もしかして恐怖の大王!?

「え――!」


 学校を出てすぐの住宅街の十字路で、私は京子へ悲鳴を上げた。心の中で渦巻いているものを誰かにぶつけさせてもらわないと、マジで爆発してしまう。


「付き合ってくれないの!?」


 そう愚痴った私に、京子はさもすまなさそうな顔をすると、昼休み同様に両手を合わせて見せた。昔はすぐ横に家があったのだけど、今は町の反対側に京子の家はある。なので、帰り道で話すと言う事もできない。


「せっかく怪我で部活も無しなのに!」


 私は手のひらの絆創膏を見ながら、もう一度不満の声を上げた。これを貼ってくれた時の彼の姿を、是非とも熱く語らせて戴きたいのですけど!


「今日はうちの親父が出張なうえに、上の二人が修学旅行でいないんだよね。だからたけしの夕飯を私が用意しないといけないのよ!」


 たけしと言うのは京子の一番下の弟で、まだ小学生だ。京子は四人兄弟の一番上で、その下には中学生の双子の弟もいる。


 残念な事に、京子の母親は数年前に病気で亡くなった。それ以来、京子の父親がすべての家事を切り盛りしている。家のことは気にせず、普通の学生生活を楽しめと言う事らしい。


 だから京子のギャル化についても何も言わない。むしろ今どきを楽しんでいてよいという考え方だ。一人っ子のせいか、何かと小うるさい私の両親とは全く違う。だけどそう言う事ならしかたがない。


「明日は絶対につきあうから。でも今日一日だけで、すごい進み方じゃない?」


 そう言うと、京子はニヤリと笑って見せた。その通りだ。今日はイケメン転校生と、二人っきりでお昼ご飯を食べるという、人生初めての経験をした。同時に授業終了後に、クラス中の女子から囲まれるという目にもあっている。


 昼休みに消え、六限になって、いきなりおそろいのジャージ姿で現れれば、誰もが何事かと思うだろう。そのせいで、柊くんがいつの間にか教室からいなくなったのにも、全く気付けなかったぐらいだ。


 もっとも、彼が作ったお弁当を食べられたと言うのはあったが、彼女たちが期待するような何かがあったかと聞かれれば、そんな事はない。自分のドジで手を切った上に、人助けとは言え、制服を血だらけにしてしまった。


 これをお母さんにどう説明すればいいか考えただけで、頭が痛くなってくる。


『ハシモトめ――!』


 私は心の中でやつをどつき回した。やっぱりあれは黒猫なんてかわいいもんじゃない。昔お母さんが信じていたと言う、なんとかダムスの恐怖の大王みたいなやつだ。


 だけど今日だけはお前を許してやろう。制服を一つだめにした代わりに、彼が一年生を救う姿や、Tシャツ姿を眺めながらお話ができた。でもその時の彼を語る相手がいないだなんて!


「真美ったら、また妄想の世界へ行っているでしょう?」


「えっ、分かる?」


「もちろんよ」


 こちらも幼稚園から一緒の京子に、そうそう隠し事が出来るとは思っていない。


「でも――」


 京子が珍しく何やら口ごもって見せる。


「なに?」


「相手は転校生だよ。あんまり自分を安売りしないように気をつけてね」


 そう告げると、京子は手を振りながら去っていく。


「はあ」


 そのスタイルのいい後ろ姿を眺めながら、思わずため息が出た。確かに京子の言う通りだ。つり橋効果のおかげで、ちょっと話ができただけなのに、妄想と現実の区別がつかなくなっていた。


 あまりの恥ずかしさに空を見上げると、昼に見た青い空はどこかへいってしまい、黒い雲に覆われている。そのせいか、まだ日がある時間のはずなのに、辺りはすでに暗かった。


「そろそろ初雪かな?」


 私は誰に語るでもなく、一人さみしくつぶやく。そして唯一無事だったマフラーを口元へ引き寄せ、住宅街の中の人通りのない道を歩き始めた。京子とは語り合えなかったが、彼の姿を思い出しつつ、ベッドの中でもだえることはできる。いや、今夜は絶対に眠れそうにない。


『うん!?』


 私が柊くんを頭に思い描きつつ、道を歩き始めてすぐだった。先に見える十字路を何かが横切った。おっさんが乗るようなじみ〜な自転車だったが、同じくらいじみ〜なダークグリーンの制服を着ていた気がする。もしかして……。


「ハシモト!」


 思わず口から声が出た。自転車のスポークが曲がってしまって、今日は歩きだから、缶コーヒーで一回転することはないが、それでも相手はハシモトだ。この先にどんな不幸が待っているか想像もつかない。


 私は回れ右をすると、いつもとは違う道へ足を踏み入れた。




『何だろう?』


 私は道を歩きながら首を傾げた。この道は自分の家に向かう経路としては回り道だけど、市の中心へ向かうバス通りへ通じているはず。だから騒がしいのは当たり前なのだが、今日は何かがおかしい。


 あちらこちらからサイレンの音が聞こえてくる上に、バス通りにはこの小さな町のどこに隠れていたんだと思うぐらいの、大勢の人たちがいた。


「いきなり開いたんですって?」

「あの軽自動車はどうするのかしら……」


 夕方の忙しい時間のはずなのに、おばちゃんたちが口々に何かを話している。私はつま先立ちになると、おばちゃんたちの視線の先を眺めた。


『何これ?』


 そこには現実のものとは思えない光景が広がっている。この町ではとっても珍しい片側二車線の道路の真ん中に、ぽっかりと大きな穴があった。そこにあったはずのアスファルトはどこにも見えない。


 一台の黄色の軽自動車が、穴の縁で中へ落ちかけて止まっていた。しかも車にはまだ人が乗っているらしい。


 少し離れたところから、作業服姿やスーツ姿の男性が、軽自動車に向かって動かないように声を掛けている。でも穴がどこまで広がるか分からないせいもあって、誰も軽自動車へは近づけていない。


 耳に響くサイレンの音がより大きくなり、パトカーが回転灯を光らせつつこちらへと近づくのが見えた。その後ろには消防車もいるみたいだけど、道をふさいだバスや車に中々近づけずにいる。


『もしかして、これもハシモトのせい?』


 私の頭にあのじみ〜な姿が浮かんだ。もしそうだとすれば、奴はお母さんの言う「恐怖の大王」そのものだ。きっとどこかで寝坊でもしていて、一世代ほどずれたに違いない。


「お嬢さん、危ないから早く家に帰った方がいいよ」


 二人で話し込んでいたおばちゃんたちがいきなり私へ告げた。歩道を含めて警察が道を封鎖し始めたので、どっちにしてもここから先へは進めない。


 人には危ないと言っておきながら、野次馬根性丸出しで再び話し始めたおばちゃんたちを背に、寒さに震えながら来た道を戻る。だけどすぐに足を止めた。


 ハシモトが横切った道を避けるとなると、京子の家の方へ向かうことになる。あっちは旧市街で、道がまっすぐでないため、家へ帰ろうとすればとても遠回りになってしまう。


 昼に感じたあの暑さはどこへやら、気温もどんどん下がっている。バス通りと平行な道が使えれば、少しはましなのだけど……。


 そんなことを考えながら辺りを見回すと、黄色い電球がぽつりと光っているのが見えた。よく見ると、バス通りの裏側に小さな路地がある。家の軒先が重なって先は見通せないが、奥で小さな街灯がところどころで光っているのも見えた。


 ちょっと不気味な気もするが、まだ完全に日が落ちたわけではないし、どこかで左へ曲がれば必ずバス通りにぶつかる。いきなり穴が開いたところさえ回避できれば、後はどうにでもなるはずだ。


「恐怖の大王め!」


 頭の中でもう一度ハシモトをしばき倒す。こんな寒空の下、ジョギングするわけでもないのに、ジャージ姿でうろうろしている時点で、すでにハシモトの呪いに負けている。それにいくら普段は気合と根性で生足で頑張っているとはいえ、ジャージだけではとても耐えられない。


 私は襟元のマフラーをもう一度きつめに締め直すと、すこしばかりさみしい感じのする路地へと足を踏み入れた。

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