第13話
『(黒谷)うちは907だよ〜』
『(鮎原)了解』
俺の家は301号室なので結構離れている。マンションにはエレベーターが2機あって俺が使うのは西側のエレベーター、907の黒谷さんが使うのは東側のエレベーターのはずだ。
となれば今まで黒谷さんと俺がマンションで鉢合わせなかったのも当然だろう。
マンションの前に着くと俺は普段は使わないオートロックのインターホンボタンを押す。黒谷さんから聞いた部屋番号を押すと若い女性が「はーい」と返答してくれた。
「301の鮎原です。ニコさんにプリントを届けにきました」
「あら、君が空くんね。どうぞ、部屋の前までいらして」
黒谷さんのお母さんだろうか。俺はインターホンにお辞儀をすると、開いてもらったオートロックドアをくぐり、マンションの中へと入った。普段は使わない東側のエレベーターに乗り9階のボタンを押す。
子供の頃から人望のなかった俺はこういうものを誰かの家に届けるのは初めてだ。というか、同級生のしかも女子の母親にわざわざ会いに行くというのも初めてかも知れない。
考えれば考えるほど緊張してきて、足取りが重くなる。けれどすぐに907のドアの前にたどり着いてしまった。
震える指先でインターホンを押す。
「はぁ〜い」
さっきと同じ女性の声がして部屋の中から足音が響く。すぐにガチャリと鍵を開ける音がした。
ドアが開きひょっこりと顔を出したのはとても綺麗な女性だった。黒谷さんのお姉さんだろうか。
「うちの娘がごめんなさいねぇ。ニコ〜! 空君きてくれたわよ」
目の前にいる彼女が黒谷さんの母親だという事実に俺は心底驚いた。あまりにも若いし、世間一般の高校生が想像する「母親」とはまるで違う……まるでドラマで若い女優さんが母親役をやっているような違和感だ。
「あっ、空君。ありがと〜」
「ナーオ」
部屋の奥からやってきた黒谷さん、彼女が抱っこしている黒猫が可愛らしく鳴いた。黒谷さんと猫の顔があまりにも似ていて笑いそうになる。
「空君、よかったらあがっていって。ちょうど駅前でね、クッキーを買ったところだから」
黒谷さんのお母さんの笑顔に逆らえず俺はお言葉に甘えてあがらせてもらうことにした。
「お邪魔します」
俺がドアを閉めると黒谷さんが抱っこしていた猫を床に下ろす。猫は一目散に俺のところに寄ってくると尻尾をピンと立てて俺の脛あたりの匂いを嗅いだ。
猫を怖がらせてもいけないし、一旦靴を脱ぐのを辞めて固まる俺。黒谷さん母娘は笑顔で見守ってくれていた。
「やっぱり、ニコの言うように似てるわねぇ」
「でしょ?」
猫のくんくんが終わるまで動けない俺は2人の表情を見て不思議に思う。
「えっと何が似てるんですか?」
「ニコがね。クラスに猫ちゃんみたいな男の子がいる〜って話してくれたのよ。しかも、名前までおんなじだって」
微笑ましく語る黒谷母の後ろでニンマリする黒谷娘。なるほどね……だから頑なに飼い猫の名前を言わなかったわけか。
「ソラくんって言うんですね?」
そっとしゃがんで人差し指を立てると黒猫のソラくんはクンクンと匂いを嗅いでゴツンと俺の人差し指に頭突きをした。猫の頭突きは信頼の証なんて聞いたことがあるが、実際にされると結構嬉しい。もふもふというよりはサラサラの絨毯みたいだ。
「かわいい……」
俺がおでこを撫でようとするとくるっと振り返って猫のソラくんは部屋の奥へと歩いていってしまう。あぁ、懐いたように見せてお触りはダメだったようだ。
「さ、あがってあがって」
黒谷母に急かされて、俺は靴を脱ぐとスリッパに履き替えた。黒谷さんの家はすごく綺麗に整理整頓されているが所々「平成ギャル感」のあるインテリアが目立った。でかい花柄のカーテンとか、白いもっふもふのソファーとか。
「うちのママ可愛いでしょ〜」
と黒谷さんは俺の隣に座ると自慢げに言った。人の母親に「可愛い」だなんて思っていても失礼に当たるような気がして言えないような。
「あぁ、お姉さんかと思った」
「だって〜ママ〜」
キッチンの奥から「うふふ」と嬉しそうな声が聞こえた。
「ママはね、17の時に私を産んでるんだよねぇ。だから結構若いのかも?」
家での黒谷さんは学校とは雰囲気が少し違う。学校では1枚仮面をかぶっていて、それを脱いで本来の彼女が少しだけ見えたような気持ちになる。
「17歳? 俺たちとあんまり変わらない年齢で子育てってすごいな」
「だよね、私も全然想像つかないや」
「あら、そう? はい、クッキー食べてね。飲み物は牛乳でいいかな?」
綺麗なお皿に盛り付けられたクッキーにテンションが上がりつつ、俺は黒谷母に礼を言った。17歳で黒谷さんを出産ってことは今は32歳くらい……うちの母親より10歳近く年下か。そりゃお姉さんに見えなくもないか。
「ありがとうございます」
ホットミルクをいただきつつ、美味しいクッキーを一つ頬張った。こんなふうに同級生の家に招かれるのは初めてだ。そもそも女子の家というのも初めてじゃないだろうか。
「ナーオ、ナーオ」
いつのまにか俺と黒谷さんの間に入り込んでいた猫のソラくんが大きな声を出した。俺の膝に前足を乗せてキラキラした顔で俺……ではなく俺の持つクッキーを見つめている。
「あっ、ソラ〜だめよ。この子、クッキーとかバターっぽい匂いの甘いもの好きなんだよね」
不本意に抱き上げられた猫のソラくんは「ニ”ャ!」と手足をばたつかせた。かわいそうな気もするが、猫は人間のものを食べるものよくないし仕方ないのか。
「猫って魚のイメージあるけどな」
「ソラくんは甘党なんだよね。猫は甘さ感じないらしいんだけど」
「おもしろ」
「ねっ。そういう意味不明なところもニャンコのいいところなんだよね」
柔らかく笑った黒谷さんはやっぱり学校とは全然違う。双子の妹なんじゃないかと思ってしまうほどだ。
猫のソラくんが諦めてキャットタワーの上に登っていくのを見守り、黒谷さんはもう一つクッキーを齧った。
「あら、物騒ねぇ。ニコ、アルバイトの帰りはママに連絡ちょうだいね。学校からは少し離れているけど万が一のことがあったら危ないから」
俺が届けたプリントを読んで黒谷母が心配そうに頬に手を当てる。俺は黒谷家にお邪魔してすっかり忘れていたが、この辺の治安の状況が良くないことを知らせるためにここへきたんだった。
「うーん、バイトは私服で通おうかな」
「そうしなさい、空君も気をつけてね。アルバイトはしてるんだっけ?」
「いえ、まだです。けどそのうち探そうかと」
「そっかそっか、いやねぇ制服で子供を狙うんなんて。ニコ、アルバイトは私服で行くとして学校帰りも気をつけるのよ」
俺も他人事ではない話だ。今のところ、男子はボコられる感じだし……。とはいえ、最終下校まで残ることもなければみんなが下校している時間に学校の最寄りまで歩くだけなので安全ではあると思う。
「じゃあ、しばらくは空君と一緒に帰ってこようかなぁ〜?」
黒谷さんが俺を覗き込んでニンマリと微笑む。
「俺がいても何の力にもなれない気がするけど……」
むしろ、カップルだと間違われて大変な目に遭う盛大なフラグな気がしてならない。制服で高校生を襲うような輩は可愛い女の子と目立たない男子の二人組を見つけたら絶対にターゲットにするはずだ。
——ピンポン
インターホンがなって、黒谷母が玄関へ向かう。廊下の奥、玄関の方から俺の母さんの声がした。どうやら黒谷母が俺を家にあげるのに俺の母親が帰りが遅いと心配しないように連絡を入れていたらしい。
「ママたち喋ってるね」
「うちの母さん、しゃべるの大好きだからさ、あはは」
「さっきの一緒に帰る話……いいよね?」
「えっ、俺は別に……」
玄関の方でも同じ話題を話しているのが聞こえた。あぁ、このままだと母親からの命令で黒谷さんを護衛することになりそうだ。いや、俺じゃ何の役にも立てないような気がするけど……。
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