

「こういう輩がいるからセキュリティを強化しないといけなくなるんですよね。警察行きましょうか」

「連絡しますね」

「待ってくださいお二方!話し合いをしましょうよ!」


弁護士に続いて警察の単語が出たことで先輩の焦りは最高潮

俺の家の扉をがたがたさせている


「・・・坊ちゃん」

「・・・近所迷惑なので、部屋の中で話しましょう。斎藤さん」

「わかりました」


そして先輩はあっという間に斎藤さんのお縄にかかり、うちに入ることになった


「・・・・なんで、縄を?」

「一応、不法侵入者である事は変わりないので」

「・・・左様で」


お縄についた先輩を見つつ、朝食をいただく

昨日のあれは夢ではなかったのかと思うと同時に、なぜこの人は朝から家に突撃してきたのだろうかと冷静になりつつ考える

しかも、わざわざ担任に住所を聞いてだ


「で、先輩はここまで何を?」

「登校するのが大変かもしれないので恩返しの過程で、登校のお手伝いを」


なるほど。また身に覚えのないことに対する恩返しか

昨日から大変だな、この人


「今日、病院に行ってから登校するので通常通り登校しませんよ?」

「明日は」

「明日は土曜日です。用事があるので突撃されても困ります」

「・・・」

「・・・今回は、空振りですね」

「・・・しゅん」


翌日にして早速恩返しが空振りしてしまったようで、先輩は若干落ち込んでいる


「まあまあ、坊ちゃん。不法侵入はともかく、坊ちゃんの両腕を心配してくださっているんですから、厚意を受け取ってはいかがですか?」

「斎藤さん、わかって言っている?」

「わかっているからこそ、言っています」


斎藤さんは持っていたフォークを俺の眉間に向けて言い放つ


「坊ちゃん。たまには人と関わることも重要です」

「・・・むう」


斎藤さんに言われてしまえば、聞かずに無視するというわけにはいかない


「お母様の言う通りですよ!」

「お母様?」

「・・・こちらの方は、お母様ではないのですか?」

「違いますよ。先輩さん。私はこの家の家政婦をしている斎藤明美さいとうあけみと申します。昨日から坊ちゃんがお世話になっているようで」

「い、いえ・・・あ、申し遅れていましたね。私は雪時香夜と申します。渡辺君とは先輩後輩の間柄でして・・・」

「雪時さんですね。しかし、坊ちゃんに恩返しとは一体・・・」

「実はですね・・・」


先輩は斎藤さんに俺が忘れている骨折した時の状況を話してくれる

まず、先輩が階段から落ちた

その先には偶然通りかかった俺がいて、先輩を受け止めて下敷きに

幸いなことに先輩には何一つ怪我はなかったが、先輩を受け止めたことで俺は両腕を骨折

頭も無自覚だが打ち付けているようで、その前後の記憶がないのはその影響だろうと補足してくれた


・・・我ながら自分らしくない行動をしているのが不思議だ

誰かを助けようなんて思った・・・という部分が非常に引っかかる

自分が忘れてしまっているものだから、どういう心境だったのかもわからない

嘘くさい話だが、先輩が嘘をついている感じもしない

けれど「俺が誰かを助ける」ということに、俺自身が疑問を抱く

絶対に、できないことだから

一体、あの時・・・どうして俺は先輩に手を伸ばしたのだろうか


「最初に、お詫びのご挨拶に向かうべきでしたよね」

「礼儀正しいお嬢さんですねえ。あ、朝ごはん食べますか?」

「いいのですか?」


事故の話をした事で、斎藤さんから警戒心は解けてしまったようで朝食を御馳走しようとしていた

・・・なんか、予想外の方向に向かっているような


「雪時さんは、坊ちゃんに庇って貰った恩を返すためにいらしたんですね?」

「そういうことですね」


斎藤さんが用意したとはいえ、人の家で何呑気にパンをかじっているんだろうか、この先輩は

食卓に並べられる食事じゃなくてテレビか時計を見ろ


「坊ちゃん・・・たまに学校に行かない時もあるので、雪時さんには坊ちゃんの怪我が治っても一緒に登校をお願いしたいぐらいですよ」

「なっ!?」

「お安い御用です!恩返しに期限は設けていませんし、せっかくのご縁です!私が卒業するまで面倒見ますよ!」


それはつまり、残りの二年間ずっと先輩と登校する羽目になるということだ

災難だ。災難すぎる

この人を助けたばかりに、こんな酷い災難に巻き込まれるなんて不幸にも程がある

先輩が怪我をしなかったという部分はいいが、それ以外が災害並みの不幸だ


「それは安心ですねえ・・・」

「俺からしたら全然良くない・・・!」


斎藤さんは涙をハンカチで拭いながら嬉しそうに笑っていた


「坊ちゃんにはせめて学校をちゃんと卒業してほしいので・・・」

「そうですね。一生に一回の高校生活ですもんね。楽しかったといえるような日々がいいですよね」


俺が望んでいる学校生活とかけ離れたものにしようとしないでいただきたい

俺は、一人で孤独に・・・静かな学校生活を送りたいのだ

邪魔をしないでほしい

できれば恩返しなんて切り上げて自分の教室に帰ってほしい


ついでにいうならこの家も早く出てほしい


本当に悠長に話しているが、時刻はもう八時半

もうすぐ朝礼が始まる時間・・・先輩の遅刻は確定だけど・・・

急がない理由は、どこにもない


「・・・先輩。帰ってください」

「なぜですか?ああ、あれですね。お決まりの「近寄らないでください」ですね。ふふん。もう斉藤さんから訪問の許可は得ましたもの。嫌でも近寄ってやります!」

「そうじゃなくて・・・時間」

「時間?」

「遅刻、しますけど」

「そんなことはありません。余裕を持って家を出ましたもの。時刻は七時半のはず・・・え?」

「八時半ですね」

「八時半ですけど」


先輩は自分の腕時計を確認する

それもズレている可能性を考えて、鞄からスマホを取り出し時刻を確認する

それに表示されているのも、もちろん八時半である

ズレているのはどうやら先輩の腕時計だけらしい


「あわわわわわわわ・・・!?」


遅刻が確定したことを悟り、先輩は再びわかりやすく動揺する


「生徒会長が時間を間違えるとは・・・斎藤さん」

「はい坊ちゃん。連絡、しておきますね」


斎藤さんが嬉しそうに学校へ連絡を入れてくれる

教室まで乗り込む許可を取っているような生徒会長だ

遅刻の理由が俺ならば、適当に納得してもらえるのではないかなと思う

俺の恩返しを名目に一年生の教室に乗り込む許可が取れるんだ。それぐらいどうにかなるだろう


「先輩、どうします?俺と登校したらお咎めなしだと思いますけど・・・」

「・・・渡辺君と登校します」


しょんぼり顔の先輩の様子を見つつ、朝食のパンをかじる

少し時間が経ってしまったその食パンは若干固かった


「先輩。俺、九時から病院なので、確実に三限目からなんですけど」

「・・・生徒の見本である生徒会長の名に、私は傷をつけられないんです」


いい感じの台詞でまとめたが、教師に直談判して一年の教室に乗り込む部分や、うちのマンションに不法侵入した点など生徒会長の名を傷つけているような・・・なんて、言えるわけがなく・・・


「・・・先輩」

「なんです?」

「とりあえず、朝ごはん食べましょうよ。何飲みます?」


少しだけ、少しだけだ

今回だけは、流石に・・・気を遣ってあげないと先輩の心が折れそうだ

遅刻するなんて、初めてなはずだろうし

凄くショックを受けているし、今回だけは優しく・・・

だ、だからと言って恩返しを受け入れるわけではない!


「なんでもいいです・・・」

「そうですか。じゃあ、コーヒーを」

「ありがとうございます・・・」


斎藤さんに合図を送り、コーヒーを淹れてもらう

湯気立つコーヒーカップを持ち、先輩は冷ますために何度かコーヒーに息を吹きかけた


「ふう・・・ふう・・・」

「・・・先輩。今回だけですからね」

「今回だけ?」

「仕方ないから、今回だけ。一緒に登校しましょう」

「はい!」


落ち込んでいた先輩はその一言を聞いて、嬉しそうに顔を上げる

たったそれだけで元気になるなんて、単純すぎて理解できない


「し、しかし今回だけですからね!来週からは突撃しないでくださいよ!」

「嫌です!」


先輩は熱々のコーヒーが入ったカップを持ったまま、勢いよく立ち上がった

そしてそのまま、俺に抗議をするために軽く駆けつつ近寄ってくる


「・・・ちょっと、コーヒーのカップを持ったまま近づか」

「あ」

「あぁぁっつ!?」

「坊ちゃん!?」


先輩はちょうど近くで足を滑らせ、バランスを崩す

持っていたカップは先輩の手を離れ、中身は全て俺の顔面にぶちまけられる

皮膚にひりひりする感覚。熱さを通り越して、顔面が焼けるように痛い


「だ、大丈夫ですか!?」

「せ、先輩・・・」


それに頭も強く打ち、その衝撃が全身に伝わったものだから両腕も痛い

鎮痛剤はない。あったとしても飲む余裕なんてものなんてない


「今度から、飲み物が入った状態で、駆け寄ったら・・・ぶちのめしますから・・・・ね・・・・ガクッ・・・」

「わ、渡辺君――――――――!?」

「ぼ、坊ちゃん!?」


そのまま俺の意識は途絶えてしまう

ちなみに、俺が目覚めたのは夕方になった後だった

怪我の衝撃でどうやら意識を失ってしまっていたらしい

結果的に俺は欠席処理

先輩があの後どうしたのかは、俺は知らない


しかし、次の日

先輩がどうなったか、俺は知る羽目になる

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