第23話
「空君、いらっしゃい」
「すみません、お邪魔します」
「いいのいいの、この前この子を助けてくれてありがとう。晴美さんにはお礼を言えたけれど空君にはなかなか会えなかったから」
今日は仕事がお休みだと言った黒谷母こと黒谷美香さんは高そうなケーキの箱を持ち上げてにっこりと微笑んだ。
マンションへと帰ってきた俺たちをエントランスで待っていた美香さんが結構強引に俺を家へ招いたのだ。無論、母さんには相談済みらしい。俺の母さんのことだから二つ返事で「息子を貸します」と言ったんだろうな。
「ありがとうございます、いただきます」
高そうなチョコケーキにフォークを入れる。上に乗ったラズベリーはとっくに黒谷さんに食われていた。
「どうぞ」
チョコケーキはほろ苦くてクリームはさっぱりした甘さだった。俺はあまり甘いものは得意ではないがこれなら何個でも食べられそうだ。
「空君、本当にありがとうね」
「いえいえ、むしろ俺が寝てて電話に出るのが遅れてしまって……黒谷さんに怖い思いを」
「その日だけじゃないわ、毎日の登下校もよ。ニコもだけど私もすごく助かってるの」
「あぁ、俺も黒谷さんのおかげで毎日遅刻せずに学校に行けてますし、帰り道も楽しいです」
帰り道と言った時、黒谷さんがプッと吹き出した。
彼女は今日の帰り道、見事に賭けで俺に勝って上機嫌なのだ。すれ違う人間の中で男子と女子、どちらが多いかという予想なんか全くできない賭け事だ。
もし、俺が負ければ来週にあるLHRと調理実習に参加する。俺が勝てばそれらをサボることもできるしなんと黒谷さんの彼氏になれる……。俺としては負けたいところだったが……。
「そう、ニコも毎日楽しそうだしありがとう。ゆっくりしていってね」
美香さんがキッチンの方へと戻っていくと黒谷さんはショートケーキを食べつつ、暖かい紅茶に手を伸ばした。
「ニャオ」
黒猫のソラくんが彼女におねだりをしてクリームをひと舐め。満足げに喉を鳴らす。猫はミルクが好きなイメージがあったがクリームも好きなんだな。そういえば、ソラ君は甘党なんだっけか。
「空君、アルバイト結局どうするの?」
「あ〜、誕生日が来たら免許取って新聞配達とかそういう人とあんまり関わらずにできる系かな。俺は黒谷さんみたいにキモい男客に困らされるとかはないだろうけど……接客は向いてないと思ってさ」
「バイクは私も免許欲しいなぁ。夜の移動とか歩くよりは怖くないし。けど新聞配達は朝早くない?」
「逆に夜遅いって感じでフリーターなら寝る前に配って、帰ってきて寝ればいいかなって思ってさ」
「あ〜、でもなぁ〜」
「なんだよ?」
「ねぇね、デリバリーピザ屋さんとかで働くのはどう? 私は内勤でピザを焼く係で〜空君がお届けするピザ屋のお兄さん!」
「それ接客じゃんか」
「え〜でもピザ届けるだけだし良くない?」
多分、レジを打つよりもピザの配達って大変だと思う。玄関までとは言え、客のテリトリーに入るわけだし、スーパーのレジのように困った時にすぐ社員を呼べるわけでもない。むしろ、怖いお兄さんの家で怒鳴られたりクレームをつけられたら……と思うと恐ろしい。
「いや、そしたら俺もピザ作る側がいいわ。って考えるとファミレスの調理場とかいいかもな。接客せず適度に忙しそうで」
「確かに〜」
俺はともかくとして黒谷さんは面接に行っても絶対にホールで働かされるんだろうな。容姿のいい人というのはどうしたって表にでるポジションにされがちだし。学校でも自然と容姿のいい子は写真の真ん中ポジションを取っていたのと同じ原理だ。
「でも、空君は賭けに負けたんだし夏休みまでは学校やめないでよね?」
「うーん、LHRと調理実習は約束通り出るよ。班決めは死ぬほどいやだけどな。流石に賭けに負けておいて逃げるのは違うしさ」
チョコケーキを口に入れる。ふわっと広がる甘さと香りに幸せを感じつつも格好つけて表情には出さないようにする。
「じゃあ、班決めを私がうまいことまともにしてあげよう!」
「なんだよ、急に優しいじゃんか」
黒谷さんは唇についた生クリームをぺろっと舐めると
「だって、まだあの駅前のコンビニの前通るの怖いんだよね。空君がやめちゃうのかな〜なんて思うとなんていうか寂しいし不安もあるし」
黒谷さんはクラスではこんな表情はみせない。くたっと笑うところとか、甘えたような声とか。女の子のギャル相手でも絶対に見せない表情だ。
そんな中でも「寂しい」という時の彼女はひどく綺麗だった。負の感情は美人をより際立たせるなんていうけれど、それは本当のようだ。
——怖がってるのに、俺って最低かよ
「まぁ、やめても駅前くらいまでなら迎えにいくよ。黒谷さんに彼氏がいない間はさ」
「本当?」
「あぁ、どうせフリーターなら暇だろうし。いいよ」
これで彼女は俺が学校を辞めることを止めなくなるだろうか。止めてほしい気持ちと自由にして欲しい気持ちに勝手に板挟みになって心がヒュンとする。
「でも、私はやっぱり同じ高校生として歩きたいなぁ」
「とりあえず、調理実習までは考えておきますよ」
「スキありっ!」
チョコケーキの残り一欠片を奪われた俺は「あっ」と喉の奥から変な声が出た。あまりにも突飛押しもない行動すぎて反応ができない。
いつもクールな彼女がこんな子供みたいな……。
「へへっ、真剣な話してるからだよ〜」
ほっぺたにチョコクリームをつけたまま子供のように笑う彼女はまるで子猫のようん愛らしさだ。
「ったく……」
満足そうに残りのケーキを頬張った彼女を見ながら俺は学校を辞めることを先延ばしにしてやろうかと悩み始めた。
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