第5話 天才少年


 時雨しぐれ先輩、と後輩刑事に声をかけられ振り返ると、思ったとおり、丸顔の後輩 百地ももちがこちら——職員室の扉前に駆けてくるところだった。



「先輩! 大変大変! 大変です!」


「んー? どったの?」



 私は、どうせ大したことじゃない、と決めつけて適当に返答した。百地はキャリア組で頭脳は明晰、運動神経も優れ、射撃の腕も上々、まん丸で小さい顔がほんのり赤みがかって血色が良く、大変可愛らしい。

 ——が、アホなのが玉に瑕な弱冠23歳の警部補。


 彼女が『大変』と称して報告してきた事柄には『カマキリが卵を産んでる』『福引の5等が当たった』『靴下左右バラバラの履いてきちゃった』などのそうそうたる珍事が並ぶ。しかも大抵は他人にとってはどうでも良いことなのだ。

 そして今回も例に漏れず、百地はどうでも良い事を大慌てで報告してきた。



「大変なんです! この学校今、男子校生が一人もいないんです!」


「そらそうよ。臨時休校なんだから男子校生はおろか女子高生だっていないわよ」


「ガッデム!」



 百地が今どき聞かない悔しがり方で、女を下げている間、私は鑑識や取り調べで得られた情報を整理していた。




 犯行時刻は死後硬直と死斑の状態から、発見前日の午後9時から当日の午前1時頃までの間とのことだと鑑識の調べで分かっている。死因は腹部を複数箇所刺されたことによる出血性ショック。だが、頭部にも何度も金属バットで殴打を受けた形跡があった。これは死後行われたものである可能性が高いそうだ。


 第一発見者の証言によれば、死体発見前、職員室の唯一の扉は鍵はかかっていた。加えて、職員室の窓も同様に全て施錠してあった。

 職員室の鍵は本鍵と予備鍵の2つあるが、本鍵は被害者のポケットから見つかっており、予備鍵は午前6時まではキーボックスに、それ以降は第一発見者白石真理亜が持っていた。



つまり——



「——つまりキーボックスの解錠カードキーを持っている学校職員にしか犯行は不可能、ということでしたね」と唐突に百地がひょこっと視界に現れて、勝手に結論を述べた。


「……私、口に出してた?」


「はい。それはもう、思いっきり。ぶつぶつぶつぶつ、と。ちょっぴり不気味でした」



 この後輩、私のこと舐め腐ってんじゃないだろうか。私に面と向かって無礼を働く輩など百地か、あるいはくらいだろう。

 あの子と真理亜の顔が頭に浮かび、笑みが漏れた。

 それから一層、気を引き締める。真理亜のためにも。あの子のためにも。早く真犯人を捕まえないと。



「そうと決めるのはまだ早いわ」


「いえ、先輩。ぶつくさ言いながら自分の世界に入っちゃってる先輩はもう確定的に不気味ですよ?」


「そっちじゃないから! てか、アンタいい加減しばくわよ?」



 ひぃぃ、と百地が後ずさる。



「職員にしか犯行は不可能とは言い切れないって言ってんの!」


「はぁ。でも鍵は職員にしか取れないし、被害者の持つ本鍵を使われたわけでもない。これで犯人が職員でないのなら、これはもう密室殺人じゃないですか」


「職員じゃないとは言ってない。現段階ではまだ絞らない方がいいってことよ」


「どうやって職員以外——例えば生徒でもいいですけど——が被害者をコロコロするんですか? いえ、コロコロはできたとして、どうやって被害者の鍵を使わずに職員室に鍵をかけて逃走するというんですか?」



 百地が私の顔を覗き込むようにする。煽っているようにも、純粋に気になっているだけのようにも見える。



「そ、れは…………まだ分からないけど……」



 百地は「それに」と追い討ちをかけるように言った。



「容疑者はすでにあがってるんでしょ? 白石真理亜さんだっけ? 元刑事の」


「…………ええ」



 私には納得がいかないが、百地の言うことは事実だった。

 真理亜がこんなことするはずはない。

 私には分かる。いえ、私だけじゃない。真理亜と共に仕事をしたものなら誰だってそれは分かった。

 だが、今回は状況が不利過ぎた。

 真理亜にしか犯行は不可能、とまで言う捜査員さえいた。



「ならやっぱり職員の白石さんが犯人なんですよォ」



 私が反論しようと百地に振り返り睨みつけるが、感情とは反対に言葉は何も出てこなかった。

 あれだけ真理亜に助けてもらって、なのに私は何の力にもなれないのか。

 これだけ経験を積んで、それでもまだ真実一つ見つけられないのか。

 自分が情けなく、握った拳が小さく震えた。





 不意に後ろから懐かしい声がした。





「——それは、どうかな」





 少し幼い透き通った声。

 生意気だけど、頼もしい声。

 私と真理亜をことごとく困らせたわがままな声。

 あの子の声。




「ハル?!」





「時雨姉さん、久しぶり」



 ハルがにこりと私に笑いかけた。

 きゅん、と胸が締め付けられる。恋愛などとうに諦めて仕事マシンとして生きてきた私の内部で、今恋愛マシンがミシミシと軋みながら再起動する音が聞こえた気がした。

 イケメンの笑み、恐ろしい。

 そんな私を押し除けて、恋愛マシンの塊である百地がキャーキャー黄色い声でやかましく騒ぐ。



「男子校生! いました男子校生! それもとびきりのイケメン! キャー! お触りありですか?」



 私は百地の尻を蹴飛ばす。



「あ痛ァー! 先輩?! ちょっと! 純情な乙女のケツになんてことするんですかァ!」



 純情な乙女はお尻のことを決して『ケツ』とは言わない。



「あー痛い。ねぇキミ、私のお尻腫れてません? ちょっと優しくさすってくれますか?」



 もう一発蹴飛ばす。今度は強めに蹴飛ばしたら、百地は『ぐぼォェ』とか言いながら転がった。



「ごめんね、ハル。後輩のしつけがなってなくて」


「大丈夫。真理亜も似たようなもんだから」



 真理亜がこのクソみたいな後輩と似てる?

 私の記憶の中の真理亜とこの変態な後輩とはかけ離れていた。似ても似つかない。



「時雨姉さんも元気そうでよかった」そう言って微笑むハルは眩しいくらいにカッコ良く、可愛かった。


「今はまだ、ね。毎日カップ麺ばっかだから、そのうち故障するよ」と笑って自嘲気味に言う。


「ダメだよ、若いからってカップ麺ばっかじゃ! 僕が今度何か作ってあげるよ」


「え?! い、い、いいの?」動揺してどもった。



 恥ずかしい。だけど、男子から手料理を振る舞ってもらうなど、すべての女子——女子という年齢ではないかもしれないが——の夢である。興奮もしようというもの。

 百地が何事もなかったかのように戻ってきて話に加わる。



「ハイハイ! あたし! 百地にも作って? お願いっ! 百地お姉さんからの、お・ね・が・い❤︎」


 百地の遠慮を知らないウザ絡みをハルは「で、さっきの話だけどさ」と綺麗にスルーして、話を続けた。


「僕は犯人は生徒の中の誰か、だと思うんだ」


「私のハートを盗んだ犯人はキ・ミ❤︎」


「お姉さん、ちょっと黙って」


 ハルに睨まれて何故か嬉しそうに「はい喜んでー❤︎」と居酒屋店員みたく百地が返事をする。私とハルはそれを無視して話を続ける。



「は、犯人が生徒って……本当なの?!」



 私は期待を込めてハルに確認する。ハルはまだ高校一年生だが、ただの高校一年生ではない。


 まだ真理亜が刑事だった頃、当時中学生だったハルがたまたま立ち聞きした情報の断片から、事件を解決に導いたことがあった。

 誰もが驚愕を隠せなかった。

 優秀な捜査員達が誰も気付かなかったことに、真理亜にお弁当を届けにきた可愛らしい中学生がたった一言、しかし的確な一言、犯人の致命的なミスを見抜き、指摘したのだ。

 その一言で捜査は劇的に進展した。そしてわずか2日後に逮捕に至った。


 以来、警察がハルに助言を求めて事件を解決に導いた回数は一度や二度ではない。

 ハルの言葉をただの子供の戯言、と捨て置くなど愚の骨頂だ。



 ハルは「絶対とは言えないけど」と前置きしてから言った。


「考えてもみてよ。犯人が教師なら何故わざわざ鍵を閉めて去ったの?」


「防犯意識が高いからじゃないですか?」と百地が言い、「田舎は家に鍵かけないらしいですよー。信じられないですよね。相互監視が最大の防犯、だとかほざいてるらしいんです。どこの部族だって感じですよね」と関係ない話をとうとうと続ける。当然無視される。



 私はハルの言葉をもう一度よく考えてみた。



 犯人が鍵をかけないで去った場合、容疑者は職員のみならず、全校生徒も候補に入ってくる。誰でも出入りでき、去る時は鍵を気にせずそのまま去ればいいのだから、誰でも犯行は可能だ。

 一方で鍵をかけた場合は——これが現状なのだが——犯人は教師のみに絞られる。何故なら職員室の鍵をキーボックスに出し入れできるのは教師のみだからだ。



「そうか。犯人が教師なら、わざわざ教師のみに容疑者が絞られるようなことはしない」



 ハルは正解を与える教師のように人差し指を私に向けた。



「そう。鍵をかけることは犯人が教師だった場合、デメリットしかない。自分の首を自分で絞めるようなものだよ。反対に犯人が生徒だった場合は、鍵をかけることには大いに意味がある」


「犯人を……教師だと思わせるため」



 ハルは私の回答に小さく頷いた。



「でも、単に何も考えずについ癖で締めちゃっただけかもですよ?」と百地が割り込む。



 議論の価値がある発言ならば無視はしないのか、ハルが百地に答えた。



「確かにその可能性もある。ただ、凶器を用意していたり、指紋の処理も確実に行っていたり、と状況的に明らかに計画的犯行。ここまで順調に進めて、最後の最後でヘマするとは少し考えにくい気がするな」



 ハルが顎に手を当てて言う。

 ハルがそんな仕草をすると、大変様になっていて、思わず見入ってしまう。

 ハルのかっこよさに浸っていると、またも百地がわさわさと割り込んで邪魔をする。



「え、なんで指紋がなかったこと知ってるんですか?! 百地今回は喋ってないですよ?!」



 前回は喋ったのか……。大丈夫か、この女?

 ハルは何でもないことのように答えた。



「指紋残ってたら、こんなに難航してないでしょ? 学校で起きてる以上、十中八九、学校関係者が犯人なんだから、全員指紋徴取・照合して、終わりじゃん」



 事実だ。実際にはじめはその段取りで進めていた。しかし、凶器には全く指紋は残っていなかった。照明スイッチも然り。ドアノブに至っては様々な指紋が重なっていて判別不可能であった。出入口のノブなのだから当然だが。



「先輩。この子、頭良いですね。うちで飼って良いですか?」


「まだ蹴られ足りないようね」



 百地は後ずさって、さり気なくハルの片腕を抱いてハルに隠れた。余計に蹴飛ばしたくなる。



「ところでハル。こんなところで何してるのよ? 今校舎は立ち入り禁止よ?」



 少し咎めるような口調になってしまった。だがまぁ、ハルには危ないことはしてほしくないという意味で、少し叱っておいた良いかもしれない。

 例え嫌われたとしても、大人としての義務だ。

 だが、そんなハルから返ってきた言葉に私はそれ以上、責められなくなってしまった。

 ハルが言う。











「真理亜を助けたいんだ」









 助けたい。そう言うハルの顔は、逆に助けを求めている者のようであった。






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