第4話 立ち入り禁止
校舎内はしんと静まり返っていた。
ハルが靴入れの小扉を開けると、何通か手紙が詰め込まれていた。ハートのシールを貼った物や、紙切れに連絡先を書いた物など、多種多様なそれらは、一言で言えばラブレターなのだろうが、ハルにはゴミにしか思えなかった。
前に『紙が勿体無い』と思い、ラブレターを半分に切って裏面をメモ用紙として使っていたら、差出人に泣かれたことがあったので、以来ラブレターは捨てることにしていた。
テニスコートの方から、運動部の声が聞こえる。一年生だろうか、先輩からの指導に気合の入った声を返していた。こんな時にも部活動は休みにならないのか、あるいはテニス部が特殊なのか。現にテニス部以外の部員はどこにも見かけなかった。
ハルは部活動には入っていなかった。別に無気力なわけでも、バイトに明け暮れているわけでもない。理由は単純だ。部活クラッシャーになりたくないからだ。
ハルが入れば必ず女子間で諍いが起こる。これは『必ず』と冠して差し支えないだろう。実際に中学ではハルが入ったボードゲーム部はハルを巡って争いが起こって崩壊していた。
それほどにこの世界の女子にとっては、顔が良くて性格も良い男子——とは言っても単に、他の男子と比較して『優しい』という評価を受けているだけなのだが——は貴重なのだ。
ハルは運動部の元気な声を少し羨ましく思いながら、上履きを履いた。
ふと横を向くと、校舎内から出て行こうとする上級生が見えた。
金色の派手な髪色に白い肌のその女子は、ハルに気付くことなく下駄箱の影に姿を消した。2年生だろうか。彼女が下駄箱に隠れる瞬間、彼女は口角が上がり、一人笑っているように見えた。
ハルはあまり気にせず、校舎内にあがる。
真理亜も時々、よだれを垂らしそうな顔で一人ニヤニヤしている時がある。この前のハルの遠足の写真を開封している時もそうだった。あれに慣れていれば大体の事態は冷静でいられるというものだ。
臨時休校で、生徒は本来、校舎に立ち入ってはいけないのだが、ハルはお構いなしに進む。
歩きながら、昨日の真理亜とのやり取りを思い出した。
ハルが真理亜を救う、と豪語した直後、真理亜はひどく取り乱した。
「な、何バカなこと言ってるの! やめなさい! 危ないから!」
ハルはもう決めたから、と言わんばかりに手のひらをひらひらして「39番、早く独房に戻りなさい」と看守みたいなことを言ってみた。
するとハルの言葉を合図に、看守が真理亜を引きずって退室させようとする。真理亜は留まろうと暴れていた。
「ちょ! ハルくん?! 分かってるの?! ダメだからね?! 心配しないでいいから、貴方は大人しく待ってなさい!」
「分かってる分かってる。まずは現場を当たれ、だろ? それから目撃者」
「何も分かってないィ! ちょ離して! ハルくん! 本当に! 本当にダメだからね?!」
言いながら真理亜は応援に来た別の看守と、元いた看守との2人かがりで引きずられて退出して行った。
ハルは手を振りながら、ドナドナド〜ナ〜と歌った。
真理亜の姿はとっくに扉の奥に消えていたが、その奥から真理亜の声が響く。
「
ハルが引く気がないと諦めた上で、一人で動かれるよりは安全、と考えたのだろう。
時雨とは真理亜の警察官時代の同僚である。ハルも何度も顔を合わせたことがあった。
ハルが立ち入り禁止の校舎に訪れたのはその時雨に会うためだった。
職員室は2階にある。今は捜査のため、職員も生徒も立ち入りが禁じられ、見張りの警察官が立っているだろう。ドラマとか小説での知識だが、そんなに外れてはいないはずだ。
時雨警部がいるとしたら、現場である職員室以外考えられなかった。
上履きに履き替え、昇降口階段を登ろうと一段目に足をかけると、上方の階段踊り場に一眼レフカメラを首から下げた茶髪の女の子が降りてきた。
肩口までのショートヘアは毛先が無造作にカールして活発な印象を受ける。
立ち入り禁止なのによく人に会うな、とハルは自分を棚上げして違反者たちに呆れ返った。
女の子はハルを見ると「おや?」と呟いた。
ハルは迷わなかった。一瞬の迷いもなく怒鳴る。
「こらァァアア! 今校舎内は立ち入り禁止だろォが!」
「ひぃぃい、すみません……って君もだよね?! 君も無断侵入だよね?! 白石くん?!」
ハルは階段をゆっくりと上がり、彼女と同じ踊り場まで登った。
「よう、
「うん、こんにちは。白石くん。……て、そうじゃないよ! 怒鳴った件はまるでなかったかのように挨拶して来ないでほしいよ!」
ノリツッコミの好きな奴だなァ、とハルは心の中で思い、そして言った。
「ノリツッコミの好きな奴だなァ」
塩谷は耳まで真っ赤にして俯きながら「そういうことは心の中だけで思ってて欲しいよ……」と呟いた。
塩谷あやめはハルの学年の生徒だった。確か新聞部だったはずだ。一眼レフを持っているところを見ると、今回の事件を記事にでもしようとしているのかもしれない。
「西田先生が殺害された件を記事にするのか?」
ハルがストレートに聞く。ハルは大抵のことは面倒臭いからという理由で、前置きなしに真っ直ぐ直球ど真ん中を放るタイプの人間だ。その質問により相手がどう思うかはあまり考慮しない。
塩谷は一瞬、固まってから「まさかぁ」と笑う。
「そこまで不謹慎じゃないよ。部活動で、変なジャーナリズム精神を燃やすつもりもないし」
「じゃあなんで学校にいるんだ?」
「ちょっと別件でね。白石くんこそ、なんで学校にいるの?」
「別件ってなんだよ?」
「ウチの質問はスルーのくせにグイグイ問い詰めてこないでほしいよ?!」
すぐに答えない塩谷にハルは業を煮やす。
「おい、質問には答えようぜ? 会話は言葉のキャッチボールって習わなかったのか?」
「ぇ、ぁ、ごめん。別件ってのは教師の不倫問題のことで……て、待って! 君にだけは絶対言われたくはないよ?!」
パシャっ!
不意にスマホカメラの音が鳴った。ハルのスマホである。被写体は塩谷。
「なんで撮った?!」
「一応。犯人は現場に戻るって言うし」
「やりたい放題だね、君は?!」
自由奔放なハルに塩谷は翻弄される。ハルの相手をする人間はまともであればある程、振り回されることになるのが常だった。では、変人を装えば良いのかと言えばそうとも言えない。「お前ちょっとおかしくね?」と自分を棚に上げたハルにドン引きされるのがオチである。それ故に女子たちは敬意と親しみを込めてハルをこう呼ぶ。『理不尽王子』と。
ハルが塩谷をじとっとした目で見据えながら、肩をすくめて首を左右に振った。
「まったく女子はすぐエッチなことを言う」
「待って誤解だよ! 言ってない! エッチなこと言ってないよ?!」
塩谷がすがるような目をする。いや、現にすがっていた。ハルのようなイケメン男子に変態扱いされるのは、女子にとっては致命的ダメージである。社会的な死と同義と言えた。
「やりたい放題の乱行パーティって言ってたじゃん」
「その『やりたい』じゃないよ?! てか、なんなら乱行パーティは一文字も言ってないよ?!」
泣きそうな塩谷をよそにハルはわざとらしく「おっとこんなことしてる場合じゃなかった」と言ってから「じゃあな」と別れ告げ、上への階段を上がっていく。
後ろから「うん、またね。……って結局、私の質問はスルーのままなの?!」とノリツッコミする声が聞こえた。
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