11:探偵と呪殺屋2

 自分と別れたあと、名も知らない少女は、陵女学院の最寄り駅とは反対の方向に歩いて行った。

 膨らんだ鞄についていたパスケース。ひらりと翻った表面に踊ったバス定期券の区間を記憶してしまったのは、職業病というやつかもしれない。


 わざわざ塾のテキストを持ち歩くくらいだ。おそらくは直接塾に向かうつもりだったのだろう。自習室を兼ね備えている塾は多い。有り得る話と踏んで、行平は定期券の区間内にあるまほろ塾を探した。

 該当したのは、奇しくも一件だけであった。



「あぁ、当たりみたいだね」


 推論から導き出したまほろ塾は、陵女学院からバスで四つ先の私鉄の駅前にあった。駅前の華やかな大通りから筋を一本を入ったところにある、七階建てビルの五階部分。

 ホームページで調べた情報によれば、授業は集団形式で、この時間帯は高校二年生が英語の講義の真っ最中であるらしい。

 向かいの建物の前で人待ち顔を決め込んでいた行平は、隣に立つ呪殺屋に視線を向けた。


「あの窓から、強い負の感情が渦巻いてる」

「そんなことまでわかるのか」

「あれ。信じたの。滝川さん」

「……もういい」

「いい年して拗ねないでってば。でも、そうだな、わかるよ。面倒だけどね」


 戯れに肩に置かれた手を無言で払う。邪険にされたことを気にするでもなく、呪殺屋はさらりと続けた。


「だから、例えば、あんたがなにを考えてるのかも、なんとなくでよければわかるよ」

「なんとなくでよければ、誰でもわかるだろ」

「でも、それが真実だと確信を持てる人種は少ないでしょう」


 事実を『視る』ことと感情を慮ることは違う、と言いたいらしい。見沢は『視る』。呪殺屋もおそらく『視る』。

 自身は、と考えそうになったところで思考を打ち切り、行平はスマートフォンで時間を確認した。午後八時四十二分。講義の終了時間まで十分を切っている。

 隣の男は法衣姿のくせに不思議と涼し気であるものの、初夏の夜の湿気に行平の肌はじんわりと汗ばみ始めていた。もうすぐ、学生たちにとっては楽しい夏休みが始まるだろうに。


「滝川さんはさ」


 建物の壁にもたれたまま、呪殺屋が口火を切った。


「いじめられたことはある?」

「それは対価か?」


 出血大サービスで無料だのなんだのと言っていたが、気が変わった可能性も捨てきれない。うんざり問いかけた行平に「ううん」と呪殺屋は微笑んだ。「ただの興味」


「今回は滝川さんにお願いされたから、協力してるだけ。新たな対価は取らないよ」

「……そうかよ」


 お願いという単語をやたらと強調されている気がするのだが、いったいどういうつもりなのか。皆目見当はつかないが、この男の中で「貸し一」がどんどんと膨張していることだけは間違いない。

 いつかとんでもないものを要求されそうだ。そう懸念しつつ、行平は喧騒に耳を傾けた。

 夜は深まっているのに、制服姿の子どもたちが幾人も目の前を通り過ぎて行く。集団で賑やかに。あるいは、イヤホンを耳に差し込んでひとり歩道を睨むように。


 十代の少女が人を殺したいと願う負のエネルギーを抱いたのは、どんな瞬間だったのだろう。

 行平は、黒の人型をはじめて見たときのことを思い返す。あれを視認した瞬間、冗談ではなく自分の背筋は粟立ったのだ。悲しい。苦しい。許せない。そんな感情が渦巻いていた。


「俺は、あるけどな」


 ぼそりと漏れたのは、なぜだったのか。行平よりも行平を理解している顔で、呪殺屋は右手をかざした。


「原因はこれ?」


 ――お兄ちゃんの右手は魔法の手だね。いつもこのみを助けてくれるもの。


 舌足らずな幼い声。何年経っても、その声が大人びることはない。行平の右手はたしかに不思議を見ることができた。人とは違うものを見ることができた。けれど、それだけだった。

 なにを言っているんだ、なにを笑っているんだ。俺は、おまえを助けてなんてやれなかっただろう。

 黙り込んだ行平に、呪殺屋はあっさりと笑った。


「気にすることないよ、滝川さん。人間は異能を決して受け入れない。種の存続本能みたいなものだ」


 自身より十センチは低いところにある顔を、そっと窺う。

 ネオンが乱反射しているせいなのだろうか。わからないけれど、この男の瞳はごくたまに金色に光って見えることがあった。

 その色に、行平はなぜか惹きつけられてしまう。


「呪殺屋」

「出てきたよ、滝川さん」


 呼応するように呪殺屋が肩にかけていた錫杖が揺れ、しゃりんと涼やかな音を立てた。

 ビルの入口からは、子どもたちが姿を見せ始めている。様々な制服姿の学生たち。目的の少女を発見した行平は、呪殺屋に小声で囁いた。


「あの子だ」


 お喋りに興じながら階段を下るグループのうしろに続いて、外に出てきた少女。その顔を確認し、小さく頷く。間違いない。規定通りに着こなされた陵女学院の制服も、重苦しく張りつめた雰囲気も、今日の夕方出逢った彼女そのものだった。


「あぁ、そうみたいだね。呪いがこれでもかと纏わりついてる。馬鹿でもわかるよ」


 平然と返された内容に「呪いが!?」と思わず行平は叫んだ。呪いが纏わりつくというのは、どういう状況なのか。まったく意味がわからない。

 まじまじと見下ろした美麗な顔に、明確な呆れが広がっていく。失態に気づいて少女に視線を向け直した行平だったが、時すでに遅し。彼女は逃げるように駆け出したあとだった。


「馬鹿じゃないの」

「……」

「早く追いかけたほうがいいと思うよ? 不審者だって通報されないように、せいぜい気をつけて」


 仮に通報されたとして、相沢が庇ってくれる公算は高くない。笑い話のネタにされる可能性は有り余っているが。


「見沢の予言がまた大当たりだな。たしかに『終わり』そうだ」

「あー、ックソ!」


 短く毒づいて、行平は少女が消えた路地に走り出した。しゃんしゃん、と。蒸し暑い闇を裂くような高い音が、耳の中で遠のいて近づいてを繰り返している。


 幽霊だ、妖怪だ、神隠しだ、呪いだ。非科学的で非現実的で、人間にはどうしたって太刀打ちできないものが、行平は嫌いだ。憎んでさえいると思う。

 だから、打ち勝ちたくて、救いたくて。けれど、何度も現実に阻まれて、足掻くのを止めようとしていたはずだったのに。また、行平は走り出していた。

 見ないふりを貫く術を忘れてしまったのだ。あのビルの中で、いつのまにか。

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