12:『呪い』
「ちょっと待って、きみ! 聞きたいことがあるんだ」
路地裏に入り込んだ少女が、覚悟を決めたように振り返った。けれど、その表情は、昼と変わらず生気がない。
努めて優しく、行平は問いかけた。追い詰めすぎるような真似をするつもりはないのだ。
「鳴沢さんを知っているよね」
少女はなにも応えない。想定内の反応に、淡々と問い重ねる。
「今日、学校から帰るとき、揉めていたよね」
「……問題ないって言ったじゃない」
「きみは彼女にいじめられていた?」
強い拒絶の意を無視して直球で尋ねると、はじめて少女の顔色が変わった。
「違うわよ。なんなの、あの女、あなたに助けを求めでもしたの?」
攻撃的なそれに、じゃあ、やはり、と溜息を呑み込む。彼女は、きっと――。
「明島恭子さんの友達だった?」
行平が選んだ過去形に、少女の唇が小さく戦慄いた。その唇を噛み締め、きっと行平を睨み据える。暗い意志の籠った、きつい瞳。
「だったらなによ、あんたには関係ない!」
「鳴沢さんは自分が呪われていると思っていて、その……呪いをかけたのはきみだと考えている。それは、きみが明島さんと仲が良かったからじゃないのかな」
「煩い、放っておいてよ!」
少女が悲鳴のような金切り声を上げる。華奢な身体から溢れる負のエネルギーを、行平は可哀そうだと思った。
彼女も被害者なのだ。そうわかるからこそ、放っておけない。
「違うというのなら、その理由を教えてほしい。そして、できれば赦してほしい」
「――赦す?」
歪んでいた彼女の表情が、そこでまったくの無になった。じわりとした汗が手のひらににじむ。
「赦すって、誰を? あの女を?」
「そうだ。明島さんを自殺に追いやったかもしれない鳴沢さんを、だ」
彼女の瞳を見つめたまま、行平は一心に言い切った。
偽善だと少女は思うかもしれない。赦せるわけがないと腹立ちを覚えているかもしれない。なにも知らない他人がなにを勝手なことをと憤っているかもしれない。
けれど、行平は知っている。彼女の中にある苛立ちも悲しみも、断罪する感情も。向かうべき先が、鳴沢英佳では本当はないことを。
「そうでなければ、きみが救われない」
その言葉に、嗤い出す寸前のように少女の瞳が揺らいだ。けれど、彼女はなにも言わず、路地にまた沈黙が落ちる。
もう一歩を踏み出そうとした行平を押し止めたのは、スマートフォンの着信音であった。自分のものだ。その音に、少女の瞳から再び感情が消え失せていく。
自分の不注意を腹立たしさを覚えつつも、鳴り止まないそれを行平は取り出した。切るつもりだったが、表示された名前に思い直す。相沢だったからだ。
黙ったままの少女に「ごめん」と断りを入れ、通話ボタンをタップする。
「はい。すみません、相沢さん。え……? 鳴沢英佳が?」
少女を意識して、行平は声を潜めた。そのあいだにも相沢の声が状況を伝え寄こしてくる。
約束したとおり、相沢は、鳴沢英佳の様子を探るべく、最寄りの警察官を「なにかあれば相談を」と彼女の家に立ち寄らせたのだそうだ。その警察官が玄関で母親と話をしていた最中、背後から大きな音と悲鳴が響いた。
鳴沢英佳が、マンション四階の自室から発作的に飛び降りたのだ。
「飛び降りた……」
「幸い、死んじゃいないらしい。植え込みに落ちたおかげだな。……おい、滝川。聞いてるか? おまえ、今どこにいる」
相沢の問いに、自分は果たしてなんと答えたのか。よくわからないまま、行平は通話を終えた。
少女はじっと行平を凝視している。先ほどの無感動な瞳が嘘のような期待に輝いた瞳。響いたのは、プレゼントを待ちきれない子どもそのもののはしゃいだ声だった。
「ねぇ、死んだの? 鳴沢英佳!」
「きみは」
行平はどうにか声を振り絞った。呪いという非現実が、どんどんと日常を侵食していく。現実を殺していく。
「自分がなにをしたかわかっているのか」
「じゃあ、あなたは、あいつらがなにをしたか知っているの!?」
はじめて会った折のおどおどとした雰囲気は、もはや影もなかった。あるいは、これが本来の彼女なのだろうか。攻撃的に詰られ、行平の声音も熱くなる。
「っ、きみは! 四人もの人間を手にかけようとしているんだぞ!」
明島恭子は本当に自殺だったのだろうか。もしかすると、彼女もこの少女の呪いによって殺された被害者だったのだろうか。
行平にはわからない。この少女を含めた五人の少女たちのあいだになにがあったのかも知らない。けれど、異常だ。それだけはわかる。こんな短期間で三人もの人間が死んでいいはずがない。それがどんな理由であったにせよ。
「明島恭子さんから始まり、澤辺優那さんに、塩尻まなみさんに、そしてたった今が鳴沢さんだ!」
一人ひとりに名前があって、人生があるはずなのに。あっというまに個が消え失せていく。『呪い』で。
そのくせ世間一般的には、自殺にしかなりえないのだ。そんなことがあっていいはずがない。
「違う!」
激高した少女が、首を振った。
「違う! あいつらは私が呪ったけど、恭子を殺してなんてない! 私が恭子を殺すわけがない!」
「きみ……、ッ!」
激しさに、行平はとっさに彼女の両肩を掴んだ。
行平の右手は、不思議を『視る』ことがあった。未来、過去。行平が選んだものでなければ、望んだものでもない。なにかしらの波長が合ったとき、対象の記憶が流れ込んでくる。
そんな信じ難いことが、けれど、この右手がもっと柔く小さかったころは、ままあったのだ。
しゃん、しゃんと鐘が鳴る。
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