第35話


「あの、前回の授業なら自分も欠席していたんですけど」


 俺が発した言葉に、後藤は予想もしていなかったのか一瞬びっくりしたように眉を動かした。


「あ〜そうだったかい?」

「はい、どうして黒谷さんが休んだ理由はサボりだと決めつけて、同じように欠席していた僕には何も言わないんですか?」

「君ね、普段の態度ってものが……」


 後藤は困ったように後頭部を掻くと、俺が真面目な生徒に見えるからどうとか、逆に遅刻の多い黒谷さんが信用できないとか言い訳を並べた。


「あの、黒谷さんが体調が悪かったかもしれない。僕がサボっていたかもしれないっていう可能性もあると思うんですが先生はそれを確認もせずに彼女をみんなの前で叱って追い詰めてるんですか?」

「えっと、そそれはだね……。そもそも、僕は社会で通用する人間に……」

「あの……! 確かに黒谷さんは遅刻とか居眠りとかしていてそれは社会に通用するかわかりません。けど……」

 俺が少し声を張ったからか後藤はニヤニヤ顔をスッと真顔に変える。こいつはおそらく保健室履歴も確認せず、立場や絶対にやり返してこないであろう弱い女子にターゲットを絞って「叱れる教師」をやりたかっただけなのだ。

 だから、黒谷さんを責めている時はニヤニヤとして勝ち誇っていたが、男である俺に言い返されたら急にその表情が消えたのだ。

「先生のやり方が社会に通用するとは自分は思いません。もしも会社で、間違ったことをした部下をみんなの前で否定するようなことをすればそれはパワハラだと思います」

 ちなみに社会に出たことのない俺、SNSやネットで得た知識である。

「鮎原くん、君ね……」

「それに、前々から思ってたんですけど。先生って教師しか経験のない公務員ですよね? 下手すりゃ都内から出て働いたこともないですよね? どうして先生が社会全体を知ってるみたいに話すんですか?」

 段々と後藤の顔が真っ赤になったあたりで俺は煽りが聞いていることを実感する。これで正解なのだ。俺の目的は後藤の標的を黒谷さんから俺に向けることなのだから。


「ってかさ〜、女子だからどう〜とか周りの女性の教師はどう〜とかマジキモくね?ってかニャコは何も言ってないのに後藤の妄想ヤバいんですけど〜。セクハラじゃん」

 教室の後ろの席にいた黒谷さんのお仲間ギャルが茶化すようにいうと、それを引き金にクラス中がざわついた。


「っていうか、泣かせるまで叱るとかやばくない? しかも確証なしでしょ?」

「うわ〜、先生終わったね。ニャコちゃんの事好きな男子全員を的に回しちゃったよ」

「そういや、後藤がどっかのスーパーでクレーマーしてるの見たって噂ガチなんじゃね? 完全に因縁じゃん」


 こうなってしまうと収集がつかなくなってしまい、それはそっと席についた。後藤は恥ずかしさからか怒りからか顔を真っ赤にしてフルフルと震えていた。

 これはこのまま職員室に帰って学級委員……いや、俺と黒谷さんが職員室に謝りに行くパターンかな。まぁそれでも俺はサボり、黒谷さんはお腹が痛くてトイレにこもっていたとかテキトーにすれば……


「あの! 先生!」


 一際通る声は俺の前の席に座る秋田さんのものだった。彼女はピンと挙手をして後藤の方を見つめている。バレー部なだけあって大きな通る声が響き、クラスは一瞬にして静かになった。


「なんだね?」

「あの、前回の授業前に黒谷さんから体調が悪いと保健委員に相談があったように思います」

 後藤は「ふぅ」とため息をついた。成績優秀な秋田さんに言われたらもう何も言い返せなかったんだろう。にしても、秋田さんが……黒谷さんを助けた? 黒谷さんと俺は正真正銘サボっていた黒であるが、それを秋田さんが庇う理由はなんだろう?


——授業が中断してたからだ


 成績、勉強重視の秋田さんにとって授業がこんなふうに止まっているくらいなら一言助言をして元のレールに戻したかったんだろう。


「はい、そうですか……。黒谷くん、疑って悪かったね」


 涙を拭いている黒谷さんに対してぶっきらぼうにそういうと後藤は板書を始めた。

 秋田さんがそっと黒谷さんにハンカチを渡し、彼女は小さく「ありがとう」と言った。なんだか俺がやったことは何の意味もなかった気がするがまぁいい。

 テキストを開いて板書をノートに写そうとしていたら、後ろからペンで小突かれて俺は勢いよく振り返る。

 なんだかニマニマの岡本くんがこちらに小声で

「鮎原くーん、かっこいいじゃん」

 と茶化してくる。

「そんなことないよ」

「いやいや、さすがっすよ。で? 鮎原くんは前回の授業中どこに?」

「そりゃ……黒だよ」

「かっけ〜、今度の昼にでも俺たちと一緒に食べようぜ。ほら、同じ黒谷さんファンとして? 俺らも聞きたいこと山ほどあるし」

「気が向いたらな」

「え〜」

 再び後藤に怒られるのは嫌だったのでそこそこで切り上げて、俺は授業に戻った。



『(黒谷)ありがと』

『(鮎原)帰りの肉まん奢りね』

『(黒谷)笑』

『(鮎原)嘘、元気そうでよかった。肉まんはじゃんけんしようぜ』


 俺、教師にとんでもない理由で歯向かう……なんて恐ろしく馬鹿げたことを普通にやっている自分が高校生として成長したのか、退化したのかわからないまま授業を終えた。

 昔なら「サボってるくせに教師に歯向かうなんて馬鹿のやることだ」なんて言っていたはずだし絶対に正しいことではなかったけれど、好きな子のために教師に歯向かう……なんてひどく高校生らしい。

 親呼び出しになるか、最悪停学かも……。まぁでも後悔はない。



「起立、礼、着席」


 日直の号令に合わせて頭を下げて座り直す。チャイムが鳴ると同時に後藤はそそくさと出ていくとクラス中はさっきの俺の話題でいっぱいになった。

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