第四夜 シュワキ・マセリ

 そうだ。ビンタされたら思い出した。


 あの日、那須さんは休み時間に席を外してて、ウコブが最後に施錠しようとしたところで駆け込んできたんだ。

 ウコブは那須さんが教室から出てくるのを待って施錠した。


 そんで那須さんと一緒に会話しながら小走りで化学室に向かいたかったんだが、次の廊下の角を曲がろうとした時に背後から声を掛けられて……。


 おう、思い出した。犯人はウコブ君じゃねぇよ。

 最後に教室に入った奴がいる。

 そいつが那須さんの体操着を盗んだに決まってる。

 さぞかし不純で不愉快で不躾で不届き者な男子生徒なんだろう。


「ねぇ、ちょっと鍵を貸してよ。あたし忘れ物しちゃった」

 うん、そう。声を掛けてきたのは同じクラスの山野辺やまのべ……って女子だな。


 女子どうしが体操着を盗んだりするか?

 実は百合とか?

 違う、ホントは闇サイトでJKの体操着とか言って販売してネットで荒稼ぎしてるんだろう。そのための窃盗か。とんでもない話だ。



 改めて記憶を整理しよう。

 その時の俺は鍵を山野辺に貸して、そのまま化学室へ移動した。

 那須さんはその間に一足先に化学室に向かってた。


 でも山野辺は近道だが校長室や来賓室があるせいで生徒が近寄りにくいフロアをショートカットしたらしく、まんまと俺より先に着いてたんだ。

 一方の那須さんを追ってた俺は、彼女が化学室に向かう後姿を発見した。

 そしたら那須さんの前からは別の角を曲がって来た山野辺が現れて。


「はい、鍵サンキュー」

 あいつは俺に向かってキーホルダーを投げ渡し、他の連中が先に待ってた化学室に雪崩れ込んだって訳だ。


 なるほど、アリバイ工作も成功するし、校長室がある西館の階段や渡り廊下を使用すれば犯行時間を稼ぐ事も可能だ。

 つまりそう言う事だったんだろう。



「!あてこつ、エテブス、青ざん」

――nazowa subete toketa!――


「はあっ? あんたケンカ売ってるの? 那須ちゃんのカバン漁って体操着を盗もうとしてるキモい奴にブスだの言われる筋合い無いんだけど。那須ちゃん先生呼ぼう」

 おっとヤバい。

 今は山野辺に鍵を貸すタイミングだ。

 しかも過去が書き換えられて、俺がビンタされて倒れてる教室に山野辺が入ってきたんだった。


 いかんなぁ、まずはこの状況を打破するためにまた巻き戻さないと――。



~~~



「ねぇ、ちょっと鍵を貸してよ。あたし忘れ物しちゃった」

 そうそう。こんな風に声を掛けてきたのは同じクラスの山野辺やまのべ


 俺が目を開くと、廊下の角まで来ていた。

 そして背後からは山野辺の声。

 俺が立ち止まると小走りの那須さんの神々しい背中がどんどん遠ざかる。

 今まさに化学室に行こうというタイミングだ。


 よし、そうと決まれば山野辺、こいつを監視しよう。そうしたら那須さんの体操着も無事に違いない。


「俺も、いく」

――uki omero――


 こんくらいの短文なら逆再生くらい余裕だ。ちょっとカタコトだったけど。


 山野辺は俺の監視があることに内心焦っているんだろう。

 犯行は行われず、黙って自分の机から大学ノートを手に取った。


「サンキュー。さっ、早くいかないとキレられるよ」


 そう言って山野辺は俺を置いて出て行った。

 さては次の犯行に向けてアリバイ工作の予習の時間だな。

 しかし、男の俺の脚力なら大丈夫だ。

 オマケにあいつのショートカットコースも理解している。


 教室を施錠した俺は、西館の渡り廊下を目指して駆け出した。

 そんで来賓室と校長室をやり過ごす。

 その次は教員室、そして非常勤の講師室だ。

 背を丸めてコソコソと走る俺の前に、いきなり担任の先生が教員室から出てきた。


「お前、さっき体調が悪いと言っていたろう? 大丈夫なのか? 化学の大山先生にはお伝えしておいたから医務室で休むか?」


 ん? 俺そんなこと言いましたっけ?

 この日の俺は体調悪かったのか?

 少なくとも今はすこぶる元気だけど。

 とりあえず適当な事を言って流しておこう。


「うすぇでぃけぇふ!」

――heiki de-su――


「まぁ薄着なら大丈夫なんだな。あまり無理するなよ? あと廊下は走るな」


「うい」

――iu――



 まぁなんやかんやあったが、南館の少し先で山野辺に追いついた。

 一方の正規ルートから攻略した那須さんが遅れて化学室にやってきた。

 あの時とは逆の視点、俺と山野辺の正面から那須さんが来たって訳だ。


 ふむ、犯罪を未然に防いだし、俺は那須さんよりも前にここに居るということで俺自身のアリバイまで成立してしまった。オマケに前回の那須さんのビンタも無かった事になった。全く自分の才能に恐れ入るよ。


 これで、那須さんの体操着事変は歴史から消えたはずなんだが――。



「うそっ! あたしの体操着が無くなってる!」


 その声を皮切りにクラス中が騒然となり、全生徒がある一人の女子を見た。

 声の主は那須菜々美さん。

――って、どういうことだよ、おい!

 歴史は書き換えられたんじゃないのかっ!?


 あらら~、那須さん三度目の半ベソだよ。

 そりゃそうだよな。俺だって苦労が水の泡で泣きたいもん。

 そのうち担任の先生が来た。


「那須の体操着はいつまであったんだ?」

「今朝はちゃんと家から持って来たんですけど……」

「あと、移動があったのは化学だったな」


 すると那須さんと担任の会話に、山野辺が割り込んできた。

「そう言えば今日の日直が一番最後に教室を出たと思います」

 

 山野辺は俺を軽蔑しきった顔で指差してきやがった。

 お前だって忘れ物してここに居たくせに、俺に無実の罪を着せるつもりかよ!


「!オラでぃ姉買うむすぅん、イグぅ推しあとぅ、おん、那須さんあぐエロ! えぼナマゅ」

――yamanobe! orega nasusan no taisougi nusumuwakenaidaro!――


「ほらセンセっ! こいつ那須ちゃんのことエロい目で見てるっ! 早く警察に通報して退学させてよっ!」

「よしよし、わかった。山野辺も落ち着きなさい。皆の前で悪かったな。いったん私と教員室に行こう」


 なんとなく優しい手指さばきで廊下を掌で示す先生。

 いや先生、刑事ドラマのエンディングじゃないんすから!

 俺は無実なんっすよ!


 完全に俺が疑われてるコースまで一緒じゃんか!

 そこでまた那須さんに放課後、通用口でビンタされたら、たまんねぇよ!

 ちくしょう、何が巻き戻りだよ、ミスターローレンスめ!

 どう見たって俺にバッドエンドコースしかない詰みゲーだろ!

 ダメだ、早く巻き戻れ!



~~~



「どうした? 体調が悪いって?」

「オレ、具合悪イッス。休ンデテモイイデスカ?」


 どうせならさっきの違和感も含めて全て事実にしてしまえばいいんだ。

 しかもちゃんと逆再生しても会話できるように、事前に先生に伝える発言を書き出しておいたんだよ。この台本のおかげでいくらかは会話もスムーズに行くはずだ。

 どうしてもカタコトになっちゃうのはしょうがない。


「あぁ、そうしたら医務室のベッドで横になってなさい。それとも早退するか?」

「教室ノ机デ仮眠シタラ楽ニナルト思イマス」

「何を言ってるんだ。そんな事したら風邪が酷くなるだろう。医務室のベッドが空いているか村木先生に聞いておくが?」


 村木サンってのは医務室に居る養護教諭のこと。 

 ダメだ。医務室で休んだら。

 俺がきちんと教室内を監視して犯罪が消えるまでの歴史を見守らないと、永遠に俺の容疑も無しにならないじゃないか。

 それに交互に来る美人の井上先生と違って男の教諭だから楽しくないもん。

 ここは一旦、引いておこう。


「……平気デース」

――うすぇでぃけぇふ――


 俺は途端に猛烈元気アピールをしながら担任に軽く会釈して教員室を出た。


 あぁヤバい。もうじき三限の予鈴が鳴る。

 また悪夢の再開だよ。

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