第21話


 養護教諭の前川先生は気のいいおばちゃん先生で、職員室に呼びに行くと急ぎの書類を抱えつつ、俺と共に医務室へと早歩きをしていた。


「あらまぁ、秋田さんがねぇ」

「頭は……打ってないと思います」

「うんうん、君は?」

「俺は秋田さんと同じクラスの鮎原です」

「鮎原くんね、あとでちゃんと先生に伝えておくからね」

 前川先生に会うのは2回目であるが覚えてもらえていなかったことに少しショックを受けたが医務室にたどり着いたので俺たちの会話は止まった。


「お待たせしました、秋田さん。大丈夫?」

「あぁ、先生。階段を踏み外してしまって……右足を捻ったのと……膝と両手を打ちました」

「ちょっと見せてね」

 前川先生が応急処置を始めると秋田さんは痛がったり、強がったりしていた。

「とりあえず、まだ腫れはひどくないから湿布を貼って、痛みが続くようなら病院に行ってね」

「はい、ありがとうございます」

「これは俺が持つよ」

「鮎原くん、ありがとう」

 右足首に湿布を貼ってもらった秋田さんに肩を貸しつつ、俺は彼女が持っていたバレーノートの束を持つことになった。


 医務室を出て、かなりゆっくり歩きながら教室へと向かった。片腕でノートと筆記用具を持ちつつ、もう一方の腕は秋田さんがつかまっている。秋田さんはただでさえ小柄で歩幅が小さいのに、今は右足を庇いながらゆっくり歩いている。

「ごめんね」

「いいよ、学校もエレベーターがないのだ悪いんだし」

「そういえば、公立学校ってエレベーターないよね」

「生徒が入れない部分にはありそうだけどな、ほら搬入用とかのさ」

「あ〜、確かに。でもこういう時にエレベーターあるといいな〜って思うけど……」

「ははは、本当だよな」

「いてて……」

「もう着くぞ」

 教室が見えてくると、彼女の力が少しだけ緩んだ。頑張り屋の彼女は「大丈夫」だと言っているがきっと俺が想像をしている以上に我慢をしているのかもしれない。

 自分が一人っ子だから兄弟のために努力するとか、家族を助けるためによりよい場所で働くとか自分にとって何の得にもならない、それどころか自分だけ損をしているとしか思えない。

 秋田さんはそれでいいんだろうか?


 教室のドアを開けると、視線が一気に俺たちに集中する。LHRを仕切っていた学級委員の2人もピタッとこちらを見て動かなくなった。

「すみません、医務室への付き添いをしていて遅れました」

 牧田は教室の後ろに立って学級委員の取り仕切りを見守っていたようだが、俺の発言を聞いてこちらまで心配そうにやってきた。

「何かあったの?」

「あの、私が階段で転んでしまって足を怪我して動けなかったのでたまたま居合わせた鮎原くんに肩を貸してもらっていたんです」

「鮎原くん、席について。秋田さんは私につかまって」

 牧田に秋田さんを任せて俺は席の方に向かうと、持っていたバレーノートを秋田さんの机にそっと置いて自分の席についた。

 黒板の方を見ると「クラスのコミュニケーションについて」という議題が記されていて、次のLHRで何をするかの候補を生徒たちで出し合っていることがわかった。


【自己紹介、レクリエーション、くじ引きランチ】


 どれもこれも俺には地獄の取り組みである。黒谷さんと関わるようになって少しだけ学校が楽しくなったものの、こういうのを押し付けられるのはすごくストレスに感じる。

 自己紹介をしたところで興味のない人間の話なんか誰も聞かないし、仲良くなれない人とレクリエーションやランチをしたところでそれっきりになってしまうのにどうしてそんなことをするんだろうか?


「では、議論の続きをします。いくつかクラス内でのコミュニケーションを活性化する方法について案が出ましたが賛成意見と反対意見はありますか?」

 女の子の学級委員はシンとしてしまった教室を見渡した。いつもは元気なはずのギャルたちもあまり乗り気ではないようで、発言する人はいない。

 それもそうだ、クラス内だけでのレクリエーションなんて喜ぶのは小学校低学年までだ。中学生以上が喜ぶ最高のLHRは「自習」である。

 沈黙が続いて痺れを切らした牧田が

「これからこのクラスで1年間色々な行事をしていくことになります。けれど、今は活発な議論もできない状態で学級委員が仮で出した案にも意見がないということかしら」

 さらに気まずくなる教室。今黒板に書かれている案が「仮」で出したとなると、俺と秋田さんがこの教室に来る前からこんな感じの気まずい雰囲気だったのだと予想だができた。

「先生、無理にレクリエーションやくじ引きなんかでコミュニケーションを測るよりも好きな仲間同士で楽しめる方がいいんじゃないですか?」

 名前は知らないが明るい感じのグループの男子が手を上げて意見した。すると、シンとしていた雰囲気も少しだけ和らいで「確かに」「ランチならそうだよね」と声が上がった。

「それでは、まだ友人ができてない人は楽しめません」

 学級委員の子が反論する。

「確かに、そうかもしれないわね。けれど、あなたたちはもう高校生なんですからこちらで無理強いしなくても友人を作れるのではないですか? だから、先ほどのまでの議論も活発にはならなかった」

 ちらりとガリ勉でぼっちの子たちの方を見ると特段嫌な顔はしていなかった。多分。先生の言うように彼らは無理なレクリエーションよりも遊びたい人だけに遊んでもらって自分達は自習に時間を割きたいんだろう。

 俺も自習はしないが、無理なレクリエーションよりも1人でまったりできる方が良い。サボる必要もなくなるわけだし。

 ぼっちからも陽キャからもそのあと反論意見は出なかった。


「そう……ではこの仮の案は一旦なしにして先生から提案をします」

 牧田は黒板に書いてあった文字を消すとチョークを手に何やら板書を始めた。


【調理実習 班決め】


 牧田は少し残念そうな低いトーンで


「来週のLHRでは私の家庭科の授業で実施する調理実習の班決めをしようかと思います。元々は出席番号順で4人組にする予定でしたが、少しこのクラスの状態は深刻な気もするのでそうね……4人組をそれぞれ作ってもらおうかしら」


 どうやら、クラスの全員が思っていたのとは違う方向に自体は転んでしまったようだった。




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