第37話
夕方のだらりとした時間をベッドの上で過ごしつつ、俺はスマホでバイト探しをしていた。期末テストが終われば夏休み。学校をやめるかやめないかやめさせられるかは別にして一度アルバイトをするという経験をしておきたい。
その前に、原付の免許を取るか。テスト明けに母さんにお金を前借りできるか交渉しよう。
なんてどうやってお金を借りるかどうか考えていたら、ノックがして母さんが部屋に入ってきた。スマホを片手に嬉しそうな顔。なんだ、なんだ。
「何?」
「黒谷さんから、この前ニコちゃんがうちで夕飯を食べたからそのお礼に空君を貸してくださいって〜。母さん、喜んで〜って言っちゃったわ!」
「なんで勝手に……」
「いいでしょ。母さんは久々に1人でゆっくり出前でも取ろうかしらん」
「いいなぁ」
「いいから、はい。ほら準備して!」
「へいへい」
と嫌々体を起こしつつ、身支度に向かった。
***
一度、エントランスまで降りて、外のオートロックのインターフォンからチャイムを鳴らす。というのも、オートロック系のマンションでいきなりドア前のインターフォンがなるとちょっと怖いからだ。
「あっ、俺です」
「あら〜、わざわざ下まで降りてくれたの? ちょっと待ってね、ニコがいくから」
「へっ?」
「ごめんね、買い忘れがあって2人でおつかいにいって欲しいの」
「わかりました」
プチッと通話が切れると、俺はエントランスの植木のところで黒谷さんが降りてくるのを待った。しばらくするとラフな感じの私服姿の黒谷さんが慌てた様子でやってくる。
「ごめん、お待たせ〜」
「おつかいって?」
「ママったら、お好み焼き作るのにマヨネーズが足りないっていうんだもん。お好み焼きにマヨは必須でしょ?」
「確かに……。じゃあ、この前言ってた小学校の方のスーパー行ってみる? ほら、駄菓子が豊富系の」
「いく〜!」
学校に通うときとは逆方向に歩き出した俺たちは夕方のオレンジ色の光に包まれながらゆっくりと歩いた。こうして私服で出歩くのはとても新鮮で、なんというかデートでもしているような気分だ。
「ってか、夕飯のお誘いありがとう」
「いいよ。なんかさ、後藤から電話かかってきてママがね〜空君のことすごく褒めてたから」
「えっ、そっちにも電話いったんだ……」
「ってことは空君の家も?」
「あぁ、けど……授業の時みたいに偏見まみれのこと言ってうちの母さんブチギレたらしい」
「さすが……、うちもシングルマザーだと〜って言われたみたいでママ超怒ってたかも。けどさ、一番悪いのはサボったウチらだしなーんか気まずくて」
「確かに、しばらくはサボるのやめようかな。俺」
大事になってしまったし、中抜けをするタイプのサボりは少し遠慮するか。ちょうどテストも近いし、そのあとはすぐに夏休みだ。
教師達も夏休みを越えれば、イベントが盛り沢山になってくるので俺たちのサボりなんて忘れてしまうだろう。それに、夏休みの間に遊びまくって高校デビューした子達も同じようにヤンチャを始めるだろうし。
「だねぇ……しばらくは私もやめとこ」
「おっ、あのスーパーだぜ」
小学校の向かい側、小さなマンションの隣にそのスーパーがある。一見、こじんまりしているが実は結構主婦の人たちから人気で駐輪場にはずらっとママチャリが並んでいた。
「ほんとだ〜、静かなところだしいいね〜」
「さて、マヨネーズだっけ?」
「うん、ママが1000円でマヨと飲み物買ってこいって」
当然のように俺が買い物カゴを持ち、黒谷さんが前を歩く。スーパーのピカピカの床と明るい照明のせいで目がしばしばする。野菜コーナーを華麗にスルーして乳製品、それから冷蔵品コーナーも抜ける。そのまま、調味料が並んでいる棚の方へ行く。
「黒谷さん家は何マヨ派?」
「うちは〜、これ〜」
と、彼女が手に取ったのはヘルシー系のマヨネーズだった。意識が高い……! さすが医療従事者の家だな。
「空君の家は?」
「うちは量産型のこっち」
黒谷さんはヘルシーな方をカゴに入れると、俺が指差した量産型のマヨネーズをじっと見つめる。
「黒谷さん、どうしたの?」
「うーん、結構調味料って家庭によって違うじゃん?」
「まぁ、確かにこんだけ種類があるし?」
マヨネーズだけでも、大手のものからヘルシー系、海外製のものやご当地物までたくさん揃っている。
「だよねぇ」
「どうしたの? まぁ好みはそれぞれだし。うちの母さんなんかは基本的に安さで決めちゃってたりするし」
「そうなんだ、うちのママは元ギャルの癖に看護師だからかめっちゃ健康志向でさ〜。無添加〜とかオーガニック〜とかあるとすぐに買っちゃうの」
「いいじゃん、なんか健康そうで」
「え〜、薄味ばっかりだと結構飽きちゃうよ〜。ちなみに空君はどんな感じの料理が好きなの?」
と聞かれるとわからない。そもそもあまり食事に興味がなかったし、『出されたものは黙って食べる!』と教育をされていたので好き嫌いもない。
「あんまないかも? 出されたものは文句を言わずに食べろ〜的な感じだし。ただ、多分不味いものが出てきたことはないかも?」
「そっかぁ〜、じゃあ手料理とかってテンションあがんない?」
「それは上がるだろ。なんかこう、男としてグッとくるものがある」
「へぇ〜、そうなんだ〜」
黒谷さんがにたっと笑うので俺はなんか探りを入れられているのかと身構える。まさか、今日のお礼にお弁当作ったよ! なんて展開が……あるわけないな。
「駄菓子、買おうと思ったけど。お母さんヘルシー志向ならやめとく?」
俺の言葉に黒谷さんがぐっと近寄ってくると俺を可愛らしく睨んだ。
「知ってる? お菓子と甘いものは別!」
「はいはい、そーですか」
「あっ、そうやって〜。空君、早く駄菓子選びに行こっ」
何気なく俺の手を掴むと彼女はグイッと引っ張った。俺は手を繋がれてドキドキしながらも平静を装う。彼女は俺の方を見て少しだけ赤面し、悔しそうな顔をする。
彼女もドキドキしているんだろうか。そうだったらいいな。
「俺、ミニミニドーナツ」
「あっ、私もそれ好き〜!」
不意に向けられた満面の笑みに、俺は思わず顔がにやけてしまう。あまりにも自然で、あまりにも美しい。
「そ、そうかよ」
「へへっ、ドキドキした?」
「えっ、あぁ、それは……」
「帰るまでずっと手、繋いでよっか」
「は、はぁ?」
「いいでしょ〜? 空君は私なんかじゃドキドキしないんだから」
完全に愉快犯の彼女に俺は手のひらで踊らされていたようだ。けれど、宣戦布告は買わねば。
「あ、あぁ! ドキドキなんかしないね」
「じゃ、こうしちゃお」
指と指を交互に絡ませるようなカップル繋ぎにして黒谷さんがぎゅっと俺の手を握った。
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