第3話 “家族”という名の呪い



『誰が、何が、一番の負担なのか』


それを理解していたら出てこないだろう言葉だと思えたから。


人間50年以上生きてきても、何も得られない人はいるものだと知ったのもこの時。


彼自身が幼い時に、彼の望む形で母親と関わることが出来なかったことだけで、ここまで人との関わりあい方を知らないのも不思議だった。


母親以外にもいろんな人との出会いがあったはずなのに。


本人が外部から何かを得ようとしていなかったんじゃないのかとしか思えなくて。


誰かと関わりたい、関わり方がわからなくて寂しい。


そう漏らすくらいなら、誰かの真似をしてでも待っているだけの自分を捨てなきゃいけない。


何十年その勇気を、最初の一歩を出せずにいる彼自身を許してきたんだろう。


自分がやらなくても誰かがしてくれる環境づくりに特化した生き方をしてきて。


彼の母親自身も彼の親というだけあって……という言い方だと語弊があるかもしれないが、気分がいい時や自分の都合がいい時に彼=子どもに中途半端に関わってきていたようだった。


子どもたちが幼い時に、義母から育児論を電話で小一時間語られた時には、不思議で仕方がなかった。


自分の子どもに同じことをしてきていないのに、なぜそこまで雄弁に、かつ自身の経験談のように語れるのかと。


その尻拭いが、あたしに放り投げられているのに。


義母も否定されるのを極端に嫌がる人だった。否定された理由には興味なく、否定された事実だけが相手を毛嫌う理由でよかった人。


同類な二人が視界に収めてきたのは、自分たちに都合がよくて、自分たちにだけ優しく、すべてを肯定してくれる相手だけだったんじゃないだろうか。


塗りたい色だけ塗って、人生がきれいに色づくと思っていたのか。


無数の色が世の中にはあふれていることに気づこうとしなきゃ、キャンバスは真っ白なままで終わりかねない二人。


「ずっと死ぬまで一緒にいたい」


ある日の彼がそう願った家族あたしたちは、彼と一緒にいることを望まなくなっていくのだから。


そしてそれは、彼の自業自得。


そんな彼の自業自得に巻き込まれてしまったあたしという存在。


睡眠障害という病名がついてから二年ほど通院をし、時には導眠剤を飲んで無理矢理眠りについたり、最終的にはカウンセリングを受けていくことになる。


眠らないことで、いろんな弊害があるんだと二年ほどで身をもって学んだ。


年齢的なこともあるだろうけど、太りやすくなったり血圧がなかなか下がらなくなったり、睡眠不足の体を維持しつつ日中行動するのでカロリーの消費が激しく、すぐにお腹が空いてしまったり。


生きるために他の機能が必死になってくれて、そのために体の別な場所へ負荷がかかる。


体、なんでこんなあたしを生かそうとするのかと、何度疑問を感じただろう。


生きてて何か残るのかとか、子どもたちが困らないだけの環境を作れれば永遠に眠ってしまえばいいのにと思うようなあたしなのに、と。


昼寝をしてしまえば夜に寝れなくなるんじゃないかと恐くなり、増えていく負債を減らすことが出来ないままにダラダラと過ごす日々。


後に受けたカウンセリングで昼寝は30分なら大丈夫と説明をされるのだが、体は眠ってほしいだけ眠らせようとする。


気づけば、コトリと気絶したような感じで2時間くらいは寝かしつけられる。


30分ほどの昼寝は、医学的にその後の作業効率向上にもいいと薦められている時間らしい。


それ以上になると逆に怠くなってしまうんだという話だ。


気絶だろうがなんだろうが眠れるんだからいいんじゃないのと思われがちだが、そうじゃない。


根っこから睡眠障害を改善するということは、そういうことじゃない。


導眠剤で無理矢理眠ることを優先した最初の治療も決して悪いことではなく、体力がいつ尽きるかわからないという命がかかった状態にあったのでその治療がその時は最善だったはず。


けれど、体に薬が少し残っている感じがし、元々の睡眠障害に加えて薬のせいでその辺で寝落ちするのを減らすことは出来ないまま。


導眠剤と一緒に本当に軽い睡眠剤も処方された。


治療開始時から、まるで実験のようにどれくらいだと自分が望む生活に支障がないかを探りつつ、処方する薬を変えたり量を減らしたりしていった。


薬が体に残っているままに、翌日の薬を飲む。


そんな時にはてきめんなほど、特に朝は体を起こせなくなった。


そして、朦朧とした感覚を抱えながら、その辺で寝落ちしないように必死で睡魔に抗って家事をした。


治療前よりもヤバイかもしれない。


そう、何度思っただろう。


薬が自分の状態に合った物になるまでが、本当に長く……長く感じられた。


薬だと、体調どうこう以前の問題で、問答無用で夢を見ることもない場所へ連れていかれそうになるのだから。


怖くもなった。


やるべき家事をして、子どもたちにも寝る前の声かけをして、明日のことで情報共有の漏れがないかの確認などをして。


よくある話で、明日あれの集金があるとか、なにを持って行かなきゃいけなかったとか。


もっと早く言っておいて! と大騒ぎになりがちなアレだ。


子どもたちですらそんな状態なのに、彼は翌日の起床時間をよく言い忘れていた。


それに合わせて弁当作りの時間を変更しなきゃいけないのに、翌朝になってから30分早かったとか平気でいう。


節約のために弁当を持たせているのに、「途中で適当に買うから、お金ちょうだい」ってなんなんだ。


それは、こっちが求めるフォローじゃないんだけど?


休みの日だって、子どもらとどこか行くわけでもなく、自分の都合だけのためにあたしの半日を費やさせるのが当然のように優先された。


その内容が、本人的にただの気分転換なんだとしても、こっちには何の得もないのに。気分はめり込む一方だと言いたかった。


言えば、子どもたちにも影響が出るほどに不機嫌なオーラを発するので黙していた。常に。


いろいろめんどくさかったのも、言わずにいた理由の一つかもしれない。


「ママと二人で出かけたい」


「たまには親二人だけで出かけても大丈夫な年齢になったなら、なんも気にしなくていいじゃん。飯の準備だけしておけば、勝手に火を使うとかもないんだし」


……なんて、愛情でもあれば「仕方ないなぁ」なんていいながら、内心自分も喜んで付きあえるんでしょうけど。


とか思い出していくと、その前の段階で睡眠不足が蓄積していく土台になったかもしれない出来事に気づく。


ある日の彼が仕事中に砂利の上を歩いていて、いきなりグキッとなって軽く足をくじいたらしい。


夕方になっても痛みと腫れが引かず、時間ギリギリで何とか診察をしてもらえた。


結論からいえば、ギプスが必要な状態で、アキレス腱にも問題が起きていて、ややしばらく仕事が出来ないという状況に。


正社員じゃない人間が、仕事を休む。


すなわち、しばしの無収入ゾーン突入。


その時期は子どもたちを彼に任せて、スナックなどの夜のお店で働いたりなどしつつ、あたしが家計を支えていた。


そして、その怪我のせいで自力で体が洗いにくいと言い出した。


“片足だけ”ケガをしたはずなのに。


「完治するまではサポートするよ」と告げて、内心しようがないと思いながら何かにつけ助けていたんだ。


家族だから。


彼にまた仕事を頑張ってもらいたいから。


休んでいて、稼げないというストレスがいくらかでも減らせるように。


その時期にはまだ、いくらかの愛情めいたものがあったよう。


けれどその思いを利用するかのように、彼は完治した後も入浴時のサポートを求めてきた。


そのうちどこぞの風俗のお姉ちゃんみたいなことも追加されていく、入浴時のサポートを。


結果、時間をたっ……ぷりかけたサポート体制のバスタイムになった。


子どもたちは、ママと一緒にお風呂に入れないと時々寂しそうに漏らしていたのに、「パパが大変だからさ」とドヤ顔をして返事をしていた。


サポートされている本人が。


完治しているのに。


――偉そうに。


彼の返事を聞き、彼の足を不思議そうに子どもたちが見ている姿が視界に入る。


けれど、本人はなにも気にならないようだった。


自分だけが満たされていたのを誇っているようにすら見えた。


そしてその流れで復帰した仕事の疲れを取るため、何度か軽くマッサージをしていただけなのに、それが日課に追加された。


お風呂の後の夜9時から、全身のマッサージに夜のご奉仕付き。


入浴込みなら、彼寄りの生活だ。


彼が帰宅するまでしか、子どもたちと話したり遊んだりが出来ない。


いっぱい、その日あったことを聞いてあげたかったのに。


彼のサポートをしている間、子どもたちは一階の子供部屋で録画したものをみたり、長女が絵本を読んで下の子を寝かしつけてくれていた。



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