第10話


「私、駅前のコンビニでバイトしてるんだよね。17時〜22時ってシフトで」

「そうなんだ」

「うん、学校の最寄りじゃなくて家の最寄りだから学校からは少し遠いわけ。んで、21時ごろかな。なんと後藤がやってきたの」

 寝転がりながら話していると自然と小声になる。黒谷さんの囁き声がなんだが少しいつもとは違って俺はドキドキしていた。

「まじか」

「うん、でね。私はフライヤーの洗い物をしてたからおとなしい感じの女の先輩がレジをしてくれて裏には店長がいるって感じだったんだけどさ」

 コンビニって洗い物もするんだとかどうでもいい感想を抱きつつ、俺は相槌を打つ。

「んで、後藤はビールとおつまみ的なのを持ってレジに来たわけ」

「あの先生、酒飲むんだ。めっちゃ意外だな」

「でしょ? でさ〜、コンビニってお酒とかタバコ買うとどんなお客さんでもタッチパネルで未成年じゃありませんっていう表示の『はい』を押さなきゃいけないわけ」

 俺は酒を買ったことがないからわからないが、確か並んでいる時に何度か見たことがある。レジの機械の客側に画面がありそこに同意画面的なのが表示されるのだ。

「わかるよ、見たことある」

「でね、先輩が同意をお願いしたら……後藤のやつ『わしを未成年だと思ってるのか!』って怒鳴り出して先輩泣いちゃってさ」


 まるで笑い話のように黒谷さんは言ったが、俺は彼女の話の中の後藤を想像できなかった。生徒たちに優しく授業をし、かつ冷静で温和な人だと思っていたが……まさかコンビニレジの若い子にブチギレるおっさんだったなんて……。


「まじ? 信じられないな」

「私もそう思ったけど、ガチ。たかがタッチするだけだよ? 顔真っ赤にしてブチギレてその後店長が出てきても説教垂れてた」

「それはやばいな」

「大人を舐めるなとか、客を動かすなんて店員の分際で〜とかほんとやばかったんだから」

「普段あんなに冷静な感じなのにな。教師ってストレス多いのかな」

「まぁ多いだろうなぁ」

 俺はごろんと手を伸ばしてため息をついた。黒谷さんは俺の方を向いて体を横にする。

「後藤のやつ、それなのに『社会で通用しませんよ〜』とか『社会はそんなに〜』っていうじゃんね? でもさ、レジで若い子に怒鳴ってるあいつ見て思ったわけ。本当に社会を知らないのはどっちだって」

 彼女が横向きになっているせいで距離が近い。俺は天井を見ているが、彼女の視線を感じて思わず唾を飲み込んだ。

 緊張しっぱなしを俺を見て楽しむように彼女はフッと短く息を吐く。俺はたまらず返事を急いだ。

「どういうことだよ、それ」

「後藤ってさ、教師一筋って言ってたじゃんね?」

「あぁ、ここは公立だからつまり地方公務員だろ?」

「うん、そうだね。だから、本当に社会を知らないのは後藤の方だな〜って思って」

「なんで? ずっと働いてるんだぞ?」

 彼女の言っている意味がわからなくてさっきまでのドキドキが半減し、思わず半身を起こした。

「ずっと働いてるからこそだよ」

「ええ? 黒谷さん、意味がわからないよ」

「つまりさ、後藤のやつは教師っていう狭い世界で何十年も過ごしたわけでしょ?」

「うん、すごいことだと思うよ」

「まぁそれはすごいかもだけど。あいつが語る社会っていうのはあくまでも『教師をやっている人間の知っている社会』であって私たちがこれから生きていく社会じゃないかも知れないってこと」

「なんだよ、屁理屈じゃん」

「あ〜ひどーい」

 再び仰向けになるとぐっと伸びをしてあくびをする。黒谷さんはまるで日向ぼっこをする猫みたいだ。

 彼女には屁理屈だなんて言ったけど、彼女の言い分には一理あるんじゃないかと思った。生徒たちに社会を解いている教師がコンビニで若い人に当たり散らして説教するような人間だなんて誰が想像つくだろう。

 もしも、後藤が少しでも接客業に身を置いていたらこんなことにはならなかったんじゃないかなんて思ってしまう。どうしようもない店の仕様で怒鳴られる店員の気持ちを彼が一瞬でも想像できたならそんな行為はしなかったはずだ。そもそも、コンビニで怒鳴り散らしてもタッチパネルで合意を取る制度は変わらないし、気に食わないことがあった時に怒鳴るという行為は彼のいう『社会では通用しない』に値するんじゃないだろうか。


「まぁ、単純に後藤がやばいやつだったんだろ」

「そうかも? まともな教師はいるしね〜」

「でも確かに、これ聞いちゃうとアイツの『社会では〜』ってのが説得力ゼロだな」

「あはは、まじそれ。社会で一番嫌われるのはコンビニで怒鳴るおっさんじゃない?」

「正解」

 いつのまにか俺も彼女と同等に会話に参加して笑う。学校で友人とこんなふうに話すのはいつぶりだろう? しかも、相手は女の子だ。

「今ごろ、私たちのことも社会では通用しない人間だ〜とか言ってるのかな」

「かもな」

「空君と話すの楽しいから、学校辞めないでほしいな〜?」

「サボらせといてどういうことだよ、ったく」

 黒谷さんはクスクス笑うと仰向けのまま目を閉じる。俺も彼女につられるように寝転がると目を閉じた。

 日の光が顔に当たりぽかぽかと温かくなる。寝転がることで畳の香りがより豊かになるとともに、近くにいる黒谷さんのせっけんの香りもふわりと漂う。幸せな空間で俺はそっと目を閉じる。

 サボるのは悪いことだ。中学校時代にサボっているやんちゃな生徒を見て俺は「馬鹿だ」「ガキだ」と心の中でこき下ろしていたが、サボることは学校生活を楽しむという意味では正解だったのかも知れない。

 この後、教師に怒られるだろうし最悪親にも怒られるかも知れないけど、俺は今すごくすごく学校が楽しくて幸せだ。


——ぽふっ


 黒谷さんが寝返って、俺にそっと寄り添った。すやすやと聞こえる寝息、彼女の髪から香るシャンプーのラベンダー。密接した部分がじんわりと温かくなり、俺も眠気へと誘われた。


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