第38話
手を繋いだまま買い物を終えて、自宅まで戻ると玄関前で黒谷さんはパッと手を離した。流石に親に見られるのは恥ずかしかったらしい。
「ただいま〜」
「お邪魔します」
玄関に入り、扉を閉めてから猫用のゲートを黒谷さんが開いた。キッチンの方からは黒谷さんのお母さん・美香さんが「おかえり〜、いらっしゃい」と出迎えてくれる。
「空君、今日は娘のことで大変だったみたいで……いつもいつも本当に」
「いえいえ、元はと言えば俺たち……が授業すっぽかしてたのが原因なので」
「確かに、授業をサボるのはよくないことよ。先生に楯突くのもね。けど、そういう未熟なことをしてしまうのが、思春期を迎えた子供なの。そんな時にね、大人は正しい方向に正しい言い分で導かなきゃいけないの」
黒谷さんはまた始まったわといった様子でスマホに目を向ける。
「正しい……言い分」
そう言われてみると、後藤のやり方はやっぱり良くなかったように思う。
「あの先生、電話でお話ししたけど、なんというか生徒とか女とかを見下す感じがずっとあってね。結構あの年齢の男性は多いの。ほら病院でも女性の看護師には強気で当たってくるのに男性の先生がくるということ聞くおじいちゃんとか」
ちなみに後藤はまさにそういう人物である。コンビニで弱そうな方の店員に怒鳴り散らかすようなジジイだ。碌なもんじゃない。
「確かに……俺もあの時そんな感じがして」
「ニコがサボったのが悪いには悪いんだけど……でも、今日ね空君が守ってくれたことは正しいことだと私は思うの。ありがとう」
怒られてるのか感謝されているのかよくわからないけど、俺の周りにいる大人2人がこういうんだ。多分、きっとあの場で後藤に楯突いたことは間違いではなかったらしい。
「なんかすみません」
「さっ、2人とも。お好み焼きの準備手伝ってよ。ほらニコ、ホットプレートの準備」
「はーい」
ダイニングテーブルにホットプレートを準備し、美香さんと黒谷さんがせっせと準備をする。俺は……
「空君はソラくんを見ててね」
黒猫のソラくんのお世話である。
「ダメだってよ、世知辛いな」
『んなぁ〜』
黒猫のソラくんはテーブルの上のイカにクンクンと鼻をひくつかせる。どうやらキッチンから盗んで食べるほどの大好物らしく、押さえていないと飛びついてしまうのだ。しなやかな背中を撫でてやると彼は不満げに尻尾を揺らす。
普段、美香さんの目を盗んで色々盗み食いをしたりするらしい。彼はわかっていないが人間の食べ物は猫にとってあまりいいものではない。無論、あのキャットフードが美味しいのかどうかというのは俺にはわからないが。
「そういえば、ソラくん平気で触らせるんだね」
黒谷さんに言われて気がついたが、確かに俺はかなりナチュラルにソラくんを撫でていた。最初に会った時はツーンとして触らせてくれなかったのに。
ビロードのような短毛の毛並みは撫でているだけで幸せな気分になるし、ソラくんがテーブルの方を見つめる後頭部のフォルムは大変かわいい。こんなにかわいいのにわがままで気分屋なのだからなんというか、目が離せなくなってしまう人の気持ちがなんとなくわかる。
——黒谷さんっぽいよなぁ。
***
ホットプレートでお好み焼きが焼きあがると、俺は食卓に招かれた。豚玉、イカ玉、明太もち。お好みソースがじゅわじゅわと温まり、食欲のそそる香りだ。
「鰹節とマヨネーズはお好みでね〜」
「ありがとうございます! いただきます!」
一人分ずつの小さいお好み焼きを一枚お皿にとって早速箸を入れる。
「あれ、空君マヨは?」
「俺はマヨかけない派」
「まじ〜?」
信じられないと目を見開く黒谷母娘を尻目に俺は熱々のお好み焼きを食べる。温まったソースは少し煮詰まっていていい感じの塩っ辛さ。口の中がズル剥けになるほど熱いがそれがいい。
「うまいっす」
「あら、よかった〜。おかわりもたくさんあるからね。空君、白いご飯もあるけど食べる?」
「欲しいです!」
「まぁ、ちょっと待っていてね」
「すみません、ありがとうございます!」
可愛らしいお茶碗に白米をよそってもらい、お好み焼きと一緒に頬張る。俺は別に関西の人間ではないけど、ソースあじと白米の相性がすごく好きで家ではこうして食べるのである。
「いいわね〜、男の子はよく食べるわぁ」
「うまいっす」
俺ががっつく一方で黒谷さんはまだお好み焼きをふぅふぅしていた。
猫系ギャルの黒谷さんはどうやら猫舌らしい。
「あっ、ソラくんだめっ!」
ふぅふぅする黒谷さんに目を奪われていたら、名前を呼ばれて美香さんの方をみると……と怒られているのは黒猫の方のソラ君だった。
ソラくんはテーブルの上にあったトッピングの鰹節の袋を咥え、一目散に廊下の方へと逃げる最中だった。
「あぁ、ニコ捕まえて」
「こら〜!」
箸を置いてソラくんを追いかける黒谷さん。俺も後に続く。
「体に悪いんだよ、ソラくん〜」
「悪い、俺が端っこに置いたから……」
鰹節を取り上げられて不機嫌なソラくんは寝室の方へと消えていき、なんとか彼が食べたのが少量で済んだことを俺たちは安心した。
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