第28話


 子供の頃、公園のベンチで眠っているサラリーマンを見て不思議に思ったことがある。あのおじさんはどうして何もない公園でただ座っているんだろう?

 小学生の頃の俺には全く検討もつかなくて、ただ暇なのかとか居場所がないのかとか色々と勘ぐっていた。

 けれど、今はあのおっさんの気持ちが良くわかる。


——公園のベンチ最高かよ


 背もたれがしっかりと硬く、座り心地は悪いのに最高の日当たりと程よい日常音が中和する。目を閉じてゆっくりと顔を上げれば、気ままな野良猫になったような気分になる。

 幸か不幸かベンチが硬いせいで熟睡はできないのでうとうとと気持ちの良い浅い睡眠が続く……。


 あの時、見たおっさんと俺が違うところといえば、俺が高校生であることと俺の膝の上には可愛い女子高生が頭を乗っけていること……だろうか。

 

 俺の膝枕で熟睡してる黒谷さんは何やらもにゃもにゃと寝言を呟く。呑気に夢でもみているのだろうか。彼女の頭や首が当たってる部分がほんのりとあったかく、少しだけくすぐったい。

 男に生まれた以上、膝枕は「される側」であり「する側」になるなんて思っても見なかった。いや、カップルになるとこういうことはあるのだろうか? 俺と黒谷さんはカップルでもないんだけど……。


 少しの重みと優越感に浸っていられるのもせいぜい30分程度だった。徐々に足先の感覚がなくなり、ふくらはぎや太もも、尻がビリビリと悲鳴をあげる。すやすや眠る黒谷さんを起こすのも気が引けるが、俺の足はあとどのくらい持つだろうか。

 少し足を動かそうにも感覚がなくて足の指を動かせない。


「でもなぁ……」


 もう一度、黒谷さんのふやけた寝顔を見てやろうと見下ろすと、パチリと目があった。


「起きてたの?」

「だって、空君もぞもぞするんだもん」

「いや、足、もう感覚ないんですよ」

「じゃああと1時間」

「勘弁してくれよ」

「じゃあ、学校やめるの夏休みまで待ってよ。そしたら退いてあげてもいいよ?」


 ニヤリ、と黒谷さんが微笑む。

 まさか、そんなことを今更引き合いに出してくるなんて。

 

「学校行っても別になんの意味もないだろ。同級生もガキっぽくてついていけないしさ」

「じゃあ、私はガキなんだしもうちょっと膝枕してよ。ね? おにーさん」

 皮肉っぽくいうと、彼女は口角をきゅっとあげて見せた。

 なんて傲慢、なんて自分勝手。それなのに許せてしまう愛嬌のある笑顔と芯の強そうな眼差し。これぞ、彼女が「猫系ギャル」と呼ばれる所以だ。わがままなのになぜか目が引かれてしまう不思議な魅力……。俺もそんな彼女に魅了されているのである。

 あと1時間かと半ば諦めて、ぼぅっと彼女の顔面を眺めていたら、突然起き上がって俺の膝をぽーんと彼女が叩いた。

 その瞬間、びんっと俺の足全体に痺れが広がる。尋常じゃないジリジリとした痛さにうぐぐっと腹の奥から変な音が出てしまった。


「いった……」


「変な目で私のこと見るからだよ〜。ちょっと待ってて」


 人の気も知らず、ベンチから離れると公園の奥の方へと走っていく黒谷さん。スクールバッグはベンチに置いたままだからそのうち帰ってくるだろう。にしても、両足が動かない。痛い。

 平日の午後2時。クラスのみんなは今頃、死ぬほど眠たい数学Aの授業中だ。俺はガクイチの美女と公園でのんびり日向ぼっこ。足は痛いけど。


「はい、お礼」


 俺の足に血が通い始めてやっと動けるなと思っていたら、いつのまにか戻ってきていた黒谷さんが俺に「ねぇ」と声をかけた。


「どっちがいい?」


「ん?」


 手に持っていたのは公園の自動販売機で売っている炭酸ジュースだった。


「オレンジとコーラどっちがいい?」


「って、どうせ黒谷さん好きな方を選ぶくせに」


「珍しく正解」


 はい、と手渡されてたオレンジ炭酸のタブをプシュッと開ける。彼女は俺の隣に腰をおろすと、バッグの中から持参のストローを取り出してコーラを飲み始めた。

 なぜストロー、しかも持参。まったく、何を考えているのかさっぱりわからないな。でもそんなよくわからないところも俺が彼女を気になっている理由の一つだったり……。


「なぁに? ジロジロみて。コーラがよかった?」


「いいや、なんでストローなのかなって」


「なんでだと思う?」


「えっ、知覚過敏とか……?」


「うっそ〜、まじ? マジで言ってるのそれ? は〜、これだから男子はって言われちゃうよね」


「正解は?」


「よーく私の顔を見てよ、そしたらわかるからさ」

 

 コーラを持ったまま、彼女はこっちに向き直るとじっと見つめてくる。綺麗に切り揃えられたぱっつんの前髪、黒くて長い髪は耳にかけられている。ピアスは結構多くつけられていて……メイクはきゅっとつりあがったアイラインにたくさんのキラキララメ。

 コンタクトはグレーでクールな感じ。猫系と言われるだけあって猫っぽい顔。可愛い、綺麗。


 ダメだ。何もコーラとつながらない。いや、気まぐれな黒谷さんのことだし「私がストローの気分だった〜」だとか「色が好き」みたいな理不尽な理由かな。


「気分だった……? とか?」


「ぶっぶ〜」


「え〜、わからん」


「正解は、リップが落ちるからでした〜」


「あっ、そうか」


 今日の彼女はピンク色の可愛い唇がラメでキラキラと光っていた。そうか、缶ジュースだとリップが落ちてしまう。ギャルでいつもメイクをしている彼女は、飲み物を飲むときに化粧が落ちないためにバッグにストローを入れてるってわけか。


「はい、膝枕の刑ね」


「えぇ〜」


「いいでしょ、付き合ってよ。もうちょっと」


 コーラをチューっと飲み干すと、彼女はごろんとベンチに寝転がって俺の膝に再び頭を乗っけると瞼を閉じてゆっくりと寝息を立て始めた。文句を言いつつもこの時間が続いてちょっと嬉しい俺もいる。

 

「きっかり1時間だからな」


 寝息を立てる彼女に心の中でそう答えて、俺もそっと目を閉じた。


「学校、辞めるの辞めようかな」

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