第31話


「どうして、黒谷さんが?」


 食卓に並んだ少し豪華な食事、母さん特製の唐揚げとポテトサラダ、副菜もいくつかあってなんだかテンションが上がる。給料日のすぐ後だと、彼女はこうして豪華な食事を作ってくれるが……、今日はなぜか黒谷さんが我が家の食卓についている。


「さっきお買い物い行く時バッタリ会ってね。今日は美香さんが夜勤だっていうからご一緒にと思ったの。ふふふ、食べてくれる人が増えるとお母さん、気合がはいちゃったわ!」

 なんだか楽しそうなので良かったということにしておこう。もちろん、黒谷さんの方も笑顔だ。

「ふふふ、おばさんありがとうございます」

「いいえ〜、そうだ。ニコちゃんから聞いたわよ。アンタ、調理実習するんですって?」

「あ〜、うん。まぁ」

「しかもおばさん、私と空君同じ班なんですよ」

 熱々の塩唐揚げを齧りつつ俺も相槌を打つ。

「あらまぁ、空。アンタ頑張りなさいよ」

「わかってるよ、って言ってもまぁうん。なんとか」

 調理実習で何を頑張れというのだ……。油はねする系は俺が担当するとか? そもそも青椒肉絲ってどうやって作るんだろうか。

「いただきます〜」

 黒谷さんは元気よく手を合わせると、醤油味のほうの唐揚げにかぶりつく。

「どうぞ〜」

「おばさん、おいひいですっ」

 満足げな母さんと本当に美味しかったようで夢中で頬張る黒谷さん。なんだが、微笑ましい光景だな。

「そういえば黒谷さん、料理苦手って言ってたけどあれガチ?」

「え〜、本当はそこそこするんだけどあぁいう場所で料理が得意って言うと色々押し付けられちゃうでしょ?」

「さすが、策士は違うねぇ」

「空君こそ、本当に料理しないの?」

 母さんが横でため息をつく。

「俺は、本当にしないかも」

「困ったことにお手伝いすらあんまり任せられないわ。お米に洗剤いれて洗おうとしたことがあるくらいよ」

 それは小学生の時の出来事であるが自分で考えても阿呆すぎて恥ずかしい。しかもそんな醜態を黒谷さんに聞かれてしまうのはもっと恥ずかしい。ぐっと顔に血が上がってくるのを感じて水をごくっと飲み干した。

「母さん、それ小学生の時の〜」

「空君、お手伝いはしないとね〜?」

 黒谷さんはクスクスと笑うと俺を茶化し、母さんと目配せをする。

「はい、精進します」

 いつもは静かな鮎原家の食卓に楽しそうな笑い声が響く。



***


「じゃあ、ニコちゃん。またいつでも食べにおいでね」

「おばさん、ごちそうさまでした」

「いいえ〜、空。ニコちゃんをお家まで送ってあげなさい」

「はいはい」


 玄関から出ると夜風が生ぬるくて、上着をきて出たことを少し後悔する。黒谷さんの方も同じ気持ちだったのか

「湿っぽいね」

 と呟いた。

「いつも、母さんとも別々で夕飯食べるからさちょっと楽しかった。ありがとう」

「えぇ? そうなの?」

「うん、仲が悪い〜とかではないけどお互い別の番組見ながら食べたり時間が合わなかったり」

 心なしか、エレベーターホールまで歩く足取りがゆっくりになる。俺はもとい彼女もまだ少し話し足りないようだった。とはいえ、親がいないとわかっている黒谷さんの家に上がり込むのも気がひけるし、何より母さんに変なことを勘繰られるのも嫌なので素直に送るだけにしよう。

「お父さんは単身赴任なんだっけ?」

「あぁ、うん」

「じゃあ、空君がちゃんとお母さんを支えなきゃだ。だめだぞ〜、たまには料理もしないと」

「俺がいても邪魔なだけだよ」

「最近は料理が作れる男の方がモテるしね?」

「へぇ〜」

 わざと興味なさそうにしている俺を見透かしたのか、彼女がくるっと振り返りこちらを見つめる。

「私も、料理男子の方が嬉しいかも? ほら、彼氏や旦那さんと一緒に料理するのって多幸感やばくない?」

 ポチッとエレベーターの呼び出しボタンを押す。

「うーん、俺は別に?」

「へぇ〜そうなんだ。一緒に買い物したりデートしたりさ、そういうのの延長線。2人でワイワイしながら料理して〜出来上がったものを食べて……よくない?」

「それって俺に調理実習サボるなってこと?」

 エレベーターに乗り込むついでに彼女の方を見るとやけに顔が赤くなっていた。その表情が女の子っぽくて俺までドキドキすると同時に変な返答をしてしまったことをとても後悔する。

「そ、そうだね。空君がサボらないようにするため」

「サボらないよ、奇跡的に知り合いばかりだし。俺が休むと秋田さんにも迷惑かけちゃうしさ」

 秋田さんのことだからなんとかしてくれるだろうが、彼女にはあまり迷惑をかけたくない。

「モカっち?」

「うん、秋田さん。下に弟妹がいるらしくてさ。頑張ってるって話してたから、まぁ下手な迷惑はかけたくないんだよな」

「へぇ〜、モカっち妹系なのに実はお姉ちゃんなんだ」

「らしいよ。頑張っていい成績取ってお金をかけずに大学に行きたいんだと」

「みんなちゃんと将来のこと考えてるんだねぇ」

 エレベーターのボタンを押して、黒谷さんを先に下ろす。その後、俺もエレベーターからおりた。

「秋田さんと話してたら、高校辞めてフリーターなんて思ってた自分が恥ずかしくなったよ。ちょっとだけな」

「ふーん」

 黒谷さんはツンとそっぽを向くと自宅の方に向かって歩き始めた。エレベーターホールから歩いて少し、すぐに彼女の家の前に着く。

「猫のソラくんによろしく」

「会ってく?」

 本当は会っていきたい気分だが、辞めておこう。

「ううん、今度親御さんがいる時にするよ。ほら、一応俺も男だし……さ?」

「いいのに……空君なら」

「またそんなこと言って、俺だって——」

 と冗談を笑おうとして、ぴたりと時が止まる。どうせいつものように俺を茶化してるんだろうと思ったが、彼女の顔は少し赤らんでいて恥ずかしそうに下を向いた目線がやけにいじらしい。

 彼女が俺を家に上がり込ませた先に想像する「何か」はきっと俺が冗談にした男女的なアレコレなのかもしれない。

「あがって……く?」

 きゅっと服が引っ張られて、心臓がどきんと大きく跳ねる。

 本音を言えばもう少し彼女と一緒に過ごしたい。その先に何か……あるかないかは別にしてもだ。 

 けれど、と同時に怖気付いてしまう自分もいることに気がついた。友人ですらできたのは初めてに近いのに、それよりも強い関係性を結ぶことになったら?

 いやいや、そんなのはただの俺の自惚か……?

「いや、その……黒谷さんのお母さんはいなくても俺の親は2人でいることに気がついてるから……」

 と訳のわからない言い訳が口から飛び出して、俺は死ぬほど恥ずかしくなる。今すぐ階段を駆け降りて逃げ出したい。

 まるでそれじゃあ、俺と黒谷さんが親のいないところで何か悪いことするみたいじゃないか。何か、挽回しなくては。

「そ、そうだよね? ごめん。送ってくれてありがと?!」

 黒谷さんは柄にもなく慌てた様子で玄関をあけると部屋に入り、お手にパッと手を振ってからドアを閉じた。



——まじか……


 俺は不規則に鼓動する胸をぎゅっと抑えながらゆっくりとエレベーターホールに向かった。


 

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