第16話 女子テニス部
痺れる寒さの中、テニス部の元気な掛け声がテニスコートに響いていた。
テニスコートの脇の通路の向こうには、雨を凌げるちょっとしたスペースが設けられている。生徒たちはここを広場と呼んでいた。位置的には職員室の真下だ。大きな柱がいくつも立ち上り職員室を支えている。
広場にはテニス部員のバッグやらラケットやらが無造作に置かれている。開いたままのカバンもチラホラ見える。羞恥心や防犯意識の欠片も持ち合わせていない状態だ。
ハルが絡まれていたのは、その広場だった。
「可愛い〜❤︎」
「小っちゃァい」
「飴食べる? 白石くん」
テニス部の上級生だ。既に囲まれている。
ハルは、小っちゃいとは失礼な奴らだな、と憤慨しながらも飴を受け取り、口に放り込んだ。コロコロと口内を転がすと、彼女らは何故か沸き上がった。
「飴食べてる可愛い〜❤︎」
いやお前が渡したんだろ。動物園のヤギに餌をあげて、『わぁ〜食べたぁ』とそのまんまの感想を言う来園者か、お前は。とは思いつつ、ハルは黙っていた。やはり上級生は怖い。
女子テニス部——とはいっても男子テニス部は存在しないのだが——の練習用ユニフォームは袖があるにはあるが、冬なのに極端に短く、腕を動かせば脇が見えるほどであった。要するにハルは目のやり場に困っていた。
ジロジロ見て、変に誤解されても困るし、かと言って全く気にならない程、ハルは朴念仁でもなかった。
この世界の男子ならば、女子の脇など全く気にならないどころか、不快感すらあっただろう。しかしながら、ハルは元々、男女が平等な別世界の住人なのだ。加えて16歳という思春期真っ盛りの身。女子の身体に興味を持つな、という方が酷である。
「なんかもじもじしてる。可愛い」
「ねえ、私たちの中で誰が好み?」
「私でしょ? ね? お姉さんと遊ぼ?」
テニス部の一人がハルに手を伸ばす。きっと悪気はないのだろう。ちょっとした悪ふざけ、あるいはスキンシップのつもりなのかもしれない。だが、ハルには恐怖の対象として映った。
早く! 早く来い! そう祈った瞬間。
真上から、ソレは来た。上級生達の後ろに着地する。
ライトブラウンのショートボブが、着地で跳ねて、少し乱れた。
「
僕は百地の背中に言う。
「お餅お前どこから降って来てんだよ」
「職員室ですぅ、百地です」
見上げると確かに職員室の窓が見えた。テニスコートは職員室のすぐ下に位置しているようだ。
「どう見ても高さ5メートル以上あると思うんだが」
「愛ゆえに」
意味わからん。
ハルは理解するのを放棄した。
「ちょっと、おばさん何なんですか」とテニス部が百地を睨みつけた。
「なッ、誰がオバサンですかァ!」
百地の名誉のために言えば、百地は決してオバサンと言われるような年齢ではなく、加えて、美人——というよりは可愛い系だが——と言って差し支えない容姿をしている。
ハルが、百地がどうやって上級生たちを追い払うのか、興味深げに眺めていると、百地は「ほれ、女子高生」と上級生たちに何かを投げ渡した。
それは小さなジップロックのような袋。
透けて見える中身に、上級生達は顔を引き攣らせた。
「何……コレ……」
百地がにんまりと笑い、答えた。
「
聞くや否や、上級生達は「いやァァアア」とソレを放り投げて逃げて行った。ハルは『鼻毛で撃退される人初めて見た』と思い出を胸に刻むように上級生たちを見送った。
ヒラヒラと木の葉のように、ジップロックが宙を舞い、地面に落ちた。百地は「よいしょ」と腰をかがめて、それを拾う。
「で、本当は何なのソレ」とハルが聞くと百地は笑った。
「やっぱり嘘だって分かります?」
「このタイミングで被害者の鼻毛を採取する意味がないからね」
百地は頷いてから、「コレはですねぇ」ともったいぶって言う。
どうせ自分の鼻毛だろ、とハルは予想していた。
——が、それは外れる。
「ハル様のお
ハルはどこからツッコんだら良いか分からず、面倒になって百地を力の限り蹴飛ばした。百地はあまりダメージを受けておらずヘラヘラしていた。
ハルが何度蹴飛ばしてもノーダメージの百地に、いつか泣かす、と予告している時だった。
甲高い女子の怒鳴り声が聞こえた。
ハルが何事かと目を向けると、そこには同級生のテニス部
「ひなた、いったい何回目よ!」
「す、すみません……」
話をなんとなしに聞いていると、どうやらイージーミスを連発した、というだけの話らしい。東堂は泣きそうな顔を俯けて、ひたすら謝っていた。放っておいたら土下座でもし出しそうな勢いだ。
「ひなた、最近おかしいよ? ずっとうわの空だし……。悩みでもあるの?」
「……いえ、大丈夫です。ほんとすみません……」
「そう? ならまぁ……いいんだけれど。それなら練習に集中しなさい」
「……はい」
まだ話は続いているようだったが、テニスの戦略のことらしく、ハルにはよく理解できなかった。百地が無理矢理ハルの視界に入って来たのもあって、ハルは耳を傾けるのをやめた。
「ハル様、あの子が気になるんですか?」
「いや、まあ。僕叱られたことないから」
「ないから?」
「……ちょっとああいうの良いなって。思っただけ」
百地がため息を吐くように微笑みを浮かべ、ハルの頭を撫でた。何故かこの時ばかりはハルに嫌悪感はなく、照れくさそうに視線を外すだけだった。
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